<おとなの読書感想文>三の隣は五号室
二年近く住んだ部屋を引越すことになり、管理会社の人が最後の点検にやってきたとき、大家のご主人も立ち会ってくれました。
大家さんは貸した部屋が思ったよりきれいに保たれていることに安心されたようで、点検を待つ時間を持て余しながら、一緒に世間話をしました。
前に住んでいた人は学生さんで、その前の人はOLさん。その前も、さらに前も、みんないい人だったから助かったよ。
築年数がほぼ自分の年齢と同じくらいの部屋の、先住者たちの存在を具体的に意識したのはこのとき初めてでした。
ユニットバスの壁の一部に残る薄いピンク色のハート柄も、セロハンテープでふさいだ網戸の穴も、何代前かの彼女たちの痕跡だったのです(「彼女たち」というのは、部屋の入居条件が「女性限定」となっていたからです)。
ふと、ここに誰にも見えない座敷わらしが住み続けていたとしたら、それぞれの住人のささやかなドラマをいくつも目撃したに違いないと感じました。
きっと、この本のように。
「三の隣は五号室」(長島有 中公文庫、2019年)
半世紀の歴史をもつ第一藤岡荘五号室には、計13世帯が入れ替わりながら住みついでいました。
彼らの生活を淡々と、ドキュメンタリー映画のように描ききっているのがこの作品で、他人の生活をこっそり監視しているようなスリリングさがあります。
住人たちはそれぞれが異なる家族構成、年齢、事情を持ち、またそれぞれの世帯に直接の接点はありません。
しかしわたしが引越しのときに感じたのと同じように、彼らは時折なんらかの痕跡から先代の住人たちの存在を感じることがあります。
毎日同じごはんを食べている同居人の顔が似てくるように、時を超えて同じ空間を共有している者たちも、同じような出来事に遭遇したり、頭を悩ませたりすることがあるようです。
そしてそれに偶然気がついたとき、心の奥からかすかな笑みが浮かびます。
ささやかなドラマと言いましたが、実際にこの物語の中に大したドラマは存在しません(強いて言えばドラマチックな人生を歩んだ人は13世帯中ひとりです)。
単調にも感じられるのですが、抜けないガスホースにひとり悪戦苦闘する無為な時間なんて、通常ひまつぶしにも語られることもなさそうなあまりにもささやかな事件が、逆におもしろく思えます。
そういうことあるよね、という、わたし自身も五号室の住人になったような甘やかな連帯が心地よいのです。
そしてふと、なんでもないような小さな事件が他者に甘やかな連帯を感じさせる、その不思議にくらくらするのです。
上げると水が止まる水道のレバーを見て「旧式」だとぴんと来る人は、きっとこの物語の味わいにはまっていくことでしょう。
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