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やはり自分の国の歴史は語れた方が良いだろう。

ご覧いただきありがとうございます。
昨日はこの時間帯から、食事会に参加しており記事を書かず、つぶやきに徹しました。
久々に繁華街を歩いたら、本当に人が沢山。すっかりアフターコロナというか、ウィズコロナというか。でも賑わっている街を見て、嬉しくもなったりしますね。


さて、本日は”歴史”についてのお話。

突然なのですが、数年前からの疑問です。
高校生の卒業必修科目になっているものは、以下のうちのどれでしょう?
・世界史
・日本史
・地理

正解は、いずれも必要。というのが一応の解答。
ただし単位履修上としては、
・世界史(必履修)→必ず履修しなければならない。
・日本史・地理(選択必修)→どちらかの科目を必ず履修しなければならない。

なんですよね。
※ちょっと改変されているかどうか調べずして書いてます。間違っていたらごめんなさい。

つまり、”日本史”にほぼ触れずして卒業することが出来るシステムということになるのです。
→世界史と地理を選択すればよいということですね。

私、これに対して、かなり疑問なんです。
なぜ、自分の国の歴史を学ばずして、歴史を学んだことになるのかと。

というより、外国の方に自国の歴史を語れない、知らないとなると…?
ということにはならないでしょうか。

勘違いしてはいけないのは、
歴史を語る=思想を語る
にならないことなのです。

例えば、戦国時代に関しても、事実と考察を分けて考えながら、視点を変えてみるだけで、大きくそのものの捉え方や多角的な視点を学ぶことが出来ると思います。

例えば、今年の大河ドラマ「どうする家康」についても、色々と物議を醸した内容の部分はあったようです。
徳川家康の正室の”瀬名(築山殿)”を”悪女として描かなかった点。
徳川家康をかなり臆病者のような形で描いている点。

通説からかなりかけ離れているともいえるかもしれません。
ただ近年では、明智光秀の在り方や、豊臣秀吉についての考察なども、この数十年で大きく変わっていったような気がします。

真実はわかりません。
ただし、その時自身がそうした見解を受けたうえで、どのように何を感じ、考えるかが大事なのです。

それが”思想”としての教育にならずに、さてどのように考えますか?
というように投げかける材料になることが大事なのです。
そのためには、最低限の事実・事象は知る必要があるのではないでしょうか。

今、現在我々がここにいることが出来るのは、先人たちが守ってきた、あるいは紡いできた流れを受けているもの。
そうしたその当時の人たちが、何故そのような行動をしたのか、考えを持ったのかなどに想いを馳せていくことが改めて大事なのではないかと感じるのです。

”故きを温ねて新しきを知る”
こうしたことも大事にしていきたいですね。


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#3行日記

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