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1円にもならない事への情熱

「せい子さん。1円にもならない事への情熱ってどう思う?」

 午前10時半、週2回のショウコさん宅への訪問は今日で6回目だ。
ショウコさんは、本来たいそうなコーヒー中毒者らしいが、せい子さんがあまりコーヒーが好きではないと聞いて、いつもルピシアの季節の紅茶を出してくれる。ティーカップを載せたトレイをいそいそと持ってきて、椅子にスライディングしながら、ショウコさんはいつも唐突に話し始める。

「1円にもならない事って例えばなんですか?」

「うちね、子供が少し大きくなってから、12月になるとアドベントカレンダーを置いてるの。ほら25日のクリスマスまでカウントダウンするやつ。」

ああ、うちもそれありますよ。とせい子さんはうなずいた。

「あれって、だいたい1日ごとのボックスがあってそこにお菓子とか入れとくじゃない。うちも毎年ちょっといいチョコレートを入れてたの。」

ちょっといいチョコレートとは、リンツとか海外製のねっとりと濃いチョコレートのことだそうだ。

「でもね、なんかもうそのカレンダーボックスにも飽きてきちゃって。いや、子供たちがそう言ったわけじゃなくて、仕掛け人の私がよ。でね、今年は一風変わったものを自分で作ろうって思ったの。」

 それが、これ。ジャーン!そう言って、ショウコさんはリビングの吹き抜けスペースに鎮座している大きなツリーの後ろから、そこそこ大きなボックス型の家を2つ引っ張り出してきた。
 ダンボールの側面を大きくくり抜かれ、空間には無数の紐が垂れ下がり、先には大小色々なお菓子がくっついている。上部には屋根が取り付けてあり、煙突からも炎が吹き出したかのように紐が出ている。
おそらくこの煙突からの紐はお菓子の紐とつながっているのだろう。

「クリスマスまで千本くじにしてみました!毎日1本づつ引けるの。」

千本はないけどね。とショウコさんは嬉しそうに言った。

「わあ、これはすごいですねー。お子さん達喜んだでしょうね。」

「うん。まぁ毎日楽しんでくれてるかな。特に次男は。でもこれ作るの結構大変だった。家の土台はお水のダンボールケースなんだけど、周りの装飾とかは殆ど100均で揃えたの。息子二人分作ったから思いの外制作時間がかかりました。」

 私、やりだしたら凝りだすからシンプルでいいのにどんどん付け足しちゃうし。とため息とともにショウコさんは言った。
確かに家の外壁や屋根につけられた装飾はそこまでしなくてもいいものかもしれなかった。
なにより・・・吊るされたお菓子が豪華すぎる。
クリスマス用に着飾った様々なチョコレート菓子にまじって、子供たちが普段から好きなのであろうシール付きのウェハースやグミまである。

「入れ物に気合入れたら、中身も丸いチョコだけじゃ釣り合いが取れなくてね…気づいたらめちゃくちゃお金かかってる感じになっちゃった。

これって1円にもならないし、むしろ浪費よね。こういうの多いのよ。誕生日の撮影用にダンボールででっかいケーキ作ってみたり、節分に鬼の衣装作ってみたり。誰のためなんだろうね。そういう自分に呆れちゃうの。」

フェルトででっかい巻寿司を作ったこともあるわ。とショウコさんは嘆いた。

「なるほど。確かにすこしやり過ぎな感じはしますが、でもお子さん達が大きくなった時にいい記念と思い出にはなるんじゃないですか?」

「手作りの鬼のパンツ履かせて撮った写真でも?思春期の中高校生男子的にはアウトよね。俺で遊ぶなや!てキレそうよね・・・。確かにちょっと可愛いからって遊び心が過ぎた気もするし。」

「・・・思春期の中高校生男子の時代には、その写真をあえて見せなくてもいいじゃないですか。」

「でも思春期にちょっと見せたい気もするのよね。こんなかわいい時もあったのに〜って!」

 結局子供の為にするアレコレは、ちょうどよくてもやり過ぎであっても親の満足を得るためのものだ。とせい子さんは思った。
それが子供にとっていい思い出になるのかどうかはその子にしか分からない。
 兄弟姉妹で家庭であった同じ出来事でも、大人になった時に受け止め方や感じ方が全然違うことに驚くことがある。

1円にもならない事への情熱が、誰かの良き思い出となりますように。


今日の報酬。
ティータイム1時間:500円





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