見出し画像

#29 私の頭の中まで入ってきた泥棒の部屋

韓国の詩を読む。

「愛の不時着」を見て以来、韓国愛が高まっている。いまは仕事が増えてきたのでなかなか新しいドラマを見るチャンスがなくなってきたが、また時間ができたら「アルハンブラ宮殿の思い出」や「トッケビ」を見てみたい。

そんなときに、Twitterを見ていたら『私の頭の中まで入ってきた泥棒』(CUON 2020.3.31)という呉圭原(オ・ギュウォン)さんの詩選集が目にとまった。オ・ギュウォンなどという人ははじめて知ったし、韓国の詩を読むのはたぶんはじめてだ。

ちょうど昨年末に韓国に行ったとき、地下鉄のホームに詩のようなハングルがたくさん書いてあったのを見て、韓国には駅に詩が書いてあるのかと羨ましく思ったりもした(本当にそれが詩だったのかはわからない)。

そして、そうだ、韓国にも詩があるんじゃないか。いったいどんな詩を書くのだろうと思って、ちょうど関心が高まっているときだったので、そのままAmazonで注文してしまった。

勢いで買ってしまって不用意かもしれないが、帯文にこうあった。

詩を勉強したいという
狂った弟子と座って
コーヒーを飲む

これだけで、このなかにおさめられている詩が、まちがいなくいいものであるにちがいないと思った。なぜかはわからないが確信があった。そうして、今日の午前中にポストに届いていた。

午前中の仕事を終わらせて、昼食にトーストとホウレンソウのソテーとレタスのサラダとキムチとブルーベリーヨーグルトを食べて、よし、一息つくかとポストにとりにいき、封をあけた。

すると、思ったより小ぶりな本がそこにあった。これはほぼ新書サイズ。ハンディで、どこに持ち歩いても邪魔にならないサイズ感。紙の表紙がすべすべしていて気持ちがよい。

ひとまず、ソファに座って読みはじめると、どうやら年代順に、詩集の抄録がされている構成になっている。いちばん最初にあらわれるのは1971年の『明らかな事件』という詩集だ。

 現況B



あなたにそっぽを向かれた現実の
裏庭の片隅で
神の左足の
かかとが摘発される
紛失した眠りが
数輪のリラの花が
摘発され
屋根の下の垂木では
古い蝶番が摘発される

あなたの机の引き出しには
郵便料金に申し訳なさそうな顔をしながら
封筒が座っている
天使が食べ残した
追憶のパンのかけら
その横に
午前二時の
陰気な明かり
おお 聞かないでおくれ
それが何なのだと

初期の詩は、物が擬人化して描かれることが多い。「郵便料金に申し訳なさそうな顔をしながら/封筒が座っている」という「封筒」の存在感が印象的だ。そして、前半の「摘発される」という危うさが、この詩人の詩語だ。こうした鋭さは、生涯の詩を通じて一貫している。

小さな付箋をとりだして、いいなあと思った詩に付箋をつけていこうとすると、付箋をとる手がとまらない。このまま全篇につけなければならなくなりそうだ。と、思った時点で、よし、散歩に出ようと決めて、外に出た。

もちろん、この詩集をズボンのお尻のポケットにしまって持っていく。

今日はずいぶん暑い。日差しも強いので日焼け止めクリームを塗ってきた。川沿いを歩こうと思って神田川を目指す。まえに行った方とは逆方面に歩いていくと、すぐに公園につきあたる。川沿いはボウフラがわきまくっていて不愉快なので、日陰のベンチのようなところがいいと思って、ちょうど藤棚の下にベンチがあった。

誰も人がいないので、寝っ転がった。風を身にうけて、葉ごしの光が気持ちいい。持ってきた詩集をふたたびひらく。付箋をつけつづける。しばらく読んでいると、あまりの気持ちよさにうとうとしてきて、すこし目をとじる。

(あまりに、よすぎないか、この詩集……もちろん、生涯に出した詩集のなかから、いいものを選んだ、いわゆるベストアルバムだから、すべてがオリコンチャート1位レベルのシングルばかりだと思えばそうなのだが……)

裏切りを知らない詩が
あるというなら言ってみろ
意味するすべて
裏切りを知っている 時代の
詩が裏切りを知る時まで
チューチューバーを吸っている
あの女の唇を
詩だと言ったらいけないか
(「バス停で」)

実に思索的な詩が多い。すさまじい切れ味の思考が、そのまま詩になっている。ここにすべての詩を全文引用したくなるほどにその魅力を伝えたいが、その作品以上の言葉をいまのぼくは知らない。

原文がどうなっているのかは韓国語がわからないぼくにはまったくわからないが、翻訳もとても自然で、日本語の詩としても十分味わえる、というよりむしろその完成度はかなり高いものと思われる。いつまでも読んでいられるし、読み終わるころに、いつもハッとさせられる。

先にあげた帯文の詩がついにやってくる。「フランツ・カフカ」という詩だった。

「MENU」とあり、ボードレールが八〇〇ウォンだとか、ガストン・バシュラールが一二〇〇ウォンだとかという、作家と値段がならんでいく。そうした末に、「詩を勉強したいという……」がきて、もう二行付け加えられている。なんて書いてあるのかはぜひ、手にとって読んでみてほしい(決して出版社のまわしものではありません。ネタバレがいちばんよくないと思うので)。

これを読み終えたときに「なーんだよ!」と声をあげてしまった。となりのベンチで新聞を読んでいたおじさんがこちらを見た。ぼくは、咳払いをしてむせただけ、みたいなフリをした。

そうしてぼくは最後まで一気に読み終えた。たぶんこれは何度も何度も読み返して、当面、ぼくのお手本書として読むことになると思う。それくらい素晴らしい詩集だ。

ぜひ、これはみなさんにも読んでいただきたい詩集だ。本当は自分だけで独占して楽しんでみたい気持ちもある。いい店ほど誰にも教えないみたいな心理。しかし、それではいつまでたっても詩が読まれないままだ。いいものはいい。それは、伝えていこう。

ということで、今夜の「蒼馬の部屋」ではもう少し、この詩集についてお話したいと思う。

【蒼馬の部屋-dialog-】
#06 2020.05.17(SUN) 21:00〜
ゲスト:野々原蝶子さん
Twitter @tyou_ko
note https://note.com/kujira_no_uta
詩集『永遠という名のくじら』(私家版)
「日本海新聞」にも多数投稿詩掲載。

ツイキャス https://twitcasting.tv/ssk_aoma
マガジン『部屋のなかの部屋』
在宅勤務でひとり部屋に引きこもった生活の様相を記録しています。そこから「言葉」がどう変容していくのか、アフターコロナにむけた「詩」の問題を考えています。もうすぐ一か月、毎日更新です。ぜひフォローお願いします。

この記事が参加している募集

Web Magazine「鮎歌 Ayuka」は紙媒体でも制作する予定です。コストもかかりますので、ぜひご支援・ご協力くださると幸いです。ここでのご支援は全額制作費用にあてさせていただきます。