太公望 贅沢な時間の使い方ってなに?
むかし、開高健の『オーパ!』に「一生幸せでいたかったら、釣りを覚えなさい。」といった内容の言葉が載っていて、曖昧ながら今も心に留めています。
釣りでは、釣果を得るために
①スポットの情報収集
②テクニックを磨く
③なによりも忍耐力と、タイミングを逃さない瞬発力
が必要なアクティビティのイメージです。
でも、この言葉を聞くとそもそも「釣果を得る」ことを目的にしなくてもいいんだ、と気づきました。
子どもの頃、夏の週末には近所の綺麗とはいい難い川に、父親が釣り糸を垂らしてぼんやりしている姿を何回か見かけました。
いるのはザリガニ、亀、鯉かフナ・・・くらいの大したものが釣れるわけではなく。
子ども心に、いったいなにが楽しいのだろうと思っていました。
僕が隣に座って、持ってきたゲーム機で遊んだり、手慰みに草をむしったりしても、父親はじっーとしているのです。
適当な頃合いで「帰るか」と片付けて、途中僕にアイスを買ってくれる__それだけを楽しみに僕はついて行ったものです。
大人になり、毎日あくせく働くようになってから、ようやく、ぼっーとする時間のぜいたくさ、大切さが染み入るようになりました。
かつて父が、垂らした釣り糸を無心に見つめるひとときは、思考のリセットにも一役買っていたのではないか?
と、僕も釣堀で糸を垂らしながら思う日があります。
(書いた人 延堂 大輔)
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