滝口悠生『長い一日』、そして君はこの2週間何をしていたのか(毎日読書メモ(431))
滝口悠生『長い一日』(講談社)を読んだ。結構分厚い本で、まさか一日に起こった出来事をこの1冊かけて書いている? それじゃジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』だろ、とか思いつつ読み始めた。
結果的にそんなことはなく、「長い一日」はいくつもの章に分かれた物語の一つの章のタイトルであった。小説家滝口とその妻の生活を中心に、滝口の高校時代の同級生の窓目くんとけり子(けり子のパートナーの天麩羅ちゃん)、窓目くんの大学時代の後輩八朔さん(と夫の植木さん、娘の円ちゃん)という、不思議に拡張した人間関係を、一人称がくるくると変わりながら、それぞれの角度から語られる日々。主なイベントは、滝口とその妻が8年間住んだ部屋(世田谷の一戸建ての2階で、1階に大家さん夫妻が住んでいた)から、別の家に転居する顛末で、その顛末の部分だけだと、大きな山場のない私小説のようだが(しわ犬のエピソードがいとしい)、そこも夫の視点と妻の視点が絡み、更にお花見の宴会で会った窓目くんやけり子や八朔さんの語りが入り、世界が不思議なくらい拡張して見える。
家で小説を書きながら家事全般を担う夫、フリーランスだけれど神保町の職場まで通う妻、会社の独身寮に住みながら気ままに暮らす窓目くん。「長い一日」は、お花見でお酒を飲み過ぎて顰蹙を買い、一足先に帰ったのに、電車で寝てしまって田無で目が覚めてタクシーで帰った窓目くんの、次の日の行動をえんえんと描く。護国寺の駅前にさしかかると、講談社の本社ビルで、滝口の妻が殴り込みをしようとしている現場に出くわし、最後にはビートたけしのフライデー事件の話にまで言及される。窓目くんは、髪を切ってくれた美容師さんの思い出話から、空想の中で伯備線に乗る旅にまで出る。読んでいると、みんなの上に広い青い空が広がっているような感覚になり、また、長い時間スパンの中で醸成されてきた人間関係が、変わらないところと変わっていくところがあることをそれぞれが思い、人のつながりとか、長く生きていくことで消えていくもの、ずっと伝わっていくことがあるとか、そういうことが、長い小説の中でじわじわと読者に浸みていく、そんな小説だった。
心地よい呼吸をしながら読む。
ここからは、本の感想とは別の話。
図書館でこの本を借りてきて、返却期限までに読み切れず、図書館で、もう一度借りてこようと持って行ったら、次の予約が入っているので返却して下さいと言われ、窓目くんの長い一日の途中で、本を返さなくてはならなくなった。そして、もう1回予約を入れて、半月くらい待って、順番が来たのでもう一度借りてきた。
何ページまで読んだかなんて記憶していなかったから、このあたり、と思いつつぱらぱら見て、あ、ここは読んだ、ここは読んでない、と前後しながら、たぶんこの辺、と思ったところには、オレンジのスピン(しおり)がはさまっていた。え、このスピン、わたしがはさんだまま移動してない? 次に読んだ人が同じところにスピンをはさんだとは思いにくい(章の途中で返すことになったので、全然区切りもよくない場所なのだ)。
更に読み進めていったら、本の間に図書館の貸出票(本のタイトルと返却日が印字されたレシートみたいなもの)がはさまっていたのだが、それが、わたしが前回借りた時の貸出票だったのだ(日付も、一緒に借りた本のタイトルも館名も、わたしのもの。個人情報は印字されないので、他の人にはわからないけれど)。普通、前の人の貸出票がはさまっていたら、読んだ人が捨てるよねぇ。
ということで、どうも、この本(市図書館全体で数冊蔵書があるので、同じ本がわたしのところに戻って来るとは限らない)、わたしが返して、予約した人の元に届き、その人が返却したら、またわたしのところに回ってきたようだが、この半月、借りた人のところで何をしていたんだろう?
わたしも一度に本を借り過ぎて、読み切れずに返却することがあるので、間の方も同じように、手をつけられずに、予約が入っているから延長出来ないまま図書館に返したのだろうか。
わからないけれど、2週間お預けを食った物語、気になったので、最後は一日で読んだ。
今度は貸出票はちゃんと捨ててから図書館に返すよ。
滝口悠生、芥川賞をとった『死んでいない者』(文春文庫)も読んでいないので、機会を見つけて読んでみよう。