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市川沙央『ハンチバック』(毎日読書メモ(493))

第169回(2023年上期)芥川賞の発表まであと1週間ちょっと。乗代雄介『それは誠』(文藝春秋)に既に心を持っていかれているわたしだが(ここで絶賛)、注目度という意味では候補作の中でも屈指(いや、候補が5作なんだから指足りるけど)の市川沙央『ハンチバック』(文藝春秋)も読んでみた。単行本もすでに店頭に並んでいるが、この作品は第128回文學界新人賞受賞作なので、「文學界」2023年5月号(『それは誠』の前の号)で読んでみた。文学賞受賞作は雑誌で読むと、選評も読めるし、作者による受賞のことばも読めるし、情報量が多くなって愉しい(そういう意味では芥川賞受賞作も「文藝春秋」で読むのが愉しい)。

『ハンチバック』の主人公釈華は、ミオチュブラー・ミオパチー(筋疾患先天性ミオパチー)患者として、両親が遺してくれたグループホーム「イングルサイド」(赤毛のアンシリーズに出てくる「炉辺荘」にちなんだ名称)で不自由なく介護を受け、莫大な遺産により、生活の心配も全然ない日々を送っているが、ウェブライターとして、風俗記事を書いて、得られた報酬は全部慈善団体に寄付する、という生活をしている。
「成長期に育ちきれない筋肉が心肺機能において正常値の酸素飽和度を維持しきれなくなり、地元中学の2年2組の教室の窓際で朦朧と意識を失った時から」29年間、「涅槃」に生きる釈華、疾患は進行性ではないが、それでも「生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていく。死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる、生き抜いた時間の証として破壊されていく」という一節は、この小説の紹介文として本の帯とか書評とかで必ず取り上げられる部分だが、作者自身がこの疾患と共に暮らしている、その実感が、読者にも伝わる、激しい現状認識だ。

パルスオキシメーターで血中酸素濃度を確認しながら暮らし、気道にたまった痰を吸引カテーテルで抜く。気管にあけた穴に装着した人工呼吸器と共に暮らし、せむしハンチバックと自嘲する湾曲した背中。自室では基本なんでも自分でするが、使わないでいる筋肉が一旦衰えれば二度と機能が元通りになることはなく、緩やかに身動きがとれなくなっていく。グループホームの外に出ることも殆どなく、訪問医療や訪問介護を受けながら暮らす。その中の実感が克明に描かれ、それは読者に共感も同情も微塵も求めていない毅然とした文体で綴られる。
中学2年で世間と切り離された生活となり、耳年増のように知っているありとあらゆることを何一つ体験していない釈華は、Twitterの裏垢で、推敲の末「普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのがわたしの夢です」とツイートする。
その働きかけと顛末が小説の主筋だが、賛否両論、というよりは否定的なコメントしか見かけていないラストは、確かにそこまでの物語世界のぶち壊しのようでもあり、一方で、作者が物語にオチをつけたかったのだとしたら、こういう展開以外のオチってどんなものがあったんだろう、と思いつけなかったりもする。この小説が、「転」でもあり「結」でもある、最後の3ページを持たずに完結していたとしたら、それでもこの小説は新人賞をとったのか? 
筋ではなく、こういう「生きるために壊れる」Lifeがあるという提示がこの小説の主題であったとしたら、作者はこの先どんな小説を書いていくのか?

次に発表する小説で芥川賞に勝負できるか、見守っていきたい。これまでになかった小説を書いた、その筆力を信じたい。


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