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注意の仕方

一見、パワハラじゃないの?と思ってしまうほどの強い叱責をする人って、どこにでもいますよね。

叱責している側は、パワハラだとは思っていなくて、「指導」「躾」「教育」と思っていることが多いです。

時々、理不尽な内容で叱責している人もいますが、大概は正論であったりするので、周囲も「言っていることは間違っていないから」と、何も言えないことがしばしばあります。

一方、感情に任せての叱責をされた側は、「怒りの感情をぶつけられている」ことに意識が集中し、話の内容が全く入ってきません。

この注意の仕方は、叱責した人が一瞬スッキリするかもしれませんが、あとは何のメリットもありません。

全体が委縮して暗い雰囲気になるだけではなく、叱責された側は内容が入ってきていないので、また同じミスを繰り返す可能性が高くなりますし、強く叱責されるのが嫌なので、強い人と違う意見を言う人もいなくなり、新しい風も入ってこなくなるからです。それに、叱責した側も、嫌なイメージを持たれてしまい、良好な人間関係を築くのが難しくなります。

それでは、いったいどのように注意をしたらよいのでしょうか。

注意をするということは、人と人とのコミュニケーションです。人と人とが関わり合う社会生活において、他者に不快な感情を与えず、自分の考えや気持ちを適切に表現することは、良好な人間関係を築く上での重要な課題ですが、個人の性格や立場、その時の状況などにより、自分の言いたいことを我慢する人もいれば、自分の事だけのことを考えて言いたいことを言う人もいます。また、同じ言葉でも、相手の受け取り方と自分の受け取り方に違いが生じたりすることもあれば、言われたことを気にする人もいれば気にしない人もいます。つまり、どのようなコミュニケーション方法をとるのが最適なのかを判断することはとても難しい問題なのです。

人がとるコミュニケーション方法のパターン3つ

1、攻撃的コミュニケーション:自分の意見だけを押し通す、攻撃的なコミュニケーション⇒相手を傷つけ、結果的に自分が孤立してしまう。
2、非主張的コミュニケーション:自分の意見を押し殺して飲み込む、受け身的なコミュニケーション⇒言いたいことが言えずに欲求不満や怒りがたまり、人と関わりたくなくなってしまう。
3、アサーティブコミュニケーション:お互いの意見を尊重しあい、折り合いのつく方法を見つけるコミュニケーション⇒相手も自分も大切にする。

上記を見ると、3、アサーティブコミュニケーション方法をとるのが最適であることはわかりますよね。

みなさんは、「アサーティブ」という言葉をご存じでしたでしょうか。

アサーティブとは「自分の気持ち、考え、信念などを正直に、素直にその場にふさわしい方法で表現し、そして相手が同じように発言することを奨励しようとする対人関係のあり方」のことです。


アサーティブ
アサーティブの発祥はアメリカで、1950年代に行動療法と呼ばれる心理療法の中から生まれました。その後1960年~1970年代に起こったアメリカの黒人差別に対する「人権拡張」「差別撤廃」といった公民権運動と密接にかかわり、このアサーティブな考えと行動はそれまで権利や言動を圧迫され続けていた人たちに大きな勇気を与えることになります。
人は誰でも自分らしく生きる権利があるとするアサーティブの考えと行動は、やがて1970年代の女性解放運動に引き継がれていきました。そして、現在のわが国でも有効なコミュニケーション方法として広まってきています。

そして、アサーティブな行動をとれるということは、健康なパーソナリティーが顕在化しているということになります。

心理学者のアドラーは、健康なパーソナリティとは「自己受容性があること」「他者を信頼していること」「所属感と貢献感を持つこと」と述べています。

自己受容とは、ちょっとしたことにもカッとしないで、自分の気持ちや周りの要求に無理なく応答できること、偏見にとらわれたり、偽善を装ったりしないで自分の立場や姿をありのままに認めることです。

また、マズローの人間の基本的欲求の5段階説の高位の欲求の中に「自己実現」「承認欲求」「愛、所属の欲求」があります。この欲求のどれかひとつが突出してしまうと、自分勝手になったり、依存的になったりしてしまい、人間関係の悪化を招きかねません。つまり、この欲求をバランスよく維持することが、良好な人間関係を保持するためには必要であるといえます。

アサーティブコミュニケーションを意識して注意をするのがいいことはわかりましたが、言うは易く行うは難し、ですよね。

年齢を重ねるごとに注意をされることが少なくなってきたせいか、経験を重ねて自分の価値観が固定されているせいかははわかりませんが、どんなにアサーティブな言い方で注意されようと、注意された内容が正論であったとしても、イラっとしてしまう気持ちはわいてきます。

「あ、私が悪かったわ。次から気をつけなきゃ。」と、注意された時点で思える素直で初々しい心根は一体いつからどこへ行ってしまったのでしょうか。

とはいえ、やはり、強い叱責をされるより、アサーティブな注意をされたほうが、何100万倍も受け入れやすいのは確かです。

ぜひ、上に立つ立場の人には、アサーティブコミュニケーションを取り入れてもらいたいものです。


 

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