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日本人の「差別ボケ」?


昨年夏にサッカーのスコットランドリーグで、セルティックの古橋亨梧に対戦相手のサポーターからの差別的なヤジが飛んだ事件で、所属クラブと相手側が公式声明を出し、主犯のサポが出禁になるという事態が発生した。
セルティックといえば昔はあの中村俊輔が所属していたことでも知られるが、俊輔自身も黄色人種に対する現地の差別を経験したと今年に入って告白している。#BlackLivesMatter や #MeToo の流れを受けたかのような #StopAsiansHate の運動が起こったから2021年の今でこそできたが、2000年代には言い出しにくい雰囲気があったことは想像できる。

さて、日本の大手マスメディアでは「古橋選手が差別を受けた」という事実は報道しても、その具体的な内容に触れているものはほとんど見られない。ところがこれが(ほとんどスコットランドやアイルランドの地元紙やアジア系運営者によるネットメディアが多いが)英字メディアになると「フルハシが犬を食った」といったチャントや、黄色人種を侮辱するのに極東以外の諸地域で使われる(日本でも中国人や韓国人を馬鹿にするのに使われる)「釣り目」ポーズを該当のサポーターが行ったと報道されているのだ。

そういえば昨今の日本国内での「ヘイトスピーチ」を巡る報道でも「排外主義者らがマイノリティに対して差別的言動を行った」という報道があっても「加害者がどのような言動を被害者に対して取ったか」という報道はされていない気がする。内容を文字に起こすとショッキングなものになり、当事者や一部読者への二次加害を避けるために配慮しているのならその優しさは認めたいが、単にそういうものに対してメディアが鈍感、あるいは目を背けようとしているのならお話にならない。

メディア以外の日本語圏インターネットの反応にも目を向けてみよう。「フルハシが犬を食った」チャントに対して「違う、犬を食うのは日本人ではなく中韓の野蛮人だ」という反応を見て「またか」という感覚に襲われた。白人や黒人やラテン系や南・西アジア系の人々に釣り目ポーズをされて「違う、日本人は釣り目じゃない、中韓の人間に比べてもっと目がぱっちりしているはずだから差別される謂れはない」と大慌てしたり「武漢ウイルス!」と言われて殴られて「日本人はウイルスをばら撒いていない、悪いのはチャ◯コロ!」と泣きついたりする日本人とおんなじこと考えてるんだな、と。
問題の本質はあなたの食習慣や目の大きさではないのであって、(黄色人種全体が判別つかず十把一絡げにされていることは事実でも/であるのも加えて)黄色人種全体が差別されるという事実にあるのだ。ちょうど米国同時多発テロの後でいわゆる「中東系」(要するに西アジア・北アフリカ系)はもちろん、加えて南アジア系や東南アジア系、果てはラテン系に至るまでいわゆるBrownと称される人々が「テロリスト」扱いされたかのように。(これは悲しいことに欧米諸国だけでなく、日本の非白人系外国人を狙って職務質問してくる警官や、パスポートに怪しい経歴があればすぐに足止めを食らわせるイミグレにも言える話である)

自分たちが植民地時代~第二次世界大戦敗戦までの間に差別する側に回っていたから、そうした自らに向けられる差別に対しては見て見ぬふりか「欧米の白人様はそういうもの」(ただし有色人種にやられたら許さない)と合理化して凌いでいたのだろう。こういうのが下の世代になると、日本の「内向き志向」の強化もあって「自分たちは差別される側じゃない」という思い込みに至るのかもしれない。
日本人は戦後のある時期から「平和ボケ」していると言われ続けてきたが、同胞含めあらゆる人に対する差別への鈍感さやそれを隠そうとする態度、つまり「差別ボケ」があるとするのなら、そちらこそ治す必要があるのではなかろうか。

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