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vol26 若者は老人を「愚か」と考えている。正義の不安定さを知らないから

「最近の若者はだめだ」と年配の方が若者に向けて発言する。
まるで若者を下に見ているかのような発言で、不快な思いをしたことのある若者も多いだろう。

ただ実情は、若者の方が過去の人をバカにしているように思う。
バカにしているというよりは「愚か」だと考えている。

たとえば「女は○○だ」みたいな、男尊女卑な発言。
現代でいえば、これは差別的と捉えられるだろう。
「女は家にいろ」とか。

そして、こういった発言をする人間に対し、若者は軽蔑の眼差しを送る。
これはバカにしているのではない。

「何でこんな発言できるんだろう?」
「それが良くない事だとわからないのかな?」

と、少し同情も混じった感情を持つのだ。
そんな眼差しを向けられれば「若者はだめだ」と言いたくなる気持ちもわかる。

昔は正義とされたことが、いまでは悪となっている。そして、気付けば自分が悪として認定され、自分とは反対の(最近の若者の)価値観が正義とされる。自分の年齢の半分も満たない、知識も、経験もない人間に愚かだと思われるのは、すごく不愉快に決まっている。

若者はこれを知らない。
どれだけ、正義が時代によって変化したのかを。

自分が生きた時代が当たり前で、それが当たり前じゃなかった時代があるなんて
想像もできないのだ。

それも仕方がない、そういった教育をされていないから。
現代の正義とされることが教育として落とし込まれ
過去の遍歴を辿ることなく、正義だけを教え込む、そういったシステムなのだから。

たとえば、井沢元彦さんの真・日本の歴史という本で面白い事が書かれている。
多少内容に違いはあるだろうが、ざっくり下記のような趣旨。

戦国時代、辻斬りは当たり前だった。
辻斬りとは、武士が刀剣の切れ味や自分の腕を試すために、人を斬る(殺す)こと。

なぜなら、武士にとって重要なことは敵将を殺すことだから。
そのための練習は重要なのだ。

現代のプロゴルファーが新しいドライバーを購入し
大会前に新ドライバーで練習すると褒められる。

同じように、戦国時代の武士が新しい刀剣を手に入れ
それで人を殺す練習をしていると、褒められたという。

表面的には人殺しをすると褒められるという
現代から見ると恐ろしいと感じる価値観だ。
しかし構造としては同じ、目的を達成するための練習をしているものは偉い、それだけだ。

この時代から1000年ほどしか経っていない。
これを長いと感じるか、短いと感じるかは人それぞれだが、僕は短いと感じる。
1,000年前は当然文化も形成され、機能としては現代人と何ら変わらないだろう。
にもかかわらず、価値観だけでこうも行動が変わるのかも、すごく驚く。

同じように、おそらく現代人の価値観も刹那的なものなのだろう。
「差別がいけない」とか「民主主義」という価値観が、ひっくり返される可能性はありうる。

それくらい、自分たちの生きている価値観は不安定で、可変的なのだ。
それを理解していれば、過去の人を愚かなどと思わないだろう。

少し俯瞰して歴史を見るだけで
過去の人間を愚かと感じる人間こそが、最も怠惰で、無知な様に感じる。

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