職種は変えず、働き方を変えた話。
こんにちは!フリーランスで広報PRをしています、えなりんごです。
ふと、これまでの働き方やこれからの生き方を考える機会があったので、まとめてみました。
2020年3月…新型コロナウイルス感染症への恐怖が広がり、初の緊急事態宣言発令が決まった頃、私は転職活動をしていました。
転職の理由と目的は広報という職種は変えず、働き方を変えること。(理由は他にもたくさんあるけどもう終わったことなので言及しません。笑)
八尾トーヨー住器が取り組む理念経営やSDGs・テレワークへの考え方、何よりも代表の「生涯安心して働ける会社をつくる」「ライフイベントによる離職者ゼロを目指す」という考え方に深く共感し、この会社を選びました。
「ひとり親だから」で、あきらめない
私は今、3人の子ども(中1・小6・年中児)と暮らしています。
これまではどちらかと言うと(いや、完全に)仕事 > 家事・育児という生活。「同年代の男性と同等の年収になる」ことを目標に(元旦那への意地を糧に)仕事をしてきました。離婚当時は上の子たちが3歳と2歳、熱は出すしケガもするし…2人が大きくなって保育園からのお迎えコール地獄が終わった頃、未婚のまま3人目を妊娠・出産。
熱さえなければ保育園に預けられるので鼻水が出たらすぐに受診して薬を飲ませる、休日も疲れるようなことはさせない…今思えば常に「仕事を休む」ことに怯えながら過ごしていたように思います。
当時は経営企画・広報IRの兼務で、保育園のお迎えと平日の夕食は両親に任せっきり。上の子たちが卒園するまで一度もお迎えには行ったことがないし、平日一緒に夕食を囲むことはなく、実家で眠る二人を抱えて自宅に帰る日々…
こんな生活でいいのかなと思う反面、任される仕事とともに増えていくお給料のおかげで、スーパーで「お菓子買っていいよ」と言えたり、外食ができたり、お誕生日に希望のものをプレゼントできたり、習い事をさせてあげたり…「普通」の親に近づけている安心感があったのも、また事実。
家と車を買って、ようやく「やっと目標の暮らしに近づけた」と思ったのは離婚から5年が経った頃。安堵の後ろから見えたのは「仕事もまだまだ発展途上だけど、このままでいいのかな」ということ。
当時2年生の娘は成長とともにASD(自閉症スペクトラム)の症状が強く現れはじめていて日常生活や学校生活への影響も大きく支障が出てきた頃。直行直帰やアポの合間を使いながら登校の付き添いをしたり、学校に行けず一人で家にいる娘に昼食を届けたり…
パニックを起こして校内に隠れたり、校外へ脱走した娘を探しに行くことも出来ず職場にも娘にも謝りながら、言い訳をしながら、どうにかこうにかやり過ごしていました。
キャリアアップも子育ても、あきらめない
世の中でよく言われていた「コロナ禍で生き方を見直す人々」のうちの一人がこの私。実はコロナ禍になる少し前、教頭先生から「娘ちゃん、診断を受けませんか?」と相談されました。
これって、学校の先生が親に向かって「娘さんは障がい者だと思う」と言っているようなもの。
よくぞ勇気を出して言ってくれたなぁ…
私のことを信頼してくれているんだなぁ…
もう一人で頑張らなくていいのか…と心が少し軽くなりました。
うちの地域では市で発育相談を受ける→簡易検査→病院を紹介という流れ。病院は半年以上先まで予約が埋まってて「受診可能日が決まれば連絡するので、その時に必ず受診してください」つまり、来いと言われた日に行かなければ、また何ヵ月も先まで受診できないということ。
「あー無理だ、そんなに何回も休めないし急に言われても対応できない」
半分あきらめながら日常をやり過ごしていた私の胸をえぐったのは、校長先生から言われた「お母さん、娘さんの現状について娘さん自身と向き合い、話し合ってください」という言葉。
わかってるよ!と(言ってないよ、思っただけだよ)
涙をこらえながらも(いや、泣いてたかも)仕事を理由に大切な問題から逃げている自分の不甲斐なさが悔しくて恥ずかしくて悲しかった…
モヤモヤを抱えた私にとって強制的に始まった自粛期間の在宅勤務はまさに希望の光でした。
子どもと朝食をとる、登校に付き添う、学校や保育園のお迎えコールに即対応、学校に行かない日は一緒にランチ、毎日家族で夕食を囲む、私が料理したご飯を子ども達が食べる、食後の団らんからのお風呂後にテレビ鑑賞………なんだこの生活!!!!!
こんな幸せがあったのか!と青天の霹靂?頭を殴られたような衝撃?うまく言葉で表現はできませんが(広報なのにね)とてつもない驚きでした。
何よりも「会社行かんでも、仕事できるやん」という実感と手ごたえ…
あー、これだな。仕事もバッチバチにやるけど、子育てもあきらめない。だって子どもにとって親は自分しかいないんだから。そんな中出会えたのが、コロナ禍ではなく働き方改革として在宅勤務やテレワークに取り組む会社。
八尾トーヨー住器に入社して1年半。
在宅勤務で時間にも心にも余裕ができたおかげで(時には学校や病院でPCを叩きながら)娘はASDと診断され、カウンセリングや発達訓練を受けながら適応指導教室に通い、たくさんの人のサポートを受けている。支援学級は本人が断固拒否してるのでまだ入れてないけどね。
4月に入学する中学校で入学前懇談の時間を設けてもらいサポートありきで話をきいてもらえるのも、堂々と「サポートしてください」と言えるのもASDの診断を受けたおかげ。
自分の人生を、あきらめない
私は、ひとり親が「キャリアアップを目指しながら子ども達に向き合い、平均的な暮らしをすること」は、とてつもなく大変なことだと思っている。
在宅勤務がいい!と言いたいのではなく、私にとって在宅勤務という働き方が合っていたということ。
自分の理想や暮らし、そのときの状況に合わせた働き方を選択できることが大切だと思う。
楽な子育てなんて存在しない。
保育園の先生にもらった大切な言葉…「乳児はしっかり、肌を離すな」「幼児は肌を離せ、手を離すな」「少年は手を離せ、目を離すな」「青年は目を離せ、心を離すな」
障がいを持つ子、思春期を迎えた子…絶対的な支えが必要な時期や人生に悩み迷いの中にいるとき、親(親同等の存在)でなければできないこと、やるべきことが必ずある。
それと同時に自分の人生にとって今この瞬間は二度と戻らない。
親になったからと言って自分自身の20代・30代を後悔する生き方はしたくないし、キャリアのことを子どものせいには絶対しない。
全部ほしい!いいとこ取り!しても…いいやんね。だってたった一度の人生だもの。(みつをじゃないよ、えなりんごだよ)
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