19.余白(1)- ii
「18.余白(1)主役の明示 - i 」に出てきた作品の一つ、
ティツィアーノの<聖なる愛と俗なる愛>を用いて、
絵をよく見る練習をしたいと思います。
観察のテーマは「対比」です。
1.見る
まずは作品を眺めます。
この絵が右左の登場人物の「二項対立」で構成されていることは、前回お話いたしました。
(★、筆者によるトリミング加工あり、左の女性)
(★、筆者によるトリミング加工あり、右の女性)
質問です。
左の女性と右の女性が、きわめて「対比的」に描かれています。
具体的に言うと、どのように対比的に描かれているでしょうか。
「着衣/裸体」以外の対比的な要素を、
絵を見ながら、4点以上お答えください。
↓
↓
↓
2.考える
(1)対比的:二人の女性
例えば、以下の要素に気が付くことが出来たでしょうか。
①正面向きの顔/横向きの顔
(髪形や顔立ちはそっくりでありながら、ほぼ正面を向く顔/ほぼ横向きの顔)
②白に赤少々/赤に白少々
(白色がほとんどで少し赤が入る衣装/赤色がほとんどで白が少々の衣装)
③右上から左下への斜めの身体/左上から右下への斜めの身体
④座る/立つ
(石棺の上にしっかり座っている/同じ石棺に浅く腰掛けて、立ち上がりかけるか、ほぼ立っている)
⑤大きな容器/小さな容器
(大きな金属容器を脇の下に抱える/小さな金属容器を高く掲げる)
⑥開く足/閉じる足
(見えない足の膝下は開いている/見える足の膝下はクロスしている)
⑦両腕を閉じる/両腕を開く
(両肘を曲げて身体の全面で丸く閉じるポーズ/両腕を伸ばし気味にして身体の前面を開くポーズ)
⑧靴を履く/裸足
(左の女性は靴を履いた足先をわざわざチラッと見せています)
⑨手袋をする/素手
⑩草花を持つ/何も持たない
(右手の掌は膝の上、草花を押さえる/右手の掌は石棺の上、何も持たない)
などです。
7点以上の方は、非常に優秀です。
(2)対比的:背景
実は、背景も対比的に描かれている部分があります。
左右の背景は、具体的にどのように「対比的」に描かれているでしょうか。
(★、筆者によるトリミング加工あり、左側の背景)
(★、筆者によるトリミング加工あり、右側の背景)
↓
↓
↓
例えば、以下のような要素が対比的です。
①山がち/平地と湖
②緑が多く閉じている、空が狭い/空が広く、遠くまで開けている
③山上に城壁と都市/湖の向こうに教会と家々
その他、左側には、
・暗がりにうずくまる二匹のウサギ
・都市へのぼる山道を急ぐ馬に乗る人
・城壁の外に集う人々 などが見えます。
(★、筆者によるトリミング加工あり)
右側には、
・二匹の猟犬を従えてウサギ狩りをする馬に乗る二人
・羊飼いと羊の群れ
・男女の寄り添う恋人たち などが見えます。
(★、筆者によるトリミング加工あり)
3.「細部」の工夫を知る
(1)注文主
二人の女性像から少し離れて、別の細部を見てみます。
石棺の浮彫中に描かれた紋章盾(上半分にはライオンの横向きの前半身、下半分にはリボン)は、ヴェネツィアの十人会議書記官(のち大法官)のニッコロ・アウレリオのものです。
(★、筆者によるトリミング加工あり)
また近年、石棺上の銀皿の底に、バガロット家の紋章(銀地に青の三本横線)が確認されました。
(現在の作品からは明瞭に判別し難いため、これを是認しない研究者も存在します。但し、大半の研究者は、ほかの歴史的史料や史的状況から鑑みて、視認し難いにせよ是認できる意見と考えています。)
(★、筆者によるトリミング加工あり)
従って、この絵は、当時話題となったニッコロ・アウレリオとラウラ・バガロットの結婚(1514年5月)を記念して注文されたことは間違いありません。
実は結婚に先立つ1509年、パドヴァの貴族で教会法学者だったラウラの父ベルトゥッチョ・バガロットは、ヴェネツィア共和国に対する反逆罪で処刑されています。さらに、ラウラには結婚歴がありました。最初の夫はフランチェスコ・ボッロメオという人物で、ラウラの父の逮捕直後に彼も反逆者として捕まって処刑されています。ラウラはこの結婚の1514年まで公文書に「relicta」(遺棄された女性)すなわち反逆者の未亡人として記載されています。
ヴェネツィア共和国の国家的エリート貴顕と政治犯の娘かつ未亡人との結婚は、当時何かと話題となったに違いありません。というのも、この結婚が共和国から許可されたという事実は、彼女の父親が実は無罪だったことを仄めかしているからです(注1)。
(2)聖愛と俗愛
この絵は、1792年以降、「聖愛と俗愛」という名で呼ばれていますが、それまでの歴史の中で、実際には様々な題名で呼ばれてきました。これは、つまり主題がはっきりしないことを表しています。
ただし、絵画注文の理由(結婚記念)から、「結婚」や「愛」にまつわる何か寓意的な意味を含むものであることは間違いありません。
美術史研究者たちからは、これまでにさまざまな物語画的あるいは寓意画的解釈が提案されてきました。新婦の肖像である可能性も繰り返し指摘されています。
一般的なおおよその解釈は以下の通りです。
右側の裸体女性が天上の愛を表すウェヌスで、左側の着衣女性が地上の愛を表すウェヌスで、二人は姉妹である。
あるいは右側の裸体女性は精神的な愛(聖なる愛)を、左側の着衣女性は官能的な愛(俗なる愛)をつかさどり、どちらも「結婚」に必要なものである。
そして、天上の愛(聖なる愛)は、地上の愛(俗なる愛)を高みへと誘っている。
大事なポイントは、このような解釈の礎となっている大きな根拠が、わたしたちが見てきた通り、二人の女性の登場人物があらゆる点で対照的・対比的であるという点です。
作品観察によって「対比的に描かれている」ということに気付いて、
初めて、主題や寓意の意味解釈がはじまるのです。
(3)クピドの役割
最後に、絵の中心に描かれるもう一人の登場人物に着目します。
(★、筆者によるトリミング加工あり)
このクピドは何をしているのでしょうか。
↓
↓
↓
彼は真剣な顔で、石棺の中に腕を突っ込み、手で水をかき混ぜています。
つまりこのクピドは、天上の愛と地上の愛を、聖なる愛と俗なる愛を、混ぜ合わせている最中のようなのです。
彼は、二つの愛を交流させて、循環させようとしています。
二人の女性の対比的性質をよく理解したあとならば、彼が絵のまさに中央で、作品全体の要となる重要な任務を遂行していることも、合点がいくことでしょう。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。
(注1)ラウラの父バガロットは最後まで無罪を主張しながら、残虐な拷問と死刑を受けました。バガロットの息子も父の死後、一族の無罪を主張し続けました。1519年、一族の主張通りに共和国の年金が回復されたことは、彼らが無罪であったことを仄めかします。
1509年の反逆事件の時にバガロット一族の財産は没収されたため、本来ラウラは再婚用の嫁資金を持っていませんでしたが、1514年の再婚前日、その返還が取り決められています。
あまり財のなかった新郎(とはいえもう中年の)ニッコロ・アウレリオに対して、まだ年若いラウラはかなりの財産をもって再婚にのぞんでおり、ティツィアーノの作品の代金もラウラの持参金により支払われたことが推定されています。
権力。財力。名誉。冤罪。
どのような裏交渉があったのか、なかったのか。
今となっては判りません。
この作品の解釈や、注文主にまつわる歴史的事実などは以下を参照のこと。Rona Goffen, Titian's Women, Yale U.P., 1997, pp.33-44.
(訳:ローナ・ゴッフェン、塚本博・二階堂充訳、『ティツィアーノの女性たち』、三元社、2014年、58-75頁。)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?