品格ある「漫才」 進化の先

M-1グランプリの結果が、なんだか後を引いている。

私は東海出身なのだが、夫が大阪出身なので、結婚と同時に生活の隅々において、お笑いと大阪文化の洗礼を受けることとなった。

M-1グランプリはそんな理由から、毎年見ているのだが、今年はなんだかいろいろな気持ちがよぎった。

言葉や本を扱う仕事をするようになってから、多くの人たちから、できるだけ見るようにと言われたのが、「落語」「漫才」「歌舞伎」「朝ドラ」「大河ドラマ」。

脚本やストーリーの構成作りにおいて、勉強になるということから。

手始めに「朝ドラ」と「大河ドラマ」。そして「落語」は、とりあえず笑点を見るようにした。

こちらは、毎日・毎週見られるので、視聴グセがついたが、正直なところ「漫才」と「歌舞伎」を熱心に見るまでには至っていなかった。

一昨年だっただろうか。和牛の「漫才」を見て、初めて「漫才」に興味を持った。

一言でいえば、構成が美しい「漫才」。

視点はずっと裏切られているのに、知らないうちに伏線が綺麗に回収されていく。

「漫才」に品格って感じるものなのだなあと、和牛の「漫才」を見ていると不思議ささえ感じる。

結果としては、4回連続の決勝出場にして3回目の2位。

今年のラストは、20代の若者が、無邪気な顔でトロフィーを手にしていた。

勝負事は無情だし、「漫才」のような生きた演芸は、その場の雰囲気や流れのようなものもあるだろう。

しかし、単純に、あんなに綺麗な「漫才」をする和牛には、優勝してほしかったなあという、もやもやした思いがよぎる。

この感覚、昨夜からわりと長めに停滞していて、自分でも何なのかなあと思っていた。そして、言い知れぬ既視感があるのは、一般社会でも、こういうことって結構あるからかもしれないと、はたと気づく。

あんなにいい仕事をする実力ある人が、なんでナンバー2なのかなあ、という不可思議な人事であったり、結果であったり。

だが、その後を見ていると、何があってもあいも変わらず、腐らず、精進して変化し続けていく人は、渋い思いの分だけ、人格や仕事にも凄みが増す。

後になって、簡単ではない、深い光を放つようになることを、今まで山ほど見てきた。

だから、和牛の「漫才」は、きっとこの苦渋を経て、もっと進化するだろうから、来年のM-1グランプリを楽しみにすることにしよう。

ラストイヤー組の「漫才」にも、敗者復活戦の「漫才」にも、それぞれにドラマを感じた。

大人が本気になっている姿は、それだけでエネルギーがある。

「漫才」は、人生や生活の凝縮。

その最高峰だから、M-1グランプリは面白いのかもしれない。

来年こそは、生の「漫才」を、一度見に行ってみよう。

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