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別に最後の晩餐と思ったわけでは無いんだが

腹が減った。インドネシアに到着してから、まだ、まともな物を食べていない。

唯一、食べたといえば、空港の売店で買った、あんぱんだけだ。見たことのないシステムで注文するホットドック屋にチキった結果、隣のキヨスク的な売店で、あんぱんを購入した。僕は、あんこが嫌いだ。でも、あんぱん以外、売り切れている。なぜ、インドネシアに来てまで、小豆を食べているのだろうか。でも、食べたかった。とてもとても、腹が減っていた。

もう一度言う。僕は、あんこが嫌いだ。大嫌いだ。鉄の味がする。しかし、地方の手土産で頂くのは、7割あんこである。もらってすぐに食べなければ嫌な顔をされる場面が多々あり、リハビリを重た結果、ようやく赤福が食べれるようになった。でも、言ってもこしあんだ。粒あんは、無理だ。いくら頑張っても食べれるようにならない。食べると、頭痛になる。

この右手に持っているあんぱん、粒あんである。悔しい。でも、何かを食べたかったのだ。お腹が減ったのだ。初の海外飯、キヨスクの粒あんのパン。悔しい。

僕は、この味を「覚えておこう」と思った。



旅の案内は、コーディネーターのニョンニョンさんにお願いしている。観光地を巡った後、インドネシアらしい市場に連れてってもらう事になった。今夜は、インドネシア人、みんなが大好きだという「ご馳走」を振舞ってくれるそうだ。嬉しい。

食には「人」が出る。同じ料理でも、育った環境、食べた日の思い出で味が違う。その人が辿った道があり、初めて「美味しい」という感想を持つ。それが「食」だ。だから、好きな食べ物には、ふんだんにその人が詰め込まれている。

違う国で育ったニョンニョンさんが、こんな笑顔で「食べさせたい」と言ってくれているのだ。それはそれは、歓迎されていると思えた。僕は「ぜひ、食べさせて欲しい」といった。

初の海外で、この待遇を受けれるとは、僕は恵まれている。




僕が生まれた家は、貧乏だった。

飯を作ってくれるのは、大体、じっちゃんかばっちゃん。古い人間。もちろん横文字の食べ物には、激しく疎い。出てくる食べ物といえば「筑前煮」や「ぶり大根」といった、煮物中心の田舎料理ばかり。「あれが食べたい、これが食べたい」と、ぶつくさ言う僕。仕方なく頑張るじっちゃんは、レトルトの「マーボー豆腐」を作ってくれた。

中学の頃、部活の帰り道、幼馴染の拓と自転車で帰宅していた。拓はおもむろに「デイリーで晩御飯を買いたい」と言った。僕は、目を丸くした。コンビニで晩ごはんを買うなんて、僕からしたらハイカラな事だった。彼が買い終えるまで、外で待っていた。彼は戻って来ると、流れるような動作で袋を開け、買い食いを始めた。

衝撃が走った。幼馴染が食べ始めたのは【クラムチャウダー】という食べ物のようだ。知らない。なんだその食べ物は。クラムもチャウダーも聞いたことが無い。「知らないの?クラムチャウダー」僕は、スリランカのラッパーか何かだと思った。今夜、我が家は、ひじきと里芋だ。

味が、気になる。財布の中身を見た。小遣いが、毎月500円だった僕は、398円もするクラムチャウダーを買う事は出来ない。今月は、残り21日。102円では、到底、生活が出来ない。仕方ない。彼が美味そうに食べる姿を、指を咥えて見た。内心、悔しさで気が狂いそうだった。僕は、クラムチャウダーの味を、匂いから導き出し、想像しながら、指を舐めた。

数分間、我慢したが、見ているだけの状況に耐えきれなくなった。僕は恥を捨て、決死の覚悟で「一口ちょうだい」とせがんだ。すると、彼はこう言った。

「遠藤君って、食い意地すごいよね」と。

僕は「いつかコイツを殺そう」と思った。

涙を拭い、急いで家に帰った。靴を脱ぎ捨て、仏壇に手を合わせ、僕は、先祖に「アイツの知らない食べ物を、食べさせてくれ」と、お願いした。

僕は、なんでも食べたい。

僕の根源にある、食への欲求。それは、紛れもない「食い意地」だ。




市場に着いた。匂いが、日本とは大きく違った。

ご馳走。何だろうか。さっきのニョンニョンさんの態度を見るからに、僕らで言う「鰻重」程のテンションだった。さすがに元太君ほどではないが、僕も、鰻重には目がない。それに加え、本日、あんぱんしか食べてない。全く、楽しみである。


振舞ってくれるご馳走は「豚の丸焼き」だった。

確かに「〇〇の丸焼き」って料理は聞いた事がある。何かをそのまま焼くのだ。が、こんなにも「丸焼き」だとは、想像もしていなかった。小さな移動式の店。持ち運べるように、折り畳み机とパイプ椅子。押して移動が出来るように取っ手、タイヤ。毎晩ここまで運び、経営していると言う。めちゃくちゃ海外だ。日本じゃ見ない。

僕が座った席の目の前、子豚なんかじゃない。大きな大きな、豚。立派な豚。この豚、ケツに取っ手が付いている。下から火。炙られる豚。店主のおばちゃんが、豚をくるくる回している。「丸焼き」だ。まさに「丸焼き」だ。

正直に言う。鰻重の口からなので、少し残念ではあった。でも、それは紛れもなく僕の想像の所為で、ニョンニョンさんは、何も悪くない。言えるわけもない。戯言は飲み込み、おばちゃんの調理を眺めた。

焼き上がったのか、おばちゃんは、丸焼きの豚の脇腹を、スプーンでほじくっている。ほぐれる豚。紙皿の上のジャスミンライスに、皮、肉、ホルモンと分け、クリスマスオードブルのような盛り付けしている。見事に、綺麗に、全部茶色である。

「たんと召し上がれ」と、目の前に皿が出てくる。店主のおばちゃんはもちろん、ニョンニョンさん、隣の席で飯を食う知らないガリガリのおじさん。日本人にご馳走を振る舞うのだ。みんな、嬉しそうである。どの国でも、誰かに飯を食わせる事は、嬉しい事なのだ。みんな、笑顔が素敵だ。

スプーンで、すくう。ライスと、豚の皮を乗せる。その様子を、取っ手が付いた豚が見ている。うん、食べよう。「もそもそ、もそもそ」うん。皮が、毛むくじゃらである。毛の処理がされていない。うん。まあ、そうだろう。食感こそアレだが、味は、普通だ。別に不味くない。

咀嚼する僕の横で嫁、失礼のないよう、小さく小さく、小ゲロを飲み込んでいる。そうだよな。僕たちは、大人になってしまったんだ。

ここまで丸焼きだと、豚に、感情移入してしまう。心の中で、店主のおばちゃんに「何も、スプーンでほじくらなくても」とツッコんでいる。僕たちは、豚肉は加工食品で、綺麗に切られた、あの形の食材だと、思ってしまっているのだ。反省すべきだと思った。



先日、政府から「南海トラフ」の情報が出た。

よりリアルに感じる災害。「もしも」を考えてしまう。もしも、家が倒壊してしまったら。もしも、街の機能が停止してしまったら。もしも、怪我で動けなくなってしまったら。もしも。もしも。

何も、空想じゃない。僕は、東日本大震災も、札幌停電も、たまたま、現地で体感した。人から聞く話や、スマホに流れてくる情報は、実際に見た光景と一致する。全然、空想なんかじゃない。

生き残る方法は、具体的に、考えとかないといけない。自分もそう。でも何より、家族を守る方法を、身につけなけないといけない。少なからず、そう思う。

もしも、何かが起きて、もしも、生き残る方法が「狩り」しかなくなった場合、今の僕たちは、死ぬ。なぜなら「豚の丸焼き」を見ただけで、小ゲロが喉を通る。そして、酸っぱくて、喉が痛む。こんなへなちょこ、野生で生き残れるわけがないのだ。食料が底をついた時、森でうさぎに矢を放ち、皮を剥ぎ、捌き、火にかけ、食べる。出来るはずも無い。

食に対して「覚悟」も「感謝」も足りない証拠だ。反省すべきだ。

その命をいただく事は、僕の明日の命につながる。まさに「一は全、全は一」昔、鋼の錬金術師でやっていた。この事なのだ。

だから、せめて「気持ち悪い」と言う理由で食えない、などと言う、うんこみたいなプライドは、外さなきゃいけないと思った。



旅を終え、帰国すると「海外料理はどうだった?」と聞かれる事が多い。「不味かった」と言うと、一様に「最悪だったね」と返ってくる。でも、違うのだ。本当は「不味い=美味しい」なのだ。

どれほど偉いシェフが作った高級料理でも、宗教上の理由で豚を食べれない人がいる。でも、僕たちの国は、豚が食べれる。同じような理由で、僕たちは、犬や猿を食べない。でも、それらの肉を「美味しい」と食べる人がいる。

結局、味は、文化や時代、個人的なその日の感情が乗っかった、不安定な感想でしかない。美味いは不味いになり得るし、不味いは美味いになり得る。

それなのに、味に対する素直な気持ちとは別に、食べれない、食べたく無い事が、僕は悔しい。

購入システムにチキって食べたインドネシアのあんぱん、嫉妬に塗れたクラムチャウダー味の指。あの味が、嫌に忘れられない。新婚旅行で食べた高級フレンチや、結婚記念日に食べた北海道の贅沢ウニ丼は、とても美味しかった。でも、味が思い出せない。

それなのに「絶対不味い」と思いながら食べた、毛まみれ豚の丸焼きや、台湾で食べた5歳児のうんこ味がする臭豆腐は、思い出すと「自分」を感じて、嬉しくなるのだ。知らない間に「美味しかった」に変換されているのだ。

不思議だ。


これからも「食べれない」は、僕が判断する。誰かが「美味しい」と思った料理なら、僕は、犬でも猿でも食う。僕が、食べ、僕が、味を決める。


今の所「世界で一番美味しい料理は何?」と聞かれたら、こう答えるだろう。それは「豚の丸焼きだ」と。

いや、嘘だ。流石にウニ丼の方が美味い。

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