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#28 狂った水の部屋

浅蜊の砂抜きをする。

これは昨日の話だが、おそらく、自分で浅蜊の処理をするのははじめてだった。そもそも、小さい頃から貝類が苦手で、浅蜊やシジミの味噌汁やらが出てくると「海の味がする…」と嫌がって汁だけ飲んでいた。

貝の中身がちょっとグロテスクで、海水の味がするのがすごく嫌だった。だが、いつからか、シジミの味噌汁を飲むと「しみるぅ……」などと言いだし、回転寿司ではいのいちばんにシジミの味噌汁を注文し、あんなに嫌いだった浅蜊のはいったパスタなどを注文するようになったりと、人の味覚っていうのはよくわからない。

しかし、実際に浅蜊をスーパーで買ってきて、キッチンでパックから出したときにぎょっとする。これ、生きてるんだよね……。そう思うと、なんだかドキドキする。あまりよくわかってないままに、とりあえず塩水につけて、暗くしてればいいんだよね、と思いお皿にあけて、塩水に浸す。

その光景を見ていると、ああ、昔もこんなことやってたなあと思い出す。よく、小学校から帰ると母親が夕飯の支度をしていて、テーブルのうえで浅蜊がピューピュー顔(?)を出して潮を吹いている。

でも、たぶんぼくがあんまりにも嫌がるからか、いつのまにかその光景を見なくなった。

いま、その光景を目の前にして、なんだか申し訳ない気持ちになる。これから、調理される浅蜊と、これまでに汁だけしか飲んでやらなかった貝と、こんなにおいしい浅蜊の味噌汁を嫌がってしまった母親に。

ただ、ぼくの浅蜊はなんだか、勢いが弱い。あれ、もっとピューピューやってたと思うんだけど……。死んでるのかな。どうも、貝をふってカラカラいうものは死んでるらしいが、コンコンやっても身が詰まっている感じしかしないので生きてはいるのだろう。

なにが、と思ってYouTubeで浅蜊の砂抜き動画を見てみる。最近の情報源はYouTubeになっているのがおもしろい。視覚的に理解した方が圧倒的にはやい。昔でいうと「伊東家の食卓」的な生活の知恵をよってたかってネットにあげてくれているのはいい時代になったと思う。

ひとまず、今回は時間もないからと思って、多少ジャリっといってもいいだろうと思って、そのまま料理することにした。

いいパンが届いたので、それに合わせてアクアパッツァをつくろう。

さて、アクアパッツァの作り方を調べる。Googleで検索すると無限に出てくる。なになに、魚、ニンニク、白ワイン、パプリカ、トマト……か。パプリカはピーマンでもいいかなあなどと思って、いろんなレシピを見てみるが、だいたいこんな感じのレシピだった。

YouTubeでも見てみようと思って検索すると、またたくさん出てくる。短い動画から見ると、やはり同じようなレシピ。なんだか、おじいちゃんYouTuberの動画にほっこり癒される。自分のことジジイって言っててかわいい。

だが、いちばん上に出てくるいちばん怖い動画がある。なにせ20分くらいの尺があって、気軽にレシピ知りたいだけのアクアパッツァ初心者勢には少し抵抗感があった。しかし、「YouTube史上最高」とされている動画を見ないわけにはいかない、と勇気を出してみてみる。

最初に鯛の解剖(違)からはじまる。うおお。一尾の魚をまるまる調理するのはぼくには無理だと思った。いや、なんかぼくが知りたいのはこれじゃないんですけど……なんて思っていると、調理の段にうつる。

日髙良実さん…?どなた…?などと思って話を聞いていると、ぶっきらぼうだが、たしかな自信と技術を感じる。一つ一つの工程で、それはうまいと思わされることばかり。あっという間に見終わって、他の動画にはない充実感を味わう。ああ、うまかった……(違)

いちばん驚いて何度も見返したことは、あれ、ニンニクは? 白ワインは?っていうことだった。他のレシピで当たり前のようにあるニンニクと白ワインがない。野菜もトマトだけ。そんな、と思ったが、よく考えれば、日髙シェフがやっていることは、素材から旨みを限界まで抽出しているのであって、それでまずいわけがないのだ。

かえって、いろんなものが入りすぎることで、ぼやっとした味わいになってしまってはいけない。そう納得して、買ってきた真たらの切り身に塩をふって、オリーブオイルで焼きはじめる。

切り身だけど、よく皮を焼けばおいしいでしょと思って、よく焼き色を付ける。それから飲んでいたミネラルウォーターをいれて煮込む。オタマで煮汁をすくっては魚にかけてを繰り返して旨みをよく出していく。

いい感じに煮汁が出てきたら、ここで浅蜊を加える。ジュワワっと音をたてる。貝たちがたまらずひらいていく。強火で煮立たせつづけて、さらにオリーブオイルを加えて、乳化させていく。最後にプチトマトをさっと煮て、完成。

おお、はじめての本格アクアパッツァ。ということで、パンもトーストして、食べてみると、うん、はじめてにしては上出来だ。こんなにうまいのかアクアパッツァ。アクアパッツァはイタリア語で「狂った水」らしく、たしかに煮込むだけでこんなにうまいんだから狂っている。

漁師は、海水で調理したらしいので、それはいい塩加減で、天然ミネラルのいいダシがでてそれこそ絶品だったろうと思う。残ったソースをパンにつけて食べても、また唸るようなおいしさだった。

そういうわけで、しばらくアクアパッツァを作り続けるかもしれない。が、日髙シェフの動画に「ボンゴレビアンコ」があった。これは、残った浅蜊さんが使えるではないか。ということで、今夜はボンゴレビアンコを作った。

これがまた絶品で、これだけやったらおいしいに決まっていると確信を持って調理をした。それなりにパスタはこれまでにも百回以上は作ってきたので、これはおいしいとわかった。

長田弘の詩に「言葉のダシのとりかた」というものがあるが、こうして、丁寧に素材の旨みをひきだしていくのは調理も、詩も同じなのだなと思う。

浅蜊の砂抜きをする。生きた浅蜊を調理する。

言葉の下処理とは、どんなことをするのだろうか。生きた言葉を調理する。新鮮な言葉を、いかに旨く調理できるのか。それが、その素材への礼儀のようなものだ。

美味しく調理して、美味しくいただくこと。

いただきます。

ごちそうさまでした。

そんな詩を書く。

【蒼馬の部屋-dialog-】
#06 2020.05.17(SUN) 21:00〜
ゲスト:野々原蝶子さん
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詩集『永遠という名のくじら』(私家版)
「日本海新聞」にも多数投稿詩掲載。

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