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心の壁を越えるために

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岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべ…
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2023年11月の記事一覧

光田健輔論(15) 権力と人権(8)

光田健輔のハンセン病対策は「ハンセン病患者の絶滅」である。 患者の「死」をもって「根絶」…

藤田孝志
6か月前
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光田健輔論(14) 権力と人権(7)

長島愛生園に知人や友人の家族を案内して訪れたが、幼い子や引率した中学生を目を細めて眺める…

藤田孝志
7か月前
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光田健輔論(13) 権力と人権(6)

1916年5月11日、全生病院は、北海道庁および各府県に対して、市郡体位で「私宅療養癩患…

藤田孝志
7か月前
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光田健輔論(12) 権力と人権(5)

ある教頭に言われたことがある。彼はかつての同僚であったが、私が勤務する学校に教頭として転…

藤田孝志
7か月前

光田健輔論(11) 権力と人権(4)

今から20年前、「黒川温泉宿泊拒否事件」がおこった。 2003年9月17日、熊本県は「ふ…

藤田孝志
7か月前

光田健輔論(10) 権力と人権(3)

目的や大義のために他者の人権を無視しても構わないという論理が昔も今も罷り通っている。私が…

藤田孝志
7か月前
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光田健輔論(9) 権力と人権(2)

第3回国際癩会議(1923年)において、癩は不治の病ではないとの認識により、治療に重点を置く人道的隔離が決議されたにもかかわらず、光田は大風子療法に勝る治療法はなく、それもほぼ10年で再発するから隔離して治療するのが予防上最も安全であると絶対隔離を主張した。 成田稔氏は「光田らの主導する公立癩療養所の拡張と隔離最優先を掲げて絶対隔離を目指す中で、この対策の前途を危惧した」人物として、当時長崎医専教授から長崎皮膚科病院を開院していた青木大勇の改善意見を紹介している。抜粋して引

光田健輔論(8) 権力と人権(1)

「癩予防ニ関スル件」の制定前後、光田と内務省による絶対隔離政策が進行していく中で、それに…

藤田孝志
7か月前
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