「いつの時代も、きっかけを作ってくれるのは友達だね。」
今日、こんな台詞に出会った。
『一週間フレンズ。』の中で、香織のお母さんが、香織の唯一な大切な友達となる祐樹に言う台詞だ。
友達って大切だよなぁ。
度々そう思うけど、「きっかけを作ってくれる」のも、たしかに友達だったな。
そう思い出させられた。
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高校2年制の頃、とある私立の音楽大学附属の音楽教室に通っていた。音楽の道には進みたいけれど、プロのピアニストを目指すようなピアノ科には行きたくない。しかも、私立には行けない。でも、国立なんて無理だ。たとえ行くとしても、楽理科というところは、試験は音楽分野だけでなく、まだ習ったことのない小論文も和声も、大の苦手な国語も、たくさんの試験がある。今からじゃ間に合わないよ。そんな風に、諦めかけていた。
そんなとき、隣の席の親友が言ってきた。
いつものへらへらっとした口調で、
「受けてみればいいじゃん!きっと行けるよ」
どことなく自信のあるような、
半分適当なような。。
でも、なんだか親友が普通にさらっと言うからか、
なぜか私まで行ける気がして、
結局受験することに決めた。
それまでぐじぐじしてたのはなんだったんだってくらい、あっさり決められた。
とりあえずやってみるか。
って。
受験のきっかけは親友だった。
✳︎
振り返ってみれば、
私のあらゆる趣味や習慣のきっかけは、
たしかに大事な友達たちが作ってくれた。
自分だけでは、気づかなかったような、
絶対ハマらなかったような、
興味も持たなかったようなことを、
友達がやってたり、すすめてくれたりすることで、
自然と惹かれていって、
いつのまにか自分の趣味にもなってるんだ。
キライなはずが、スキになってる。
あれ?って。
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友達がそういうきっかけになってくれるのは、
きっと、私との間にすごく強い信頼があるから。
信頼がなかったらきっと、そんなまんまと
おすすめに乗っからないだろうし、
自分の趣味にもなっていかないだろうし、
興味もわざわざ示さないはず。
これって、
教育の視点でも言えることじゃないかと思った。
いくら先生に、〇〇しなさい!とか〇〇してみなってすすめられても、一方的に指示されるんだったら、絶対従いたくない。そのまま従うのもなんだか悔しいし、従ったからって必ず良い方向に向かうのかもわからないから。
けれど、これが、もし、普段から仲の良い先生に言われたらどうだろう。授業に限らず、普段の日常生活もお互い知っていて、信頼もあって、信じている先生に言われたら、きっと素直に従うんだろうな。
あ、この先生が言うなら、やってみよう。って。
先生が、自分にとって、もはや友達と言えるくらいの関係性にあれば、きっとその先生は、良いきっかけを作る役割を担ってくれるはず。
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友達って、
普通に使う言葉だけど、
なんだか、友達って呼べる人との関係は、
言葉以上に深いものであり、
ちゃんと線で繋がっているものなんだなって思う。
「いつの時代も、きっかけを作ってくれるのは友達だね。」
なかなか会えなくなってしまった小学校の友達、
忙しそうだけど、いろいろ活躍している中学の友達、一緒に受験も部活も闘った高校の親友、そして大学でそれぞれが将来に向かって自立している学科の同期たち、なんでも話せる大好きな友達、たくさんたくさん友達がいる。
このたくさんの友達が、
いつ、どんなとき、きっかけを作ってくれるのかは、私にはわからない。
だからこそ、ずっと大切にしていたい。
そして、私も、誰かに友達と思ってもらえているとすれば、その人にきっかけを作ってあげられるような友達でありたいな。
「ずっとずっと友達だよ。」
そんな言葉を小さい頃言ってなぁ。
これからも、友達でいれますように。
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