余裕なき利益至上経済管理の限界

利益至上主義が経済のグローバルスタンダードとなって久しいが、本当に利益の極大化というのは経済にとってメリットをもたらすのだろうか?

事業評価手法としての会計

会計は15世紀くらいの成立と考えられるが、会計成立当時は、国によって通貨も違い、その交換比率も場所によってまちまちであるなどの複雑な経済状況の中、自国の貨幣価値でその事業内容を数字で把握するというのは画期的な手法であったと考えられ、それはおそらく大航海時代を通じて事業評価の基本的なフォーマットとして普及していったのだろう。その大航海時代では、貿易船に出資して、そこから得られた利益を分配するという株式会社の仕組が活用されるようになり、ますます事業評価の重要性が増していったと思われる。

金銀価格差による計量の違い

株式会社の制度を始めたのはオランダであるとされ、オランダはスペインからの独立を悲願にしていた。スペインはその頃新大陸から大量の銀を輸入し、それが国力増大につながってもおかしくはないはずだった。しかしながら、それは銀価格の下落をもたらし、かえって国力の低下を招いたとされる。このメカニズムは非常に不審で、スペインの通貨レアル、あるいは海外ではドルの信用力がある限りにおいて、通用量が限定的な金貨よりも使いやすい銀貨の流通量が増えることは経済を活性化させ、国力を増大させても不思議ではない。にも関わらず、実際にはスペイン王家は借金を積み重ね、結局衰退に向かってゆく。本来ならば、新大陸で得た銀によって銀貨をどんどん作り、市中に流通させればそれで済む話のはずなのだ。そうすればインフレが起こってもおかしくはないのにも関わらず、この時期はヨーロッパはデフレに見舞われていたことになっている。これは仮説だが、物価を金価格を基準にして測っていたのではないか、という疑いがある。銀貨の流通が増え金銀の交換比率が金高になれば、銀表示の諸物価は値下がりしたことになり、デフレが起こったということになる。実際には銀ベースではおそらくインフレでもなく、単に銀の流通量拡大と共に経済活動が活発化し、金は価格は上がったものの、その存在感を減らしていたのでは、ということが考えられる。つまり、大航海時代に伴うヨーロッパデフレ論自体大きな間違いである可能性があるのだ。片や、スペイン王家の借金であるが、こちらは金表示での借金だったのではないか。だから、いくら経済が活性化しても、それが故に金価格はどんどん値上がりし、借金を返すのが大変になっていったのでは、と疑われる。

金本位制によって歪んだ近代

その後、ヨーロッパでは次第に金本位制が導入されたが、会計の仕組は、現代に入った頃には主として貸借対照表(BS)と損益計算書(PL)によって成り立っていた。銀ベースでの経済は、特に事業評価が金ベースでのBS/PLで行われるようになると、実態とはかけ離れて過小評価されるようになっていったのではないか。計量的になった近代経済学の勃興もその頃であり、つまり、統計的な近代経済学的解釈によって銀本位の経済というのが篩い落とされ、それによって近世の歴史観というものが大きく歪んだ可能性がありそうだ。近代経済学自体、その誕生時から認知の歪みを持っていた可能性というのは無視することはできない。この辺り、きちんと調べると大変なことになってしまうので、ここでは仮説にとどめておくことをご理解いただきたい。

国民国家の成立により、グローバルな国家間貿易の時代に突入した。アダム・スミスは重商主義に反対する立場で『国富論』を著したが、世界が金本位で統合された時代の国際貿易の重金主義は、その規模においても範囲においても『国富論』の時代とは比較にならないものだったと言える。そして、まさにそれが大きな駆動力となって、賠償金目当ての近代戦争が頻発するようになったのだった。それは、国家会計が金の価値によって統合され、国ごとに比較可能となって、そして主に戦争に伴って発行される国債の信用度がそれによって明示化され、国の信用度を保つために借金をして戦い、勝ち続けないといけないという、狂った近代の幕開けとなったとも言えそうだ。

商社 ー 日本独自のビジネス形態

その一つの頂点となった第一次世界大戦で、アジア戦線以外ではほとんど参戦せずに、その間に国際経済において大きく存在感を高めたのが日本であった。そして、それは商社という、いわば独特な形態をとって世界市場に殴り込みをかけた形となった。東インド会社が商社で、それをモデルに日本の商社ができたとのイメージがあるかもしれないが、東インド会社は非常に複雑な経緯を持っているので簡単に比較できるものではないが、代表的なものとしてイギリスとオランダのものを考えてみると、イギリスのものはインドの開発会社、会社と言えるかも怪しい、機関であると言えそうで、軍隊まで動かしたそれは商社というイメージをは程遠い。オランダのものはもっと怪しくて、基本的に株式会社方式を開発したオランダでは単発取引単発清算の貿易船が多かったのではないかと思われるが、その信用度があるかのように見せかけるペーパーカンパニーとして東インド会社が存在したのではないかと疑われる。尤もそうではないと反証する資料はあるのだろうが、私の感覚としては、実証もせずにこんなことを書いているのもおかしいが、オランダ東インド会社の資料はそれ自体信用度がかなり低いと考えており、会計的な検証に耐えうるのか、というのはかなり疑わしいのではないか、と考えている。理由としては、オランダ本国の歴史すら、どうも客観的に整合性のある記述を見つけられないのに、ましてや植民地管理の東インド会社の運営がうまくできていたとは到底思えない、ということが挙げられる。実態があったとしても、ナポレオン戦争以後ではないかと考えられ、その辺りからは日本側の外交資料もかなり怪しくなってくるので、全体的に信頼性に欠けると考えざるを得ないという立場をとっている。この辺りも実証的なものではなく、あくまでも感覚であるということで、何かしら議論のきっかけとなれば幸いかと思い、書いておくことにする。

商社ビジネスの肝、多角的継続商流

それでも幕末近くにオランダが日本に与えた影響を考えると、日本の商社はこの怪しげなオランダ東インド会社をモデルにしたとも言えそうだが、まず事業形態としては、大陸との間では、中世以来倭寇と呼ばれた海の民が恒常的に海洋ネットワークを持っておりそれを用いてかなり多国間にわたる取引を打ち立てることができたと考えられ、一方で特に絹の輸出を通じて欧米にも商権を作り上げ、さらには第一次世界大戦で欧米の船がアジア取引に関わる余裕がなくなると、そこにも参入してアジアと欧米との間の取引を一手に受け持ったのだと考えられる。つまり、多国間同士を繋ぐネットワークをもった事業形態というのは、近代以降においては、おそらく日本の商社が世界最初のものではないかと考えられるのだ。ついで、商流に関しても、植民地のプランテーション生産物を本国に持ち帰ると言ったことがメインだったであろうオランダ東インド会社に比べて、日本商社は現地市場からさまざまな物品を調達、あるいは販売していただろうと考えられる。そして、資金の流れであるが、これが一番の問題なのだろうが、オランダ東インド会社は株式会社なので、株による資金調達であろうが、日本の商社は基本的には継続的商流から資金を得、それで運転資金を回すという形態をとっていたと言える。

比較的新しい信用理論

経済学史的に言えば、1889年にスコットランドの経済学者マクラウドが信用理論を発表した。マウラウドは銀行出身で、銀行による信用の供与に目をつけてのことだったと言える。これは、株式会社が一般の資産家から資本を集めて運営されるのに対して、銀行が信用供与を行うことで資本調達が行われることを理論化したという点で画期的だったと言える。現状ヨーロッパでの銀行の歴史まで追っている余裕がないのだが、おそらくこの辺りから、それまでは銀行券の発行や国債の購入によって利益を出していた銀行が一般への融資ということを始めたのではないかと考えられる。これはさらにシュンペーターによって信用創造の理論となり、新結合が信用創造によって資本と結びついて革新が起こるという経済発展理論に繋がってゆく。株式とは別ルートの資本調達の道が開かれたというのは、経済学的には画期的なことであったが、現実の経済というのはもっと動態的なものであった。

経済学的信用理論から漏れ落ちた相互信用

それを日本の商社が体現していたのだと言えそう。それは、事業者間の相互信用供与というものである。典型的には手形取引であり、これによって数ヶ月の支払い猶予が行われ、その分は信用供与となる。これは想像に過ぎないが、特に絹が世界市場で評判になってきた時、商社はこれを輸出先で売れるまで、ということで、かなり足の長い手形で購入した、というようなことがあったのではないだろうか。これによって、商社は事実上資金負担なしで輸出を行うことができるようになり、それが運転資金負担を大きく削減し、それによって余剰の現金で他への投資が行えるようになったのではないか。
これはおそらく欧米の事業家にとっては全く理解のできない状況であり、銀行も株式市場も特に経由しているように見えないのに、なぜか事業がうまく回っているということで衝撃的だったのではないだろうか。船舶などの大事業が、特に資金調達の動きもなしにいきなり取引成立ということになれば驚かない方がおかしいだろう。第一次世界大戦における急速な事業拡大も、その余剰の運転資金によって可能になったのではないだろうか。

経済学理論において、ケインズによって金融政策の有効性が示されたが、金融政策は相互信用供与にはほとんど何の影響も及ぼさない。金利が手形の足の長さや発行額に直接影響することはほとんどないからだ。つまり、革新的であったケインズのIS-LM分析にしても、出発点から信用の主要部分を考えに入れていなかったことになる。信用創造とは、実はこの運転資金需要に応えることで相互信用供与を拡張することによって可能になっていたのではないかと考えられる。尤も、手形が一般的ではない欧米では運転資金と言っても在庫負担が多くを占めるのだと考えられる。近年特に日本で目立って金融政策の有効性が失われてきたように見えるのは、金融技術の”発展”によって、手形の期日短縮、電子化、そして即時現金化などが行われ、この運転資金需要が急激に細ったことで、安定的な銀行融資先が失われているということなのではないか。つまり、大企業の手形による取引先資金援助というのは、銀行にとってはリスクをとって個別企業に直接融資するよりもはるかにリスクが低く、そして安定して利益が確保できる重要な資金需要だったのにも関わらず、そこが細ってしまったことで、銀行の融資先が大きく限定されてしまったのではないか、ということだ。

ブレトンウッズ会議の意味とその限界

それはともかく、戦中に開かれたブレトンウッズ会議とは、このように、日本の商社が独壇場にしていたアジアの経済圏についてどのように欧米流に変えてゆくのか、ということを議論するというのが、少なくともアメリカにとっては大きな目的だったのではないだろうか。それによって、世界経済は、唯一金交換を認めるアメリカドルとの固定相場によって擬似金本位制を継続する、ということが決まり、大きな銀経済圏であった台湾から東南アジアにかけてが金本位に統合されることになった。さらに通貨の多くがドルペグとなったことで、国内の金融政策の自由度も失われ、かつてのスペインと同じように金融収縮に見舞われたのではないか。日本も含めてアジアの戦後の混乱の多くはアメリカのこの通貨政策に起因するのだと考えられるのではないか。つまり、ブレトンウッズ会議で用いられたような経済理論は、銀経済が大きかったアジアにおいては現実との齟齬が大きかったのだ。

しかしながら、日本は戦後驚異の経済発展を遂げる。その理由の一つとしてこちらであげた金融債の役割を無視することはできない。つまり、固定相場では金融拡張が限定的で、中央銀行が動きにくい中、民間銀行である特殊銀行発行の金融債ならば金融拡張に用いることができ、しかもそれを普通銀行との持ち合いにすることで、民間の資金を食うことなく金融拡張を行うことができ、普通銀行側も特殊銀行による長期融資から派生する短期運転資金の需要を得ることができるという一石二鳥の効果を持つことになった。この疑似通貨としての金融債の役割も、経済学の枠組みからは漏れ落ちている。

商社の謎解き キャッシュフロー

一国金本位制の無理もあって、ブレトンウッズ体制は30年足らずで崩壊することになったが、そのすぐ後に作られたのが、一般に認められた会計原則(GAAP)を作成・改正するために開設された公益の民間非営利団体であるFASBで、そこでキャッシュフロー計算書が議論されることとなったのだった。これは、日本企業の驚異の復興・発展力の影に、どこから湧いてくるのかがわからないキャッシュフローがあるのではないか、と気づいたためなのかもしれない。とはいうものの、資金の入りと出を明確にする、とは決めたものの、最初は資金とは一体何なのか、ということすらも決められなかったようだ。それほどまでにキャッシュフローの謎は深かったということだろう。結局現在の営業、財務、投資キャッシュフローの三つに分けられたのは1990年代になってからのことであり、そしてこれが利益の源泉としてのキャッシュフローというグローバルスタンダードとして日本に帰ってきて、日本の会計基準にも取り入れられた。本来的には、日本企業の力の源泉は、取引網をできるだけ広げて、その中で取引関係において相互信用供与が行われることで、現金のやり取りなしに商品の先渡がされると言った商流と金融の効率的分離がなされていたということだった。それが、そこをキャッシュフロー計算書で丸裸にし、金融部分の効率化に特化したものだから、企業間の信用がギチギチに締め付けられ、マクロ的な金融危機、信用不安に繋がっていったのだと考えられる。

利益の極大化によってやせ細った信用

結局グローバル経済における利益至上主義は、企業間、もしかしたら個人間すらも、その相互信用供与をマネタイズすることで実現されているというプロセスに突入しているのかもしれない。個々人の関係性が契約と信用レーティングによって評価されるという時代は、そのような相互信用供与を完全に数値化し、経済の中に組み込んだ状態であると言え、そこまでやってしまって、果たしてこの先利益の源泉というのは存在しうるのか。利益の極大化は、制度的にはもはや行き着くところまで行ってしまっているのではないだろうか。もっと制度に余裕を持たせて、そこから発生する自然利益を重視するようにしないと、経済はもはや人にとって単なる負担にしかならないのではないだろうか。

利益の極大化を軸にした、アメリカで発展した新古典派経済学は、多様な経済、社会のあり方を過度に単純化し、そこから漏れ落ちているものがあまりに多くありすぎる。それらは、決して利益のために犠牲にして良いものではないのはもちろんのこと、利益のためにすら犠牲にすることはあまりにコストが高すぎるということは理解されるべきなのだろう。経済学を宗教化しないためにも、特にお金に関することでおかしいと感じたことがあったら、とにかく一旦経済学的常識を疑ってみるべきではないだろうか。

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