見出し画像

内省から、生まれる言葉。


大変な役割を引き受けてしまった。

もう、そのことで頭はいっぱい。
過去にも同じことをやって、丸一年プライベートがなくなったような気持ちで、最終的に崩壊したトラウマもある。

でも、もう覚悟を決めたのだ。
あのときと今とは違うし、私も違うし仲間も違う。
きっと大丈夫、と何度も自分に言い聞かせる。


なんだって、自分の選択していること。
……だけど。
自分ひとりだけに関わる選択ならいいんだけれど。それなら、迷う必要はないのかもしれないけれど。

自分以外が関わってくる選択は、いつだって難しい。
それこそ、家族のことなんて、子どものことなんて考えなくてよければ、全部自分が責任を追うよ、となるんだろうけど。


いやいや、もう弱音は吐かない!
選んでいるのは、私。
強くなろうと思う。
そして図々しく。
自分を犠牲にしない。




先日、おもしろいよ、この方の訳がすばらしくてね、と教えてもらった「自省録」を少しずつ読んでいる。
毎週水曜日の朝にいらっしゃるおじさまが、コーヒー片手に読んでいた。


一時、本屋でもよく並べられているのを見かけた、このマルクス・アウレーリウスの「自省録」。
ちょっと興味があるけれど……でもちょっと敷居が高い、そう思ったことがあるので、なおさら話を聞いていいきっかけだ、読んでみよう、と思った。


すごいよね、2千年近く前に生きた人の残した言葉、だなんて。

重責の生のさなか、透徹した内省が紡ぎ出した言葉は、古来数知れぬ人々の心の糧となってきた。


その時々に感じたことを書き留めたもので、人に読まれることを前提にはしていなかったため、文章が整理されておらず難解な箇所も少なくない、という。

一人の人間が、これほどのことを考えて言葉にしていた、という事実に圧倒される。



私たちが日々、日記を書いたりnoteを書いたりすることも、内省のひとつであるな。

うーん、内省と言えるまでには及んでないとはいえ…
今の自分の心を見つめ、気持ちを書き出すことで、ほんの少し自分から距離をおき、冷静になれる気がする。


不安だ…
いやだ!


そんな渦中から一歩外に出て、そう、今自分はこんな気持ちでいる、と思う。
いやだよね、でもやれるよ、と慰められる距離までこれる。

今日もそうだ。

そうやって、一歩一歩進もう。
そろそろと。



今日もこうやって無事終えられることに、感謝。





この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?