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私が物を書く原点 -3- 脱線先生と娘

予告通り、昨日残ってしまった、この話題のつづきを。

昨夜は、

「いやぁ、また1つの投稿でまとめられなかったなぁ」

と反省の気持ちを癒すように湯船に浸かった。

まだまだ私には文章力、表現力、要約力が備わっていないな…と痛感しながら、

いや、待てよ。

まさか。

先生お得意だった話の脱線、まさかそっちも、無意識のうちに影響を受けていたのか?私!

1人ニマニマしてしまった。

あ、いけない。

ほら、こうやって本題にも入らない導入から、すぐ何でも入れたがるから長くなるんでしょ…

はい、ごめんなさい。本題いきます…

先生からの感想

私たちが毎日ノートに書いて出す日記を、先生は朝の会で集め、帰りの会には感想をつけて返してくれた。

今思うと、メチャメチャ忙しかったのではないだろうか。

それでもいつも、返ってきたノートに一行でも感想が書いてあるというのは、やっぱり嬉しいものだった。

先生は感想の中で、なにも注意しなかった。

漢字の間違いこそ直してくれていたかもしれないが、主語がないことや、「だ、である」と「です、ます」が混ざっていることなどには、けして触れなかった。

先生の感想はいつも、私たちが何を書きたかったのかの主題を探し、その内容や気持ちの方にしっかりと寄り添ってくれていた。

こんなこと書いていいのかな、こんな内容でいいのかな、不安げに書いた文章でも、先生はちゃんと感想をくれた。

学級通信に掲載し、素直な悩み、みんなも大いに悩もう!みたいなノリで、みんなにも共有してくれていた気がする。

自己肯定感

今でいう「自己肯定感」っていうものなのかな。

先生の感想は、みんなの自己肯定感を確実に高め、さらに書くことへの活力になった。

先生はきっと、日記を国語の授業の一環のような形ではなく、

「自分の言葉で自由に書くこと」を好きになって、抵抗なく表現できる土台作り

に重きをおいていたんだな。

当時はわからなかったけれど、大人になった今、そう感じる。

そして私は、その恩恵に預かりすぎるほど預かって、文章を書き続けられている。

先生との再会

わが娘が幼稚園に通っていた頃。

何気なく先生の名前を検索してみたら、なんとなんと、先生は校長先生になっていた。

メールアドレスの記載があったので、勢いづいて連絡してみると、返事が来た。

「校長室に遊びに来てください!」

わ!

私はさらに勢いづいて、当時の友人に再会ついでに連絡。

娘をつれて友人と3人で、先生に会いに行った。

体格は変わらず、黒かった髪がシルバーグレイになり、笑顔が丸く優しくなった、先生がいた。


思い出話、今と昔の学校の違い。

たくさん話をした。

時間はあっという間に過ぎた。


そんな中、先生は娘にも注目してくれ、

「これから君は、なんだか人生楽しみな感じだねぇ!」

「来年は小学生かー!ますます楽しみな未来しか見えないね!」

「これ、あげるよ!」

帰り際、絵本を差し出してくれた。

宗正美子さん原案・いもとようこさん文 絵の、「しゅくだい」という絵本だった。

嬉しかった。

先生は、変わらず先生だった。

大人になった今も、私は先生から恩恵を受けているのだ、と思うと胸が熱くなった。

そして、その先生からの恩恵を、ひとときでも娘に引き継ぐことができたのも、感慨深かった。

なんて幸せなことだ。

娘も嬉しかったようで、大事そうに、帰りの電車でも胸に抱えていた。

4年生の娘 4年生の私

先生との思い出はこんな感じだ。

文章を書くことを好きにしてくれた先生。

今私は、特に文章を書くことで生活しているわけではないが、こうやってnoteという場所で、自分の文章を楽しんでいる。

そして、いろんな人のいろんな気持ちや考え方、生き方を読むことができている。

書くことが好きになれたから、noteにも出会えた。

先生のおかげだ。

先生に憧れて、一度は先生になりたいと思ったのに、ならなかったけれど。

それなら私は、娘の専属の先生になろう、と思った。

一昨年、娘が4年生になったとき。

文章を書くことに、抵抗を感じているのが気になった。

先生の「文章に対する自己肯定感」の教えを、まだこの時わかっていなかった私は、娘の小学校に上がってからの文章表現に対して、横からかなり口を出してしまっていたように思う。

字を丁寧に、「ですます」と「である、だ」混じっちゃってるじゃん、主語がないよ、これじゃ伝わらないよ、上手く書けているときはすごい文章書けるんだから、もっと考えて書こうよ。

そんなことを言い続けて来てしまったかもしれない。

激しい罪悪感に襲われた。

あぁ、娘の文章を書く気持ちを折っていたのは、私だったんだ。

申し訳ない気持ちで一杯になった。

どうにか取り返したい、と思った。


そこで私は、娘と一緒に、4年生の学級通信を開いた。


学級通信の中の4年生のありのままの私を、娘に見せた。

「見てよ、4年生のお母さんさ、こんなしょうもないこと、日記に書いてるよ(笑)」

「でも、先生はこんな感想を書いてくれたんだよ。」

「他のみんなのも面白いよね。文章って、自分の思いを素直に書いていいんだよね。」

先生、まだ間に合うかな?

間接的にでも、娘にも、今からでも先生の教えを伝えられるかな?


娘は来年から6年生。

あのとき私が、先生の教えをようやく理解してから2年。

娘の、文章を書くことへの抵抗は、かなり弱くなった気がする。


これからも迷ったとき。

私は2冊の分厚い、先生の教えを開こう。

先生は、いつまでも私の先生なのだ。










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