光田健輔論(12) 権力と人権(5)
ある教頭に言われたことがある。彼はかつての同僚であったが、私が勤務する学校に教頭として転勤してきた。そのあまりの変貌ぶりに驚いたが、その時に彼が言い放った言葉が今も記憶に残っている。「立場が人をつくる」と自らの高慢さを正当化して言い放った。彼は「教頭」という「立場」が<権威>をもつと思っているらしい。そして<権威>が<権力>を公認するとでも勘違いしている。
邑久光明園入園者自治会編『風と海のなか-邑久光明園入園者八十年の歩み』もまた、他の療養所で入園者が編纂した「自治会史」と同じく、入園者の苦闘の生活と施設側の理不尽な管理の実態を赤裸々に描いている。<事実>ほど確かな証左はない。入園者の<実体験>と見聞した<事実>が、入園者の筆で書かれている。
患者の証言は<事実>であるがゆえに厳しく、その洞察は鋭い。「光田の子飼い」と言われていたことが何を意味するのか。
<権威>ある立場にある者が<権力>を自由に行使できると勘違いしたとき、下の者もまた自らを<権威>ある者と勘違いし、<権力>を行使する。それが借り物の<権威>であっても…。そして、その<権威>を借りるために<阿諛追従>したり<忖度>したりする。いつの世も同じである。だからこそ、<人権>は社会的弱者から学ばなければならない。<被差別の立場>に身を置いて考えなければならない。<差別者>の立場から<人権>や<被差別>を論じることは欺瞞でしかない。
「特別病室」の顛末を書いておきたい。22名もの患者を虐殺した「特別病室」事件であるが、その始まりは偶然からであった。
舞台は国会へと移った。1947(昭和22)年8月28日、第1回国会の衆議院厚生委員会で取り上げられ、日本社会党の武藤運十郎(群馬県選出)が「毎日新聞」の記事をもとに、政府の見解を糾した。武藤の質問に、一松定吉厚生大臣(民主党)は、実地の調査を行い、真相を報告すると約した。「特別病室」については、「将来絶滅せしむるとともに、今までやった責任についても明らかにしなければならぬ」と決意を表明している。
9月18日の厚生委員会で、調査は共産党の妨害で十分に出来なかったかのような説明をしている。これに対して、武藤は国会として独自の調査団を派遣することを提唱し、これに対して一松大臣は「今御調査に相なるような事実が実在いたしておったといたしますれば、それはまことに重大な国家の不祥事でありますから、私は断固としてこれの責任を問うことはもちろん、将来再びさようなことの起こらないように、もし蜂起の上で欠陥がありますれば、それらの改正法を国家に提出して皆様の御審議を仰いで、再びそういうことの起こらないように努力する」と述べている。
9月26日、調査団の報告が厚生委員会で行われた。武藤は「フランス革命時のバスチーユ監獄を思わせるようなもの」であると述べて、取り壊すことを当然とした。ただ一方で、完全隔離の必要性、「特別病室」に代わる施設の必要も述べている。
これに対して、一松大臣は、11月6日の厚生委員会において次のように発言している。
この一松の答弁の変化は、事の重大さに気づき、さらに「特別病室」の設置を含めた今までのハンセン病政策が光田健輔ら療養所長の意見を鵜呑みにしてきた「厚生省」であることを知ったからであろう。つまり、先のように責任を追及すれば自分で自分の首を絞める結果となることに気づいたからであろう。<権威>や<権力>は、自己保存のために容易く手の平を返す。
一松の発言は光田の主張そのものであり、加島の自己正当化と同じである。藤野豊氏は一松の発言について、次のように批判している。
「日本のアウシュビッツ」である「特別病室」問題は、結局はうやむやにされてしまった。職員の無法の所行を見て見ぬ振りで放置し、追及されて自己弁護に終始した古見園長も休職(のちに医官として邑久光明園に転勤)、直接の責任者である霜崎清庶務課長と加島正利分館長、山口馬吉炊事主任、菅野コト子保母は懲戒免職という幕引きであった。
なお、霜崎と加島は不正行為で儲けた金とともに行方を晦ました。
加島の開き直りとも責任逃れとも言える発言は、ハンガリー系ユダヤ人約44万人を絶滅収容所送りにした指揮者であるアイヒマンの「命令に従っただけだ」という弁明に重なる。アイヒマンの裁判を傍聴した哲学者ハンナ・アーレントは、命令を実行しただけと弁明するアイヒマンについて、アイヒマンは組織の論理に従い、自分の行為を他者の視点から見る想像力に欠けた凡庸な人間だったと分析し、そんな人間が巨悪に手を染めたことを「悪の陳腐さ」と表現した。
霜崎清も加島正利もアイヒマンと同類の「小役人」でしかない。それが人里から離れた療養所において、「懲戒検束権」という絶対的な権限をもつ立場に立ち、国からも社会からも疎外されたハンセン病患者という社会的弱者に対して、監禁所さらに<極限の恐怖>である「特別病室」という手段をもって暴言・暴行を行使し、理不尽な患者労働を命じ、不正行為の数々を行ったのである。
私はこの情景を想像して言葉を失った。極悪の環境下で精神が自己崩壊していく様を思い、人間の限りなく両幅へと揺れることができる<無自覚の善悪の振り子>を考えてしまう。そして、時空を超えて今も繰り返されている悲劇を思う。繰り返される戦争と残虐な非人道的な行為、制御不能の欲望が大義名分と正義を後ろ盾に監禁も虐殺も正当化してしまう。
いったい人間は歴史から何を学んできているのだろうか。
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。