光田健輔論(7) 偏執と固執(4)
光田の最大の罪過は<断種・中絶>である。なぜ光田はハンセン病患者の未来を断絶する政策をとったのだろうか。
結論を先に書くならば、光田の「癩恐怖症」が「癩菌の絶滅」のための要件として家系の存続を許せなかったのだと思う。まさに「根絶やし」にする以外、光田は納得できなかったのだろう。
古来よりハンセン病は、因果応報の病、すなわち「業病」「天刑病」と考えられたり、血統の病気、すなわち「遺伝病」と考えられたりしてきた。だが、1873(明治6)年に、ノルウェーの医師ハンセンが病原菌(