光田健輔の自意識過剰、高慢ともいえるのが、次の証言である。
日本が「一番模範的に隔離事業を実行して」「効を奏して(ハンセン病者数が)三分の一にもなつた」のだから「最も世界で進んでおると考えるわけ」なので、「他国に一つのお手本を示してやる」べきであると、自分が発案して実施してきた「絶対隔離政策」を自慢気に語っている。
専門家として招聘されている光田健輔が語れば、ハンセン病に関する知識や国際的実状の認識に乏しい国会議員は信じ込んでしまうだろう。私が「教訓」とすべきと考えるのが、まさにこのことである。権威者と見做されている人間が、専門知識をもって語れば、たとえそれが間違っていようとも、独善的・独断的な主張であろうとも、人々は信じ込みやすい。後年、この光田の証言が「虚偽」であり「自己正当化」であったことは、成田稔や藤野豊によって看破されている。
和泉真蔵は光田の証言について、次のように述べている。
繰り返すが、専門家の発信する「情報」の恐ろしさである。受け取る側の「乏しい知識と認識」を前提に<操作>することは容易いのだ。パソコンやインターネットが普及した情報化社会といわれる現在においても、否、だからこそ「情報操作」が簡単なのだ。トンデモ説や陰謀論が真しやかに流され、悪用され、人々は容易く「洗脳」されていく。
私は「悪意」と「善意」を見抜くことこそが現代に求められていると思う。始末におけないのが「善意」と思い込んで「まちがった情報」を垂れ流す人間である。
光田健輔の証言の考察を続けよう。この時の光田は76歳である。
「光田証言」の問題の一つ、「ステルザチヨン即ち優生手術」の「奨励」である。光田は「ステルザチョン」(Sterilisation:断種)に相当の自信と信念があるようで、事あるごとに推奨している。あらためて光田の<断種の論理>を簡単にまとめておきたい。
光田が断種にこだわる理由は「家族(家庭)内感染」であるが、さらには感染源であるハンセン病者の存在そのものを絶滅させることにある。ドルワル・ド・レゼーやコンウォール・リーなどキリスト教宣教師が運営する私立療養施設側の反対する男女の関係、すなわち結婚を光田は認める。その理由を「男女別居スルコトヲ強制スルコトハ人道ニ於テハ違フカト思フノデアリマス。男女相倚ッテ一個ノ人格ヲ成シ、…病メル夫ヲ妻ガ世話ヲシ、ソレカラ病弱ナル婦人ヲ亭主ガ世話ヲスルトイフコトモ亦絶対ニ禁ズルコトデハナイカト思ヒマス」と、「人道」を根拠にしているが、本音では結婚を「逃走」防止に利用しているのである。光田にとっては「孤島」に閉じ込めることも、「結婚」によって愛情と性欲を満たして孤独を和らげることも、「絶対隔離」のために「手段」でしかない。ただし、光田は結婚承諾に条件をつけた。それが「断種・堕胎」である。つまり、ハンセン病患者には「子孫」を持たせない。彼らの血筋を根絶やしにすることが「目的」であり、それゆえに「祖国浄化」「民族浄化」という大義名分が成り立ち、光田の主導する「絶対隔離」が政治家や官僚に受け入れられたのである。
光田が「断種」を実施した背景を、藤野豊の考察から抜粋・引用しておく。
男女の関係、結婚を認めない、あるいは禁欲生活を強要するから「脱走」が絶えないのだという実情を解決するには結婚を認めればよい。それは「人道」からも正しい。しかし、それは妊娠・出産を伴うことである。そこで光田は結婚の条件として「断種」を考え出したのである。しかし、それは患者への便宜的な説明でしかない。光田の真意は感染源である患者を子孫も含めて根絶することであった。断種を条件とする結婚を認めて「脱走」を防ぐことができれば、一石二鳥である。
光田がなぜ「絶対隔離政策」に固執したか、なぜ「退所」や「外来(在宅)治療」に反対し続けたのか。その理由もまた「体質遺伝」および「断種」と深く関わりがある。
犀川一夫は「日頃、外部では、退園させない園長で通っていた先生も、実際にはずいぶん病者たちの退園をさせておられた」と書いている(『門は開かれて』)が、その退園者たちは「断種」をしていたのではないだろうかとさえ思えてくる。
<光田健輔>
予防するのにはその家族伝染を防ぎさえすればいいのでございますけれども,これによつて防げると思います。又男性,女性を療養所の中に入れて,それを安定せしめる上においてはやはり結婚させて安定させて,そうしてそれにやはりステルザチヨン即ち優生手術というようなものを奨励するというようなことが非常に必要があると思います。一旦発病するというと,なかなかこれを治療をするには,一見治つたように見えますけれども,又再発するものでございますから,治療もそれは必要でありまするが,私どもは先ずその幼兒の感染を防ぐために癩家族のステルザチヨンというようなこともよく勧めてやらすほうがよろしいと思います。癩の予防のための優生手術ということは,非常に保健所あたりにもう少ししつかりやつてもらいたいというようなことを考えております。
この証言でもわかるように、光田は「その幼兒の感染を防ぐために癩家族のステルザチヨンというようなこともよく勧めてやらすほうがよろしい」と、患者だけでなく、患者の家族にまで「断種」をさせようとしている。光田はハンセン病患者の家族は「体質遺伝」していると思い込んでいる。
自分の考えを正しいと思い込むとき、不確かな情報であっても、それを根拠に持論を強化していく。自説に都合のよい知識や情報のみを取り込み、他説に耳をかたむけはしない。そのような人間の「発信」ほど害毒になるものはない。まして光田のような「権威ある専門家」と見做された人間が発言すれば、虚偽さえも真実と受け取られてしまう。
光田の証言は、日本の統治下で作られた療養所が戦後どうなっているか、収容されていた患者が「逃走」しているのではないか、そして日本に治療薬(プロミン)を求めて、あるいは朝鮮戦争の戦火から逃れて日本に密入国してくるのではないか、という危機感からである。
だが、藤野豊は、出入国管理庁第一部長田中三男の証言などから、この証言は事実ではなく、「風評」「うわさ」の域を出るものではないと述べている。しかし、「ハンセン病医療の権威である光田健輔が証言することで、『風評』『うわさ』が真実であるかのような印象を社会に与えていった」(『ハンセン病と戦後民主主義』)と、光田が国家の政策に与えた影響の大きさを指摘している。私は、このような権威者による「独善性」が国家や社会に及ぼす「錯誤」を教訓として我々がその「真偽」を判断していかなければならないと思っている。
これは療養所における患者の自治会運動への警戒であり、むしろ嫌悪・敵意である。背景には、「特別病室」事件が共産党や社会党の支援によって暴かれたことも関係している。
戦後、各療養所では入所者による自治会運動が活発化し、新憲法を盾にして「特別病室」など数々の人権侵害の事実を暴露して、施設の改善や隔離政策の撤廃を要求するに至った。この患者による運動を支援したのが共産党や社会党であった。
光田は絶対隔離政策が入所者による自治会運動によって崩れることを極度に恐れたのである。それゆえ、懲戒検束規程を強化して自治会運動を抑圧しようと考えたのである。
数十年の歳月をかけて作り上げた絶対隔離政策の牙城である療養所を死守することが光田にとって至上命令であった。ハンセン病の根絶=感染源である患者および血統の絶滅=断種・堕胎であり、それを可能にするのが絶対隔離の療養所であり、そのためには療養所園長に患者を抑圧する懲戒検束権が必要であった。また、この方程式こそが光田健輔が考え、実行してきたものだったのだ。