光田健輔論(9) 権力と人権(2)
第3回国際癩会議(1923年)において、癩は不治の病ではないとの認識により、治療に重点を置く人道的隔離が決議されたにもかかわらず、光田は大風子療法に勝る治療法はなく、それもほぼ10年で再発するから隔離して治療するのが予防上最も安全であると絶対隔離を主張した。
成田稔氏は「光田らの主導する公立癩療養所の拡張と隔離最優先を掲げて絶対隔離を目指す中で、この対策の前途を危惧した」人物として、当時長崎医専教授から長崎皮膚科病院を開院していた青木大勇の改善意見を紹介している。抜粋して引