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自分のことが嫌いだった過去を乗り越えて、素直に自分に「好き」と言えるようになった話

学生時代、自分の専門の書体を決めるとき、私は「篆書」(てんしょ)を選んだ。

篆書とは、これ。

私は中国の清の時代の文化人「呉昌碩」の篆書で基礎を学び、今も創作のお手本にしているのだけど、ご覧の通り、篆書とは印鑑によく使われる書体である。今でこそ、篆書は創作するには非常に面白い書体で、題材として持てはやされるけど、篆書はそもそも運筆法が他の書体と異なり特殊なため、篆書の書き方に慣れると他の書体が書けなくなると言われ、避ける人も多かった。

学生時代に書道を学んでいた私。しかし、他にも行書草書楷書仮名など様々な書体があるのに、何故、私はこの「篆書」を選んだのか?

それは、私には、女性らしい繊細で優美な、流れるような美しい線が書けなかったから・・・である。

私は筆を持つと、どうしても力強く勢いのある書き方になるため、行書や草書、仮名文字が上手く書けなかった。あの優美さに自分の手が収まりきらなかった。高校時代の先生にも「そっちは向いていないね」と言われていて、自分の癖を生かそうと思ったら、癖のある六朝楷書(りくちょうかいしょ)か、隷書(れいしょ)または篆書、これらから選ぶしかなかった。

こうして高校時代は「篆書」と「隷書」の作品を主に書き、大学に入ってからは、自分の専門を「篆書」に決めて、じっくり作品作りに取り組むようになった。

つまり、そこしか私を生かせる道が無かった・・・ということだ。勿論、興味を持ち、心引かれたから篆書の道に入ったのだけど、その一方で、「私に書けるのは、これしかない」という屈折した思いもあった。

今、振り返っても、当時の私は「コンプレックスの塊」だったなぁ・・・と思う。

行書や草書を選択した友達の、流れるような美しい運筆に、私はものすごく嫉妬した。悔しかった。いつも「私もあんな風に書きたかった」「ああいう線が書けるようになりたかった」という気持ちを腹の中に湧き上がらせながら、でもすぐにその思いをかき消した。「自分を恨んでも仕方が無い」「私の専門は篆書だ」と言い聞かせて、周りを見ず、自分が書いた作品だけ見つめて、必死に駆け抜けていった。

心の根底に「私は自分の字が大嫌い」という思いを抱えたまま、私はコツコツ練習に励んだ。コンプレックスと嫉妬とプライドがグルグル渦巻いていたけど、それを一切表に出さず、ドロドロした感情に蓋をして、飄々と毎日を過ごしていた。こんな状態でも、コツコツ積み上げた努力は裏切らず、大きな展覧会で賞を貰い、二科から一科にも昇進して、それなりに成果を出していた。

それでも、やっぱり

私は美しい線が書けない。
私には女性らしい優美な作品は書けない。

という思いは消えなかった。

やがて私は大学を出て、教職に就いた。

教師になって早々、赴任先の学校で、入学式の式次第と立て看板を書く仕事が私に回された。書道をやっていたことを聞きつけ、毛筆で書く役割があてがわれたのだ。

しかし、私はきれいな字が書けない。

式次第も、立て看板も、美しい流れるような線で書かなくてはいけない。整然と美しく整った形の字を書かなくてはいけない。

悪戦苦闘して何とか書き上げたけど、結果は散々たるものだった。

何も知らない他の先生方は「すごいね!」「素晴しいね!」と褒めて下さったけど、私は自分が惨めに感じられて、心はざめざめと泣いていた。

褒められる度に、紙ヤスリで心をザクザクとこすられているような、鈍い痛みをジンジンと感じた。自分をこの場から消したかった。

しばらくの間は、仕事と書道を両立させて頑張っていたけど、結婚して以降は両立は困難となり、とうとう力尽きて、初任から4年目で私は書の道を断った。

代わりに、学校で式次第や立て看板の字が美しく書けるようにと、陰で必死になって練習した。

自分の個性を完全に消して、自分の書風をどこかに押し込んで隠し、全く乱れの無い流れるような美しい線を書くことに努めた。形も完璧な精巧さを追求した。式次第にも看板にも、私が書いた印は付かない。済めば破り捨てられるものである。でも、この世界で仕事をしていくなら、ずっとついて回る役目だ。ならば、ちゃんと書けるようにしておかなくてはいけない。

こうして頑張っているうちに、人前に出しても申し分の無い式次第と立て看板が、なんとか書けるようになった。あんなに苦手だった「流れるような美しい線」が書けるようなったのだ。

私は満足した。

これで、どこの学校に赴任しても恥ずかしくない・・・と思った。

でも、結局、私は3校目で教職を退くこととなった。

もう式次第も立て看板も書かなくてもいい。

毎年、私の仕事になっていて、いつも集中して書いていたのに、もうその必要がなくなってしまい、気が抜けてしまった。

だけど、やっぱり私は、自分の字に自信が無かった。流れるような美しい線を手に入れたのに、私は相変わらず、自分の字にコンプレックスを持ち、自分の字が好きになれなかった。

◇◇

こうして私も、いつの間にか50歳になった。この年、高校時代の同窓会が開かれ、私は当時の書道部の友達と久しぶりに再会した。

彼女はとてもきれいな線を書く子で、当時は仮名の作品をよく書いていた。

一次会が済んだ後、近くのカフェで、彼女と二人だけの二次会をして語らって居た時、突然、彼女は

「私、Emikoさんの字、めっちゃ好きやったんやで。私、ずっと憧れの気持ちで見ていたんよ!」

と言い出した。

私は「えっ?えっ?」とビックリして、どうリアクションしていいか分からず、ただただ彼女の話を聞いていた。

彼女曰く、

「私はEmikoさんの力強い線がすごく好きで、高校生の時はずっとファンやったんやで。今、もう書道はやっていないと聞いて、ショックを受けとる・・・。絶対、また書いてな!私、Emikoさんの書が見たい!」

・・・と。

最初、私は「社交辞令でわざと褒めてくれているのかしら・・・」と、かなりひねくれた聞き方をしていたけど、彼女は「私は本当のことを言ってるんやで。ホンマ、絶対にまた書いて欲しい。私、真剣に言ってるんよ。」と、彼女が現在住んでいる関西の訛りとイントネーションで私に懇々と話してくれた。

私はとても驚いたけど、不思議と素直に聞いていた。

多分、10年前の私なら、嫌な気持ちで受け止めていたかもしれない。

でも、この時の私は、彼女の言葉と気持ちを素直に受け入れてみようと思った。

これって「年の功」なのかな・・・。

あんなに嫌で嫌でたまらなかった私の力強い線を、目の前の友達は「私にはあの線は書けなかった。だからメッチャ憧れて好きやったんやで。」と言ってくれる。そして、「あれはEmikoさんにしか書けない線や。だから、嫌がらず好きになって欲しいねん。」と一生懸命に語ってくれる。

この瞬間、私の中で何かがはじけた。

あっ・・・。

好きになる。

自分の字を好きになる・・・。

私は目が覚めた感じがした。

言われてみて確かに、唯一無二の「私」を好きになる・・・という観点が抜けていたわ・・・と。

彼女から、とても大事なものを渡された気がした。

よし、ちょっと頑張ってみようかな・・・と思った。

そこから私は、自分の字を嫌うのではなく、「私の個性」として受け入れ、好きになることにした。いや、好きの前に「受け入れて認めていく」=「受容」から始めてみた。

その後、不思議なご縁で、突然、高校時代の書道の恩師から連絡が来て、地元の先生方が加盟している書道の研究会に入らないか・・・と誘われた。

えっ?私がですか?

これまた驚いたけど、素直に流れに乗ってみることにした。すると、またまた新しい展開に導かれていく…。でも嫌じゃない。心地よい流れだ。今まで堰き止めていたものが、一気に押し流されて蓋が開き貫通したような・・・とても不思議なミラクルが起きた。

その過程は、こちらの記事にまとめている。

ここまで書いて、私がお伝えしたいこと・・・。

それは、「自分を嫌う」という心の状態から、一歩前へ出て、違う視点から自分を見つめ直し、改めて「自分を好きになってみる」ことにチャレンジすると良いよ・・・ということだ。

「自分を好きになる」ことが難しいのなら、まずは「自分を許す」ところから始めること。

私の場合は、自分の「癖のある力強い線」を、「これは誰にも真似できない私の個性」と受け止めてみた。そして、そんなふうにしか書けない自分を「それでOK」と許すことにした。自分に無いものを追い求め、飢えて餓(かつ)えるのではなく、今あるものを素直に認めて「good」と褒めることにしたのだ。そう、私は「足りない」のではない、「ある」のだと・・・。

そして、紙に書いて練習する度に、以前なら「あー!こんな字、最低ー!」と自分のダメさを痛感し、自分にダメ出ししまくって自分を卑下していたけど、今回は逆に「こんな力強くて個性的な線、誰も書けないよね」「これは私しか書けない線」と思い直すようにした。

すると、個性が自分の武器になる。そう、これは私の持ち味だ。

誰にも真似して書けない私の字。私の特徴。

これを「私の作風」とした。

ああ、友に感謝だ・・・。私は練習で筆を持ってガンガン書きながら、自分の中にあった「自分の字に対するネガティブな思い」を「自分の強み」に置き換えて書き直し、どんどん上書き保存していった。

不思議なもので、こうして長年のコンプレックスを一つ解消したら、コンプレックスとは全く関係ない別の部分に対しても、「これは私の個性」と素直に受け入れられるようになった。これは嬉しい変化だった。

◇◇

今年はコロナのため、地元の全ての展覧会が中止になり、作品を作ることはお休みしているけど、来年度以降、新しく作品を作って出品した時は、今度こそ素直に「私の字を見て見て!私の作品を見てー!」と声を大にして言えそうだ。

これが「乗り越える」ということ。

こんな風に変われた自分が、今はすごく嬉しい。

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