あなたの選択は「ナッジ」されている。
「みなさん立ってください。」「気を付け,礼。」
「さようならー。」「バイバーイ。」
「またあとでね。」
子どもたちは一斉に動き出す。
(ぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろ…。)
「(子どもたちが帰る様子を見ながら)kaku先生見てください。あれを。」
「何ですか。」
(ざわ…ざわざわ…ざわ…ざわざわざ…ざわ…)
「・・・ってすげええええええ。(笑)」
1.私が見たもの。
集団で下校していく1年生の子どもたち全員が,見事に一直線に書かれた白線の上を歩いているんです。
それだけです。決して渡っていた鉄骨の左側に,透明になっている隠し通路を見つけたわけではありません。ざわざわ…させてすいません。
白線は6年生の体育の時間で使用したもので,校門まで一直線にひかれていました。いつもは元気よくバラバラに帰っていく子どもたちも,見事に白線の上を一列。
中には本当に鉄骨渡りをしてるんじゃないかってくらいバランスとりながら校門まで渡っていく1年生も。
2.あなたの選択は「ナッジ」されている。
選択の自由を残したうえでより良いものに気づかせる誘導を「ナッジ」と言います。(P.20)
「家まで寄り道せず,まっすぐ帰りましょうね。」
と,もし担任の先生に言われていたら,この日の1年生は,言われた通り”まっすぐ”帰ることができました。少なくとも,正面玄関から校門までは,間違いなくまっすぐ一直線でした。
1年生を誘導するためにひいた白線ではないので,世の中にあふれる「ナッジ」とは違うのかもしれませんが,なんとなく日頃私たちが(気づかぬうちに)誘導されながら,より良い選択に進んでいるということを,1年生の様子を見ながら頭の中で考えていました。
3.コロナがきっかけで用意された「ナッジ」
それは「足跡マーク」です。密集になる場所や並んで待っててほしい場所には必ずと言っていいほど,この足跡マークが貼られるようになりました。
保健室,図書室,低学年の教室にも,わかりやすく貼ってあります。大人たちもマークの上に立ってしまうように,子どもたちもマークの上に立っています。
4.そもそも学校内は「ナッジ」であふれている。はず。
足跡マークが増えたのは事実ですが,特別支援学級の教室には,足跡マークがかなり昔から置いてあります。ボロボロなので,みんなそこに上履きを置いているようです。
「あふれている。」と書いたのは,教材的なアプローチで「ナッジ」しているだけでなく,先生方が日頃,子どもたちと関わってく様々な場面において,「より良い選択に誘導していく」指導や支援をしているということです。
「すごいな。この先生。」
と思える私の判断基準には,
「ナッジ」が上手かどうか
もあるんだと,この文章を書きながら考えました。
「はず。」と書いたのは,この「ナッジ」的教育アプローチが超絶難しいと私は思っているということと,この「ナッジ」を上手に子どもたちの指導に活かしている先生にめったに巡り合わないということ。
上手な先生は感覚的にやっているような感じがして・・・。天職だと思います。そういう先生は。
いや意識的なのか。
5.最後に
行動経済学という学問,とても面白いと思いました。ノーベル賞を取ったリチャード・セイラ―教授が生み出した「ナッジ」は,ビジネスや行政の分野では当たり前に活用されているんですね。(気づかない間に誘導されている・・・。)
わかりやすく,説明している本もたくさんあるので,本当に勉強になります。現在も「ナッジ」の研究は盛んなようで,今後の発展がまだまだ期待できそうです。白線を見事に歩いていた1年生も,次の日には見事に散らばって帰っていました。おもしろい!
「ナッジ」を視点に,学校教育を見てみるともう少し面白い発見がありそうです。また別の機会に考えてみたいなと思います。
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