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学校の頻繁なクラス替えと、人間関係の希薄さについて

世界的に今は、学校では1年か2年でクラス替えをするところが大半であろうと思われます。
中には、学校に入ったときからクラス替えがない学校がありますが、大抵は、小学校に上がると2年間で1クラスは、終わり、次の学年でクラス替えをするようです。
場所や国によっては、1年毎にクラス替えをするところがあるのではないでしょうか?

わたしは、こんなに頻繁にクラス替えをして、いいものかと思います。人間関係が、すぐリセットできるかと思うと、悪いことをしても後腐れがない、等と考える子は、おるまいかなどと危惧してしまう。

たとえば、いじめである。いくらいじめても、相手が強くなって、復讐を仕掛けるとしても、その頃には、クラス替えをして、人間関係はリセットしているなど?は、極論ですか?

ゆっくり、じっくり、人間関係を育む人間にとっては、不利です。

逆に、いじめられる側は、クラス替えがあると、有り難く感じて、何日か先にクラス替えがあって、いじめっ子から離れられるようになるのを待つ。そうして、いじめっ子とコミュニケーションをとって、人間関係を修復する機会を逃してしまう。

しかし、その頃には、かなり多数のいじめられっ子が、人間関係のつくり方がうまく行かなくなっていたりする。

新しいクラスになっても、馴染む方法を忘れていたり、自信をなくしている。 

また、頻繁なクラス替えは、人間関係の希薄さを生む。

どうせ、すぐクラス替えがあるから。友達を作る機会はいくらでもあるから。

そう思って、生徒たちは、自分に有益な、都合のいい友人だけを残し、あとは ばっさばっさと友人関係を切っていく。

まるで、人間関係も、自分に都合のいい人間のコレクション。ツールの収集です。

ここには、何年もかけて、醸成する、人間関係の深いものは、ほとんどないかもしれない。

そういう関係にあって、「ほんとうに分かり合える友人関係があって欲しい」と、望むひとがどれだけ多いか。

現代人は、どこか、心のなかで、ほんとうの友人を求めながら、「クラス替え」の頻繁さに翻弄されて、人間関係は、「砂上の楼閣」になり、不安定な人間関係に悩む。

数年経てば、リセットされる人間関係のなかで、「永遠の友情」「安心できる友達」「アットホームな場」「自分を分かってもらえる居処」を求めながらも、数年先のクラス替えで、すべての人間関係が崩壊するのを、ただ、黙って待っている。

しかも、クラスのなかは、同じ年齢の子供たち。輪切りのなかででの人間関係です。

成長期のなかにあって、すぐ先を行く者たちから、「成長のヒント」のプロンプト(ヒントのようなもの)をもらえる機会が、まず少ない。

同じ年頃の常識で、それと、先生の手の届く範囲内で、多くの場合、それぞれの問題を解決するしかなく、あとは、テレビ等の媒体からの〝常識〟生きた、身近なものからのプロンプトには まず 貧弱なものではないかと思われます。

子供たちは、親や先生の目の届くところ以外では、おそらく、同じ年頃の子供たちだけで解決しているのだろうと思われます。(あとは、自分の親?)。

それは、あまりに子供が豊かに育つには、貧弱ではないか?

学校から出ると、一応のこと、近所の子や部活などで、違う学年の子と触れ合う時間はある。
けれど、
現代の子は、大人との触れ合いは、極端に少なくはないだろうか?

頻繁なクラス替え、年齢輪切りクラス、わたしは、問題があるのではないか、と危惧しています。

わたしは、経験したことがある。おそらく、殆どの人が体験したことがあると思うのだけど、なにか成長すると「すごい!」と、騒ぎ立てられ、それが、あちこちから言われると、「頭打ち」「自然でないこと」になってしまうのだ。
あまり大勢に「できた事が不思議なことだ」と吹き込まれると、自分が、それが、出来ることが、おそろしく不自然で、稀で、あり得ないかのように思ってしまう。そうすると、少し登った階段からずり落ちることがあった。言っちゃ悪いが、足を引っ張られる、「できた事が不自然」に思えるのである。 せっかく登った階段からすこし、ずり落ちてしまう。

それは、兎も角。

全世界的に輪切りクラスです。
問題はなかろうか?

視点を少し変えてみる。

大人との中では育たない。大人からも教わることは沢山あるのに、学校では、殆どクラスの担任だけ、付帯的にその他の先生とも交わるが、殆どの時間は、クラスの中での密室だ。
いいのか?と思うのだ。

わたしは、思う。
せめて、クラスは頻繁に変えないで、じっくり人間関係を育むといいと。すぐに、クラス替えだと思えば、後腐れなく別れられる、人間間でのやり取りの工夫もしなくていい、コミュニケーションの育て方も何も覚えずに、悪くなったらリセットし、簡単に仲良くなれる、価値観の近い者たちで固まればいい。分かり合う努力も、働きかけもしなくても、クラス替えがあれは、また、新しい、もっと自分に合う友達を作ればいい……
そんなことを考えてはいないだろうか?

人間関係を長く続けるコツ、壊れた関係を修復する訓練、大事だと思うんです。

そして、まだ、幼い子どもたちは、未開で、大人や年長者から、意見を教えてもらうことが大事です。

人間関係のヒントを多数与えてもらうことが大事です。豊かに、豊穣に育つために。

近くのお兄さん、お姉さんに、喧嘩をしたら、仲裁に入ってもらい、逆に、小さい子を対象に、「面倒を見ること」「教えること」「愛情を与えること」を覚えるのも大事です。
人間というのは、年上のもの、年下のもの、そして、年齢の同じ者同士このひっくるめたものの中で、集まって育まれていくものではないでしょうかと。
学校から、離れれば、年上年下、入り混じりますが、もしかしたら、不十分かもしれません。
そして、多くの経験ある大人と接することが、豊かな人間性を育てることに大事なことだと思うのです。

わたしには、今の学校の〝輪切り〟制度が、完全に正しい教育システムだとは思えません。高校や大学を出るまで、「社会」に接する時間も少なすぎるような気がします。

実際、高校を出て、少し世間の知識がついて、そして、社会に出ると、面白いように社会の波のような知識がやってきて、びっくりするくらいでした。

テレビや漫画、デジタル題材にあるような、のっぺらぼうのような知識ではなく、 
旅をすれば、色々な大人に遭い、私の場合、大人の話を聞いて回るのが楽しくて仕方ありませんでした。
仕事に就いて、はじめて分かったことが多かったという人も多いでしょう。

漫画のなかで「器の大きい」と、思っていた人物が、実は、社会での普通の社会人の典型だったという経験もしました。

わたしは、これは、わたしだけの経験かもしれませんが、他の子どもたちにも経験して欲しい。
テレビや漫画、ユーチューブ、デジタル題材のなかからのものでも、自分なりの識見で、自分なりに判断できるよう、実際の色んな社会のサンプルを自分で実際に見て、自分でデータを集めて、自分で判断できるようになって欲しい。

テレビや漫画、デジタルの言うことをそのまま鵜呑みにしてしまい、簡単に信じて踊らされるようには、なって欲しくないと思います。

それには、輪切りのクラス、頻繁なクラス替え、大人からの分離は、止めたほうかいいのではないかと思います。それは、同じ年の子の判断が大方になるからです。

そうでない、教育方法が、なにかあったらよいのですが、いまは、この全世界的なシステムが、人間社会にマイナスであったり、社会からの吸収の難しさや、「孤独」や「希薄」、「絆の薄さ」を生んだりしているように思えて仕方ないのです。



            むすび


トップ画像は、メイプル楓さんの
「みんなのフォトギャラリー」より。
いつもありがとうございます。








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