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僕らの日常

 俺は今日、彼女が出来た。俺の名前は神垣順二かみがきじゅんじ、34歳。彼女の名前は前島道子まえじまみちこ、32歳。


 俺の職業は、大型トラックの運転手。21歳で大型免許を取得した。主に、冷凍したマグロ等の魚を運搬している。

 

 彼女の道子の職業はサラブレットを扱う牧場に勤めている。もともと道子は東京に住んでいた。でも、馬が大好きで北海道にやってきた。中学を卒業して住み込みで牧場で働いている。


 道子と知り合ったきっかけは、牧場や農家で働いている人達の出逢いの場を設けるためのテレビ局の企画に俺が参加して知り合った。そして、見事カップルになれた。


 俺は少し太目の体型で身長は約180センチ。髪型は、坊主頭。二年くらい前に元カノと別れた。その理由は、元カノの浮気。許せなかった。ショックも結構大きく、立ち直るまで数カ月かかった。


 元カノを忘れるために、連絡先やメールアドレスなど、全て消去した。俺の部屋に置いてあった彼女の服やズボンは、会いたくなかったから全て捨てた。


 それ以来、元カノに会うことはないだろうと思っていたのに、数日前にスーパーマーケットでバッタリ出くわした。

「あら、こんにちは」

 などと悪びれた様子もなく、普通に接してきた。それが余計に腹が立つ。なので俺は無視をした。すると、

「何で無視すんだよ! この野郎!」

 と、怒鳴ってきた。売られた喧嘩は買う主義なので、

「うるせえな! 話しかけてくるな!」

 俺も怒鳴りつけた。

「何でよ! 話しくらいしたっていいじゃない! そんなにあたしのことが嫌いなの?」
元カノは怒りと悲しみがごっちゃになった表情をしているように見える。

「ああ! 嫌いだ! お前の顔なんか見たくない!」

 俺は強い口調で言った。

「酷い……! そんな言い方しなくたっていいじゃない!」

 フンッと俺は鼻で笑ってやった。

「どっちが酷いんだよ! お前が浮気した時のほうがもっと酷いぞ!」

 元カノは笑っている。

「あんた、まだそんなこと気にしてるの? あの時の男も捨てたわよ」

 その話を聞いて驚いた。

「お前って奴は……、地獄に落ちろ!」

「あんたもね! こんな下らない話してるほどあたしは暇じゃないの! 新しい彼の為に

あたしの絶品料理を作ってあげるんだから!」

苛々するので、

「知るかよ、そんなこと! 好きにしろ!」

 目の前にいる女は俺を睨みつけながら、

「言われなくても好きにするわよ!」

 俺は思わず笑った。

「まあ、せいぜい楽しめよ! 捨てられないように気を付けろよ」

 そう言いながら俺はその場を去った。痛いほど女の視線を浴びながら。


 そんなことがあった。また会う可能性もあるが出来れば会いたくない。会う度、喧嘩するのも嫌だし。


 俺は彼女の道子に先日の元カノの話を聞かせた。

「酷い元カノね!」

 怒っていた。

「だろ? だから会いたくないんだけど、街の中を歩いていたら偶然会うんだよな。車さえあれば会わずに済むんだけどな。トラックの修理代とかがデカくて車どころじゃない。社長にトラックを売って、雇ってもらう形もあるけれど、今までのような高収入は得られなくなるから悩みどころなんだわ。雇ってもらったほうが安定した収入にはなるけどな」

 俺は考えていることを伝えた。

「もし、順二のプライドが許して中古の軽乗用車でも良ければ買ってあげるよ?」

 

 俺は道子と付き合う前に、

「誕生日プレゼントは何がいい?」

と訊かれて、考えていると、

「車がないなら買ってあげるよ?」

 言われて、

「そんな高額なプレゼントは俺のプライドが許さん!」

 と言って断ったことがある。だから彼女はそういう前置きをして話したんだろう。


 だから今回も、

「いや、車はいらないよ」

 俺はそう言った。でも、道子は、

「私としては、元カノは酷い女性みたいだから関わってほしくないの。だから車を買ってあげるという話をしたの」

「道子の気持ちは嬉しい。でも、大丈夫だ。今度からバッタリ会っても無視するから」

「そう……」

 道子は残念そうだ。でも、車を買ってもらうわけにはいかない。俺のプライドが許さないから。安いプライドと思われているかもしれないが。まあ、それはそれとして、気持ちを切り替えていくことにする。


 明日は2月21日。道子の誕生日。何かプレゼントをしたいと考えているが、なにがいいのかわからない。なので、欲しいものは何か訊いてみようと思う。


 今の時刻は19時30分過ぎ。牧場で働いている道子は夜飼い、と言って夜の分の餌を馬に与える仕事もしているらしい。俺もあまり詳しくはないが。それが終わる時間かな? と思ってメールを送ろうとしている。本文は、

<明日は道子の誕生日だな。33歳になるな。そこで、何かプレゼントしたいと思ってるんだ。何がいい?>

 30分くらい経過してメールが来た。相手は道子かな? と思ったら、会社の先輩の山瀬博則やませひろのりからで、42歳だ。俺より8つ上。結婚はしていて、子どもは18歳くらいだったかな。女の子。前に山瀬さんの家に遊びに行った時見たけれど、凄く可愛い。

思わず見とれていると山瀬さんに、

「何で娘を見てる?」

「いえ、何でもないです」

山瀬さんはニヤニヤしながら、

「また、いやらしいことを考えているな?」

 そう言われ俺は焦った。

「いやいや、そんなことは考えてないよ。ただ、可愛い子だなぁと思ってました」

山瀬さんの奥さんはフフンと笑っている。

「だろ? おれの自慢の娘なんだ。手出すなよ」

 俺も思わず噴き出した。

「そんなこと考えてないっすよ」

「そうか」

 と言って4人で爆笑していた。 

そういうようなことがあった。


 山瀬さんからのメールの内容は、

<明日、仕事終わったら遊びにこないか?>

 というものだった。

 こちらからはあまりメールしないが彼からはこうやってたまに来る。でも、明日は道子の誕生日だから会う約束をしている。まだ、プレゼントは何が良いか決まっていないが。なので、「すみません、明日は用事があるんですよ。だから、また今度行きますね」

 申し訳ない気持ちになったけれど、仕方ない。道子のおめでたい誕生日だから。放り出すわけにはいかない。そのつもりもないし。山瀬さんの家にはいつでも行けるから。


 20時30分くらいになり、もう1通メールが来た。相手はようやく道子からだ。本文は、

<馬の出産で時間かかっちゃった。ごめんね。順二がくれるものなら何でもいいよ>

 何でもいいというのが一番困る。何か欲しい物を言ってほしい。でも、道子がそう言うなら、<シルバーのネックレスにしようかと考えてる>

 すると彼女は、

<あ! いいね。楽しみにしてるよ>

<気に食わない物をプレゼントしても喜んでもらえなかったら残念だから>

少ししてから返信メールは来た。 

<まあ、それも一理あるけど、でも彼氏が選んで買ってくれたものならって考えたら嬉しいよ。彼女の誕生日を忘れているより全然マシ>

 なるほど、確かにそうだな。

<なら良かった。プレゼント一緒に買いに行こう? ネックレスをした道子の姿の写真撮りたくて>

<え! マジで? 恥ずかしいよ>
<いいじゃないか、他の男に撮られる訳じゃないんだから>

<まあ、それもそうね>

 よし! 可愛い道子の写真をゲット出来る! スマホの壁紙にする。

<じゃあ、明日、夜飼い終わったら電話くれないか>

<わかった、ありがとう>

 今日は待ちに待った道子の33歳の誕生日。一緒に祝うのは勿論、初めて。俺も仕事だし、彼女も仕事。だから、夜に会う約束をしている。時間まではその時になってみないとわからない。


 時刻は午後8時過ぎ。もう部屋にいるかな? と思い、メールを送った。

<道子、今どこにいる?>

 それから30分待ったけれどメールが来ない。何で? 馬の出産があるとかで、時間がかかっているのかな。わからないけれど。更に30分待ったが未だ来ない。俺は徐々に苛々してきた。


俺の住んでいる地域のデパートは午後9時まで営業している。既に8時55分なので、ネックレスを一緒に買いに行く事は不可能だ。買っておけば良かった、失敗。そうすれば、いつ会っても渡せたのに。


それにしても連絡ぐらい1本寄越さないなんてどうなっているんだ。仕事をしているとしたら、馬の出産しかないのではないか。それしか教えてもらってないから分からない。


もしかして、気が変わって俺とは会わないで、他の男と会っていたりして。それはないか。道子のことを信じよう。


今は夜中0時、俺は眠くなってきた。明日も仕事で朝は早い。道子のことは好きだけど今でも連絡がないのはおかしい。寝ていたりして。俺も寝る。俺は道子にメールを送った。

<今日、会えなかったな。俺は寝るわ。おやすみ>と。

すると電話がかかってきた。スマホを見ると、島崎道子、と表示されていた。すぐに出た。

「もしもし」

『順二? ごめん! 言い訳させて。馬の出産が9時頃終わって、その後お風呂に入って順二と会う支度をしてたら、お母さんから電話かかってきて、お父さんが倒れたって言われて明日、東京に戻る準備をしていたの。疲れたから、少し横になってたら寝ちゃってた。それで順二のメールで目を覚ましたの。ごめんね、今日どうしよっか?』

「そんな状況だったのか、それなら仕方ない。今年は誕生日プレゼントは遅れて渡すよ。食事でもしながら」

『ありがとう! 明日のほうがいいよね?』

 道子に訊かれた。

「そうだな、俺、明日も仕事早いし。道子も早いだろ? 明日は実家に帰るんだもんな。お父さん、大丈夫なのか? 心配だな」

『わかんない。でも、生きている内に顔は見ておきたい』

「だよな」

『順二も親孝行しておいたほうがいいよ。私は高校に行かず、すぐに北海道に来たから何もしてやれてないからさ』

 俺は黙っていた。俺と両親は不仲だから連絡をとっていない。その事は道子には言ってないけれど。言ったら不快に思うだろうか。仲は悪くても親には変わりないとか言って。確かにそうだが。まあ、そう言われた訳ではない。俺の想像だ。

 親孝行か。元気に生活していることも俺が思うに親孝行になるし、何かプレゼントしたり、病院に連れて行くのも勿論、親孝行だ。


 翌日の夜、道子からメールが来た。

「お父さんが亡くなった……」

 俺は驚いた。あまりにも急なことだから。

「道子、大丈夫……か?」

 メールはそれっきり来なかった。多分、メールを返せるほどの気持ちの余裕がないのだろう。相当ショックだっただろうし。こんな時、支えになってやれないのが情けない。彼氏だというのに。そうっとしておいたほうがいいのかな。こういう場面に出くわさないからどう対処したらいいのかよく分からない。でも、1通だけメールを送る。

<電話でもいいし、帰って来てからでもいいから俺が力になれることがあったら言えよ>

 と送った。


 更に翌日。メールが返ってきた。
<順二、心配かけてごめんね。私は何とか大丈夫だよ。急だったからびっくりしたけれど。ありがとう>

 このメールが来たのは仕事をしている際中でトラックを運転していた。右腕でハンドルを持ち、左手でスマホを操作している。メールを返すのは車を停めてからにしよう。ちょうどタイミング悪く対向車はパトカーだ。でも、対向車だからか追いかけては来なかった。でも、あちこちで取り締まりをやっているから気をつけないと。


 仕事を終え、俺は歩きながら道子にメールを返した。

<大丈夫なら良かった。俺は今、仕事が終わった。まだ、帰って来れそうにないのか?>
また、暫くメールは返って来ない。本当に大丈夫なのか? ショックで精神的ダメージが

大きいのだろう。可哀想に。あまりしつこくメールを送っても迷惑がられても嫌なので、

1日1通だけ送っていた。返信はないまま。


 あれから約1週間が経過した。今は夜9時頃。道子から電話がかかってきた。

「もしもし、道子?」

『うん、久しぶり。メール返せてなくてごめんね。ようやく元気が戻ってきたよ。心配かけ

てごめんね』

「いやあ、それは仕方ないよ。誰が悪い訳でもない」

『ありがと』

 俺は気になっていることを訊いた。

「いつぐらいに戻ってくる?」

 彼女は、

「うーん」

 と唸りながら、

『もう少しかな。なんせ、お父さんが亡くなったのが凄いショックでさぁ。職場に電話した

ら、無理して来いとは言わないけど、忙しいのは確かだって言われた』

「それって、早く来て欲しいという意味か?」

『そうだと思う。だから、あまりゆっくりも出来ない』

「だよなぁ……。牧場は大変だよな。朝早いし夜も仕事だし」

 彼女は黙っていた。やがて口を開いた。

『まあ、馬が好きでやってる仕事だからねえ』

「それは確かにそうだけど」

『来週には帰るよ』

「そうか。わかった。待ってるわ」

 そう言って電話を切った。


 今日は金曜日。来週の何曜日に道子が帰って来るかは聞いていない。


 俺には会社で仲良くしてくれている女性がいる。その子は26歳で独身。前に訊いた時、

彼氏はいないと言っていた。でも、俺は訊かれていないからというのもあるけど、彼女がい

るとは言っていない。その子の俺に対する対応を見ていると、俺に気があるのでは? と思

う時がある。例えばふざけた振りしてボディタッチをしてきたり、いろいろと相談に乗っ

て欲しいと言われたりしている。

 ある時、事務所で他の従業員が誰もいなくて、俺とその子の2人きりになった。俺が退勤

しようとしたら呼び止められた。

「神垣さん」

「うん? どうした?」

「前から思っていたことがあるんです」

 彼女はこちらを見ずに喋っている。どうしてだろう?

「思っていること? 何だ」

「わたし、神垣さんのこと好きなんです」

 衝撃の告白。気があるのでは? と思っていたことは当たった。

「マジで?」

「はい、マジです。大マジです」

「そうかぁ、でもゴメン。俺には彼女がいるんだ」

「え! そうなんですか!? 彼女いないと思ってました……」

 目の前の女の子は凄く残念そうにしている。

「仲良くしてくれているからわたしにも気があると思ってました……」

「ごめんな、その気があるような態度で接してしまって」

「でも……でも、私諦めません。そんなすぐに気持ちの切り替えも出来ないし」

 俺は黙っていた。出来れば、諦めて欲しいと思った。この子とは話していると楽しいけれ

ど、恋愛感情はない。道子一筋だ。

「彼女はいくつですか?」

「32だよ」

「おばさんだ」

「そういうこと言うな!」

「ハハハッ!」

 と道子を馬鹿にしたようにこの子は笑った。ムカついた。

「何を笑ってる。お前、実は性格悪いな?」

 そう言うと、女は黙った。

「そう思いますか?」

 少し落ち込んだ様子だ。

「思うから言ってるだろ」

 彼女は俺を睨んでいる。

「ずいぶんはっきり言いますね。酷いですよ」

 それを聞いて俺は更に腹が立ったので、

「酷いのはお前のほうだろ!」

 怒鳴りつけた。

「そんな、大きな声で言わないで下さい! 傷つきますよ、わたしだって」

 これ以上言うと会社での人間関係が悪くなるので控えることにした。

「そうか、もうこれ以上言わないよ」

「そんなに酷いことを言う人だとは思いませんでした。見損ないました」

 フッと俺は笑った。

「もとはと言えば、人の彼女を馬鹿にするような発言をするほうが間違ってる」

「そうですか! わたしは時間なので帰ります!」

 いつもなら、おつかれ、と言ってやるのだが、今日は不愉快なので言わなかった。


 翌日の土曜日。俺はいつものように出勤した。すると、課長に呼ばれ、

「神垣、君、川島に酷いことを言ったそうじゃないか。昨夜、彼女から電話が来てそう言っ

ていたぞ。本当なのか?」

 あの野郎、チクリやがった。自分が悪い癖に。

「確かに俺も酷い事は言いましたけど、事の発端は川島ですよ。だから、俺ばかりが悪

いわけじゃないっす」

「そうなのか? だけど、川島は一方的に言われたって言ってるぞ?」

 俺はため息をついた。

「それは嘘八百ですよ」

 課長も深く息を吸い込んで吐いた。

「全く、どちらの言ってる事が本当なのかわからないな」

 課長は複雑な表情をしている。

「俺は事実しか言ってませんよ。話を作ったりはしてない」

 課長は話し出した。

「それにしても、あんなに仲良く喋ってたのに、急にどうしたんだ? なにかあったのか?」

 俺は課長の質問を待ってましたとばかりに答えた。

「実は俺、川島に告られたんですよ。それで俺には彼女がいるから、と断ったら、彼女は

いくつ? と訊かれて答えたら、おばさんだ、と言われて俺は頭にきて、そんなこと言う

な! と言ったんです。これが事の発端です」

 課長は暫くの間、黙った後、

「そうだったのか……。まあ、とにかく仲良くやれよ」

 と面倒になったように感じた。


 時刻は夕方6時過ぎ。退勤した。道子の事が気がかり。でも、母親や兄弟姉妹もいるから

とりあえずは大丈夫だと思うが。


 メールを送ってみよう。

<こんばんは。俺は今、帰宅したところだよ。何してた?>

 約30分経過したがメールは来ない。夕ご飯でも食べているかな。彼女が傍にいないこと

がこんなに寂しいとは思わなかった。道子はどう思っているだろう。

 

 更に30分くらい経った。まだ、返信メールは来ない。風呂にでも入っているのかな。明

日は日曜日。仕事は休みだ。たまには友達と居酒屋にでも行くかな。誰と行こう。スマホの

電話帳を開いた。女友達もいるが、道子のいない隙に行くわけにいかない。行くなら道子も

含めて行かないと。陰でコソコソしたくない。山谷光太郎やまやこうたろうという高

校時代の友達と2人で行こうかと思っている。とりあえずメールを送ることにした。

<光太郎、久しぶりだな。たまに、居酒屋に行って語らないか?>

 彼からは少ししてからメールが来た。

<お! たまにはいいな。行くか>

<おう!>

<ちょっとシャワー浴びるから30分くらい待ってくれ。順二の車で行くんだろ?>

 光太郎からはそうメールが来た。

<ああ。俺から誘ってるからな>

<わかったー>


 俺もシャワーを浴び、20分くらいで上がった。それからブルージーンズを履き、赤いT

シャツに模様の入ったものを着て、俺は自宅のアパートを後にした。


 車で約10分走り、光太郎の家に着いた。彼は実家暮らし。光太郎の家の人の車がない所

に俺は駐車した。邪魔じゃないだろうか? すぐに光太郎に電話をした。何回か呼び出し音

が鳴り、繋がった。

「もしもし、光太郎」

 俺はそう言うと、

「おー! 久しぶり、順二。すぐ行くか? それとも、少し上がって行くか?」

「いや、すぐ行こう。光太郎の家族の車が置いてある場所に俺、停めちゃったからさ」

 彼は外に出て見てくれた。

「ああ。ここなら大丈夫だ。じいちゃんが停めていたけど、もう亡くなっていないから」

「そうだったのか、それは知らなかった。俺もお前のじいちゃんには世話になったな。今は

菓子折りはないけれど、線香だけあげて拝ませてくれないか?」

 光太郎は笑顔になり、

「別にいいんだぞ? 気を遣わなくても」

 と言った。

「まあ、そうかもしれないけど、せっかく来たから」

「そうか、わかった」

 俺は光太郎の実家に上げてもらって仏間に通してもらった。

「おじいちゃん、順二だよ。その節はお世話になったね。ありがとう!」

 そう言って俺は両手を合わせて拝んだ。当時のことを思い出して俺は涙が出て来た。

「もっと、おじいちゃんと遊びたかったよ。それも光太郎と3人で」

「おい、光太郎。わかってると思うけど、じいちゃんはもう帰って来ないんだ。だから、飲

みに行くぞ」

 俺はそう言われ複雑な気分になった。帰ってこないから飲みに行くという部分が複雑な

のだ。

 まあ、そのことは仕方ない。飲みに行くか。


 2時間程、飲んだり食べたりしながら、お互いの近況を喋った。気の合う仲間だけに、楽

しかった。こうしてたまに光太郎とは居酒屋に来る。彼は俺に彼女が出来たことを羨ましが

っていた。光太郎はこの前、彼女と別れたと言っていた。フラれたらしい。原因は彼女が他

に好きな男ができたらしく、もう付き合えないと言われたみたい。酷い話だ。そういう女も

世の中にはいるんだな。まあ、道子はそういう女じゃないと思うけど。


 帰りは代行を呼び、それに乗って帰って来た。結構酔った。吐く程ではないけれど。俺が

住んでいるアパートに着いた時、酔っていたせいだろう、足が上がらず引っ掛かってしまい

歩道に転がり落ちた。その際、左腕を強打してしまい凄く痛かった。折れたのではないかと

思い、見てみると流血していた。すぐに水道水で洗い流し、でも、薬はないのでティッシを

あてていた。でも、血は止まらず振り返って床を見ると、絨毯に血液が滴っていた。やばい

なぁと思い、でも、どうすることも出来ないので何枚もティッシュを血が止まるまで当てて

いた。そして、30分くらいそのまま抑えていると、血は止まったようだ。でも、患部はズ

キズキと痛いし、腫れてきているようだ。病院、という言葉が頭を掠めたが、こんな酔って

いる状態では行きづらい。でも、痛い。どうしよう……? 道子に連絡して相談してみよう。

 メールを送ろうとする腕が痛い。何とか我慢して、

<道子、電話できたら電話くれ>

 時刻は夜中の0時前。起きているかな? 起きていて欲しい。でも、寝てしまったのだろ

う。返信メールがこない。


 腕の痛みに堪えて朝を迎えた。今日は日曜日。痛みのせいで、一睡もしていない。患部を

見ると相変わらず腫れていて、しかも、紫色になっている。これは病院に行かないとまずい

かもしれないと思い、休みの日でもやっている当番病院を探すのにとりあえず、町立病院に

電話をした。

『もしもし、町立病院です』

 守衛のおじさんだろう、声がガラガラしている。

「もしもし、今日の当番病院はどこですか?」

『あ、今日はうちが当番病院ですよ』

 良かった、診てもらえるかな。

「そうなんですね、診てもらえますか?」

『はい、どうなさいました?』

「昨日の夜、車から降りる時、足が引っ掛かってしまい道路に転げ落ちたんですよ。それで、

顔から落ちそうになってそれを守ろうとして左腕を負傷したんです。今は紫色になって腫

れています」

 守衛は考えているのか、何も言わない。そして、

「看護師に変わりますので、少しお待ち下さい」

 3~4分待っただろうか、男性の声で相手が電話に出た。

『もしもし、看護師の川崎です』

「あ、どうも。神垣といいます」

『どうしました?』

 もう一度説明かよと思ったら腹が立ってきた。

「さっきも言ったんですけど」

 と言うと、

『すみません、詳しく聞いてないもので』

 俺は心のなかでチッと舌打ちした。

「だから、車から降りようとして足が引っ掛かって顔をかばおうとして左腕でかばったら、

打撲みたいに紫色になって腫れて痛いんだ」

『お話を聞いてる限りでは、結構酷い状態に感じますね。今から来てもらえますか?』

「うん、今から行くからみてくれ!」

 俺は苛々している。そう言って電話を切った。

 寝てないのも相まって、余計、具合いが悪い、眠いし。左手をかばうように俺はアパート

を出て右手で車の鍵を開け、右手でドアを開け乗った。左腕が負傷しているので仕方ない。

不便だということを痛感した。そんな状態で車を運転し、病院の受付に辿り着いた。そこの

職員に財布を開けてもらい、保険証を出した。中年の女性職員は俺の左腕を見てぎょっとし

ていた。失礼な職員だ。まあ、でも、この腕を見たら驚くのも無理はないかもしれない。俺

も自分でこれはやばいなと思うから。


 レントゲン検査をしてもらった結果、左腕が骨折していることが分かった。医者から説明

を受けたのは、前腕には2本の骨があり、外側の橈骨とうこつという骨が折れている

らしい。でも、医者はレントゲン写真を見ながら丁寧に教えてくれたから、頭の悪い俺でも

分かった。治るまでには3週間くらいかかるらしい。まずに頭に浮かんだのは、仕事のこと

だ。出来るだろうか。それも医者に相談してみると、出来れば休んだほうがいい、と言って

いた。でも、それは上司との相談だという話もした。確かにそうだ。でも、上司に、酔っ払

って転んで骨折して仕事を休む、とは非常に言いにくい。だからと言って、嘘をつくわけに

もいかない。道子にも相談してみるか。彼女はどんなアドバイスをくれるだろう。たまに彼

女の声を聞きたいが、明日以降に帰ってくるから我慢しよう。メールにしておく。病院から

帰宅してメールをしよう。治療は腕を固定するためにギプスをしてもらい、痛み止めも処方

してもらった。それから、受付の前に移動し、会計を済ませた。痛いのは相変わらずでアパ

ートに帰宅してすぐに道子にメールを送った。

<こんばんは。元気になったか? 俺は相談したいことがあってメールしたんだ。内容は、

昨日、友達と居酒屋に行って来たんだけど、帰りに車から降りる時つまづいて転んで左腕を

骨折したのさ。病院で診てもらったら、治るまで3週間くらいはかかる、と言われたんだ。

医者は出来れば休んだほうがいいと言ってるんだけど、道子はどう思う?>

 2時間くらい経過してからメールが来た。相手は道子からだ。本文を開いた。

<だいぶ元気になったよ、ありがあとね。何やってるのさ~、そんなに休んだら会社クビに

なるんじゃないの? それに上司に酔っ払って転んで骨折したから休みます何て言える?

>最もな意見だ、さすがは道子。うーん、言い辛いけれど、骨折したのは事実だしなぁ。

<じゃあ、どうしよう?>

 少し間が空きメールが返ってきた。

<酔っ払って転んだ、というのが印象悪いから、嘘つくことになるけど、散歩してて転んだ

と言ったらは?>

 確かに印象悪いよなあと思った。だから道子の意見を取り入れよう。

<上司にはそう言うわ、ありがとな、アドバイスくれて>

<いや、いいけど>

 一旦、メールのやり取りは終えた。


 翌日の月曜日。俺は朝4時30分頃、会社に電話をした。課長の|島崎努《しまざきつと

む》はまだ出社してないのだろうか。確か、島崎課長の出勤時刻は5時なはずだ。電話をす

るのが早かっただろうか。俺の出勤時間は4時30分。もう少ししてからもう一度電話をし

よう。腕が痛くて病院で痛み止めをもらったので1錠飲んだ。30分くらい経ったが痛みは

少しも和らがない。

5時くらいになったので会社にもう一度電話をかけた。3回程呼び出し音が鳴り、繋がった。

「もしもし、神垣です」

『おう、おはよう。どうしたこんな早くに』

「実は昨日散歩していて転んだんですよ。その拍子に左腕で体を支える形になってしまい、骨折したんです」

『ええ! 本当か?』

「はい。それで完治するまで医者が言うには3週間くらいかかるらしくて」

『そんなにか。それで?』

「それで、治るまで休暇をもらいたいと思って電話しました。」

 島崎課長は黙っている、考えているのだろう。

『それは3週間くらい休むということか?』

 俺は言いづらかったが、

「はい、そうです。有給も10日くらいあるはずだし」

『運転も出来ないのか? 左腕なら右腕でハンドル握ったり、まあ、チェンジレバーは反対側にあるから手間取るかもしれないが。何とかならんのか? 有休だっていっぺんに10日もとるのは会社としても困るぞ。』

 俺は自分の思った通りにいかないので腹が立った。

「じゃあ、俺の腕がどうなってもいいと思ってるんですか?」

『そんなことは思っていない。そうだな、とりあえず社長に相談してみるよ』

「わかりました」

『それと今日は仕事休むのか?』

「社長次第ですけど、出来れば休みたいよ」

『わかった。それも、社長に言っとくわ』

 話しは終わり、電話を切った。


 朝7時30分くらいに会社から電話が来た。島崎課長だ。その時俺は眠っていた。慌てて起きて電話に出た。

「もしもし、お疲れ様です」

『神垣、社長に話してみたぞ。有休の分は休んでいいが、それ以降は休んだら駄目だそうだ』

「マジですか? こんな状態で?」

『そうだ。お前の不注意でそうなったんだから仕方ないだろ』

「それはそうかもしれないけど……」

 社長は非情な人だと思った。

『それに社長は、お前の給料も上げたし、頑張ってもらわないと、と言ってたぞ』

「そうですか……」

 昇給したことを言われると反論しづらい。でも、

「それとこれとは別じゃないですか?」

『まあ、おれもそう思うがな。社長がそう言うのだからおれは何も言えないぞ』

 社長の言葉は絶対と、島崎課長は思っているのだろう、会社内では確かにそうだ。クソ親父が! 俺はそう思った。

「俺は治るまで仕事を休む! 仕事よりも自分の体のほうが大事だから! クビになる覚悟はある!」

『そっか! じゃあ、好きにしろ!』

 そう言われ電話を切られた。

 俺はおかしくない。まともな人間だ。社長がおかしいんだ。


 その日の夜、道子からメールが来た。

<明日、帰るから。空港まで迎えに来てね>
<わかった、迎えに行くよ>

 俺は道子が帰って来るから嬉しくなった。

<何時発だ?>

<21時発で22時35分に新千歳に着くよ。あ! そういえば腕大丈夫?>

<うん。痛いよ。だから、社長には休んだら駄目だと言われてるけど、無理矢理休むよ>

<え! それ大丈夫なの?>

 俺はその短い文面を読んで笑ってしまった。心配してくれているんだなぁと思って。

<それは分からない。骨折してるのに休めないのはどうかしてるよ。まあ、確かに給料に

響くけどな>

<それもそうだけど、会社の業務が回らなくなるんじゃないの?>

 確かに道子の言っていることは合っている。給料ばかりの話ではない。それは後からついてくるものだから。

<仕事行きなよー。無職になったらどうするの?>

 痛いところをついてくる。さすがだ。

<でも、最近ではどこも人手不足だから無職になっても仕事は見つかるよ>

<凄い自信ね。前からそんなに自信家だった?>

 自信家、そんなわけない。でも、

<ああ、何にでも自信はあるよ。言わないだけで>

<へー、凄いね!>

<すごいだろ!>

 それ以降、メールのやり取りは一旦、途絶えた。


 腕がズキズキ痛む。でも、道子のメンタルが回復したみたいで良かった。病気というわけではないだろうから、いずれ良くなるとは思っていたけれど。


 今度の問題は俺の左腕の骨折の事。これもいずれ治る。でも、それまで休んで解雇にならないかどうか。もし、クビになったら生活が立ち行かなくなるし、道子との交際も怪しくなる。だから、それだけは避けたい。


 彼女は仕事に行きなよ、と言っている。無理をするのは俺も道子も承知の上。金の切れ目が縁の切れ目という言葉がある。意味をネットで調べてみると、男と女の関係は金が無くなった時点で終わりになる、と書いてあった。そうはなりたくないので、やはり働くしかないのか。でも、かなり痛い。我慢するしかないのか。それにしたって、限度というものがあるだろう。


 そういった話をメールで道子に伝えると、お金がないからって振ったりしないよ、と言ってくれた。どうやら薄情な女性ではないようだ。よかった。

「運転するだけなら出来ないの?」

と言われた。

「それで、荷物を降ろすのは他の従業員にやってもらうとか」

名案だ、だが、従業員が足りないのではないのか。まずは、島崎課長に伝えてみよう。


もう1度、会社に電話をした。女性が電話に出た。事務員の女性だろう。

「もしもし、神垣だけど」

 事務員は俺からの電話に驚いたのか、

『あ! 神垣さん。今日はお休みですか?』

「うん、骨折しちゃってね。島崎課長、いる?」

『え! 大丈夫ですか? 島崎課長はいらっしゃいますよ』

「ちょっと変わってもらえる?」

 少ししてから島崎課長は出た。

『もしもし、どうした?』

 俺は、道子から聞いた話をあたかも自分の考えのように話した。

『そんなの従業員が足りないから無理だ』

 簡単に一蹴されてしまった。

「ですよね」

『神垣。お前は彼女いるんだろ? 結婚する気なら仕事に来い』

 そう言われてムカッとした。

「仕事には来ますよ! ただ、今回の場合は酷い怪我なので何度も言ってるんです」

『だから、それは社長も言っている通り、無理だ! 出勤しろ!』

 相変わらずムカつく上司だ。無茶苦茶だ。

「俺は出勤は治るまでしません! 3週間」

『社長は10日分の有休は使っていいと言ってたらしいな。残りは11日か。頑張れよ!』

 島崎課長は一歩も引かない。クソッ! 仕方ない頑張るか! その思いを伝えた。

『そうこないとな。10日も休めばだいぶ良くなるだろ』

 まるで他人事だ。そんなもんか。少しは良くなればいいけれど。心配してくれるのは、道子しかいない。


 とりあえず今日から10日間は有休だ。後で有休の書類を書いて来る。午後からでも。


 午前中は痛み止めを飲んでから寝ていた。


 道子は明日、月曜日に帰ってくる。ようやく会える。寂しかった。治るまで夕食作りに来てくれないかな? 一応、訊いてみる。メールを送るか。

<道子、明日ようやく帰ってくるな。俺は嬉しいよ。ところで、腕がこんなだから夕食だけでも作りに来てくれないかなあ。無理ならいいけどさ>


メールは夜返って来た。内容は、

<いいけど、夜7時半過ぎになるけどいい? 夜飼いがあるからさ>

<うん。それでも構わないよ。作りに来てくれるだけで有難い>

<そう、それなら行くよ>

<サンキュ!>

 今夜は、コンビニ弁当にしよう、量が少ないからあまり好きじゃないけど。


 明日は時間までに新千歳空港まで道子を迎えに行く。明日、痛み止めを少し規定より多く飲もう、本当はそういうことをしちゃ駄目なんだけど。規定量は15歳以上は1回3錠だけど、5錠飲む。それくらい強い痛みだから。


 新千歳空港に着く時間をネットで調べた。12:40成田空港発で14:30新千歳空港着の便がある。これに合わせて迎えに行くか。道子にもこの時間帯で行くように言わないとな。

14:30前に着くように行かないと。早速メールをした。

<明日は14:30前に着くようにバスでいくから。だから、そのつもりで帰って来てくれ>

 少し経ってからメールが返ってきた。

<わかった>

 という短文だけだった。どうしたのだろう、ずいぶんと素っ気ないなぁ。気にはなったがそれについては何も触れなかった。


 明日、再会するが道子の声が聞きたい。我慢出来ないくらいの衝動だ。だから訊きもせず、電話をかけた。5~6回呼び出し音が聞こえたが繋がらなかった。なぜだろう? なぜ、繋がらない。


 それから15分程経過してからメールが来た。誰から来ているのかなぁ、と思って見てみると、道子からだった。本文を見ると、

<ごめん、お坊さん来てた。今日、お参りしてもらう日だったみたいで。もう夜になるというのに来るなんて>

 俺はすぐに返信した。

<そうだったのか、それは悪かったな>

 彼女もすぐに返信してくれた。

<いやいや、謝らないで。順二は悪くないから>

 そうか、と思った。そして、

<電話していいか?>

<メールじゃだめ? 両親が傍にいるからさ>

 やっぱりそうか。

<俺は道子の声が聞きたいのさ。どうしても無理か?>

 少しの間、メールは止まった。どうするか考えているのか?

<私、外に出るから電話にしよう!>

 その手があったか、よく気付いたな、さすが俺の女。

<サンキュ! 外に出たらかけて来てくれ>

 メールは来ないで電話が来た。ヤッタ! ワンコール目で出た。

『早っ』

「だって一刻も早く道子の声が聞きたいと思ってたからさ」

『そうなんだ、ありがと。話って何?』

「俺、有休使い終わったら退職しようかと思って。会社にも迷惑かけたくないし」

『うーん、でも、すぐに仕事見付かる?』

「見つかると思う」

『凄い自信ね』

「凄い自信だろ」

『でも……』

「でも?」

『順二に辞められたほうが迷惑なんじゃ?』

「うん、それも思った。でも、長い目で見て、だらだら休むより良いかと思って」

『だらだらって言っても、有休抜いたら11日休むだけでしょ。それなら解雇になってからでも話は遅くないんじゃないの?』

「んー……、確かにそうかもしれないな。よし、納得した。そうするわ」

 俺の彼女は何でこんなに頭が良いのだろう? 俺とは大違いだ。俺はアホだから。それを伝えると、

「そんな! アホだなんて! そんなことないよ。ただ、私は女だから男性より気付きが少し多いのかもしれないだけよ」

 フォローもうまい。今のところ嫌な部分はない。髪も茶髪でロングヘア―だし、出るところは出て、引き締まるところは引き締まる、スタイルは抜群だ。性格だって、動物が好きなお陰か優しい。これ以上の女性は俺は知らない。


 翌日になり、俺は夜の高速バスに乗った。新千歳空港行きのバスだから間に合うだろう。


 バスは予定の時刻に到着した。それと同じくらいにジャンボジェット機も着いた。


 俺は今か今かと空港で待っていた。


そして、前島道子の姿が見えた。俺は近づきながら彼女を見詰めていた。俺の姿を見付けたらしく、笑顔を浮かべながら手を振っている。俺も手を振り返した。


帰宅して、こんなに嬉しい相手はなかなかいない。


「おかえり!」

「ただいまー!」

 

 俺は左腕の痛みを忘れて両手で道子を抱き寄せた。

「あ! 腕、大丈夫?」

「忘れてた。言われたら痛くなって来た」

「アハハ!」

 彼女は声を大にして笑った。


「寂しかったぞー!」

「そうかぁ、ごめんね。寂しい思いさせて」

「ホントだよー」

 俺は内心どっちが女か分からないなと思った。そう思うと途端に可笑しくなってきた。

「何で笑ってるの?」

「いや、寂しいって俺が言ってて、どっちが女だか分からないと思ったから」

 あは! と道子は笑った。相変わらずよく笑う明るい子だ。こういうところが俺は好きだ。


 帰宅してから俺は彼女を家に呼んだ。道子は明日から仕事。朝4時までに出勤しなければならないらしい。だから、そんなにゆっくりもしていられない。泊まっていって欲しいがどうだろう。訊いてみた。

「道子、今夜泊まっていかないか?」

 彼女は少し考えてから、

「うん、泊まってく」

 と答えた。嬉しい。

 道子は昼ご飯を食べてないだろう。なので、

「飯、食いに行くか? 何も食べてないだろう?」

「そうね、ラーメン食べたい」

 彼女は笑みを浮かべている。

「俺もラーメンにする。味噌ラーメンがいいな」

「じゃあ、今からいこっか」

「ああ」


 

 こうして僕らの日常が再開した。腕の骨折もあるから仕事のほうはどうなるかわからないが、なるようになる。これからも大好きな道子と一緒に幸せな生活をしていきたい。


                            (終)

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