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心の壁を越えるために

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岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべ…
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#絶対隔離

光田健輔論(49) 変革か呪縛か(4)

<歴史に、もし・たら・れば…はない>とは至言であるが、差別史などを調べているとつい考え込…

藤田孝志
12日前
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光田健輔論(46) 変革か呪縛か(1)

戦前の「光田イズム」は、戦後のハンセン病医療を担った光田らの次世代の医者や厚生省官僚にど…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(45) 不治か完治か(5)

1941(昭和16)年、アメリカで「プロミン」が開発された。当初は結核の治療薬として作ら…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(44) 不治か完治か(4)

大谷藤郎氏は、京都大学医学部で小笠原登氏に師事し、旧厚生省官僚としてハンセン病問題に関わ…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(42) 不治か完治か(2)

私の疑問もまた、なぜ世界の潮流に反して日本独自の「絶対隔離政策」に固執したのかであり、そ…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(41) 不治か完治か(1)

人はなぜ「病気」を恐れるのか。釈迦も人生の苦痛を「四苦」(生老病死)と教えているように古…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(39) 牢獄か楽園か(3)

光田健輔は『愛生園日記』に、「戦争末期の激しい空襲と戦いながら、食べられもしないイモヅルの配給をうけていた一般社会に比べたら、わずかながら耕作地をもち、海水で塩も作ることができる島の生活は、まだましであったかもしれない。」と書いている。この一文を読んだ人たちは何を思うだろうか。戦争の悲惨さや戦時下の暮しの苛酷さを読んだり聞いたりしている人びとは、多分そのままに「まだましであった」と理解するだろう。しかし実態はまったく違っていることを人びとは知らない。栄養失調と患者作業によって

光田健輔論(38) 牢獄か楽園か(2)

戦争の拡大と長期化がハンセン病療養所に隔離された患者の生活をどれほど悲惨な状況に追い込ん…

藤田孝志
2か月前
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光田健輔論(36) 善意と悪意(6)

『ハンセン病市民学会年報 2005』に、泉潤氏による『ハンセン病報道は真実を伝え得たか』(末…

藤田孝志
3か月前
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光田健輔論(20) 浄化と殲滅(1)

かつて全国には大小のハンセン病患者が集団で生活していた場所(地区)が多く点在していた。そ…

藤田孝志
6か月前

光田健輔論(18) 建て前と本音(3)

近藤祐昭氏の『ハンセン病隔離政策は何だったのか』と題した論文について検証している。 断っ…

藤田孝志
6か月前

光田健輔論(17) 建て前と本音(2)

近藤祐昭氏の『ハンセン病隔離政策は何だったのか』と題した論文について検証している。 最近…

藤田孝志
6か月前

光田健輔論(16) 建て前と本音(1)

近藤祐昭氏の『ハンセン病隔離政策は何だったのか』と題した論文は、光田健輔を擁護する立場か…

藤田孝志
6か月前

光田健輔論(14) 権力と人権(7)

長島愛生園に知人や友人の家族を案内して訪れたが、幼い子や引率した中学生を目を細めて眺める入所者の姿を見るたびに、言いようのない悲哀を感じた。実際、「私らには子どもがおらんから、この子らが自分の子どもや孫だったら…そう思ってしまう」「今更の様に、あの時の子どもが生きていたらと思うけど…」と、痛恨の思いを語る入所者を何人も知っている。 なぜ光田健輔は、違法である「断種」をハンセン病患者に強制したのか。果たして彼は、この患者たちの思いを想像できていただろうか、私は疑問に思う。むし