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電気を消して多様性を語ってみる

雨は夜更け過ぎに…雪へとは変わらないが、たまにはこんなシトシト雨の中電気を消してじっくりモノを考えてみる。2021年10月13日 雨☔️。

「多様性」

多様性とは、その言葉の通り、いろんな人や考えがあるということだ。
以上。

ではなくて、その色んな人や考えを「認め合いましょう」というのが今よく聞く多様性という言葉の真意である。らしい。

1.はじめての多様性

思えば、私が初めて多様性をしっかりと感じたのは探偵ナイトスクープだったかもしれない。

依頼主は自分は女装が好きだということを妻にも娘にも知らせていないオジサン。
カミングアウトしたい、という依頼のクライマックスはそのオジサンは妻と娘の前で「来世は乙女〜♪」とお気に入りのワンピースを着て歌って踊るのだ。
妻と娘は「そうだろうなと思ってた」とニッコリ答えて依頼は終わる。

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その家族の姿を見て私は思わず涙が込み上げた。
自分らしさを曝け出すこととそれを認められることってなんて素敵なんだろうと思った。

あと単純にその回はめちゃくちゃ面白かった。
多様性って実はめちゃくちゃ面白いのかもしれない。笑えるのとは違う。知れなかったことを知る悦びがある。

2.コミュニケーションにおける不快感の存在

ここでまず、多様性を語るにあたってコミュニケーションと感情について考えてみたい。
対人関係を円滑にする方法の一つに「人に期待しすぎない」という解決法がある。

じゃあその「期待」ってなんだろうか。
こうあるべきだ、という自分の中の「常識」を押し付けることだ。

じゃあその「常識」とは、、、
親や社会から学んだ「人に不快感を与えないルール」だ。

じゃあその「不快感」とは、、、
不快感とは違和感から生まれるものだ。
ここを少し掘り下げてみるとする。

自分が経験していないこと、いわゆる「咀嚼できていない事」に対して人は違和感を覚え、そのやり場がないから心の中の「その他」カテゴリの箱に仕舞い込む。
その他カテゴリはいつまでたっても片付かないから不快なのである。
どうにかしたいともがいても、知識と経験がないので想像することができない。

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つまり、人に期待しすぎないというのは、「その他ボックスの存在を認める」ということなのだ。
それは自分の未熟さを認めるということではないだろうか。
たくさんの想像力と知識があれば「その他」に分ける前にどこかに仕舞う箱があるのだから。

3.違和感の弊害

いじめの構図もこれに関係する。
原点は「違和感」にあると思っている。
誰かに違和感を感じるとそのやり場がないから感情のその他ボックスに入れるしかない。それが不快なのだ。だから相手を攻撃することでその違和感を排除しようとする。
本来はその違和感の正体が何なのかを突き止めなければいけないのだけど、心が未熟な人はその作業工程の進め方がわからない。

多様性を目指す社会において、この違和感という感情はまさしく弊害になる。

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4.まとめ

つまり、「その他ボックス」が人が精神的に成長するのを妨げる箱なのだ。
その箱はわかりやすく想像力の不足で構成されている。私の「その他ボックス」と他人の「その他ボックス」じゃ新しい視点は生まれないのだ。

社会全体で知識不足を補って各々の感情の箱を増やし、その他ボックスのモノを減らしていく。
それが多様性への第一歩。


来世は乙女〜♪じゃなくて現世で乙女になれる”心のオジサン”が増えますように。。。

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