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【前編】好きを理由に就活し、50社に断られた私の就活体験記

こんにちは!
Emanciの山本愛理です。

今日は、テイストを変えて。
私の就活当時のエピソードについて
少しお話しをしてみます👌


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私は昔から、夢の多い幼少期を過ごしていた。弁護士、心理学者、バイヤー、キャビンアテンダント、プログラマー…etc。


どの時代を振り返っても、いつも「夢」だけはしっかりと持っていたのだが、中身は驚くほどしょうもない理由ばかり。


例えば弁護士は、「離婚弁護士」の間宮貴子先生に憧れたからだし、バイヤーは「リアルクローズ」の田渕優作。キャビンアテンダントは「アテンションプリーズ」の美咲洋子に憧れたから。


ドラマに影響を受けるたびに、「1クールだけの夢」をいくつも持っていた。


そんな私が挑んだ就職活動は、一言でいうと盲目だ。昔からたいして深く考えた訳でもないのに、思い込むと猪突猛進な性格の私は、

「これだけドラマや映画に影響を受けてきたんだから、就職するならエンタメ関連がいい!」


と、半年間駆けずり回ることになった。


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今でも覚えている。第一志望は東宝だった。就活の進め方なんて全然分からないから、とりあえず、創業者である小林一三をくまなく調べあげた。今覚えば「そうじゃないだろう」と笑ってしまう話なのだが、当時は、それはそれは真剣にWikipediaの情報を就活ノートにまとめていた。


ESは何百回と書き直した。何ども書き直して、祈りながら提出した。提出した後に、応募者は万単位に及ぶと聞き、急に結果が来るのを恐ろしく思った。


1ヶ月ほどは待っただろうか。メールが届いた瞬間は、生きた心地がしなかった。あの、自分を試されているような言いようのない恐怖は、もう二度と経験したくない。ドギマギしながら開封すると…なんと通過のふた文字が。嬉しさのあまり母に電話をすると、母はものすごく喜んでくれた。


その次の週、下宿先に一通の郵便が届いた。差出人は母からで、中には機関車トーマスの絵柄が入ったジップロックが同封されていた。中身はなんと、四葉のクローバー。


50を過ぎた母が、私のためにと、必死で草の根をかき分けながら探す姿を想像すると、なんだがどうしようもなく涙が溢れた。頑張って受からなきゃ、そう自分に言い聞かせて、四葉のクローバーは財布に仕舞った。気の持ちようとはこのことで、どこにいても、母に応援されている気持ちになれた。

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一次面接は大阪の梅田にある自社ビルで行われた。飲んだ帰りによく通る、いつもの道なはずなのに。全く違った風景に思えて何だか余計に心細かった。その気持ちを埋めるように、財布に入れていた四葉のクローバーを何度も取り出しては、飽きるまで眺めるを繰り返した。慣れない黒のパンプスを履いてか、かかとには靴ズレができていたが、その痛みも忘れるほどに、心臓の痛みだけが私を支配していた。


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会場には、やたらと物腰が柔らかなおばさんと、冴えないおじさんが座ってた。ものすごく丁寧な喋り方で質問をしてくれたと思う。「思う」っていうのは覚えてないからなんだけど。でもなぜか、その当時好きだった東宝の映画プロデューサー 川村元気さんの話をどうしてもしたくて、必死にぶっ込んだ記憶がある。「あー彼ね。」っと、白い声で返された。どう考えてもミーハー丸出しだったよなぁと、後から少し後悔した。


面接が終わり、部屋を出て、結果が来るまでの間、気持ちの浮き沈みを何度も経験した。何度も、「多分落ちてるよ」と自分に言い聞かせたが、やはりどこかで期待していたのだろう。お祈りメールが来た瞬間、涙が溢れた。


落ちたことも悔しかったが、それよりも全部、間違ってると言われた気がしたからだ。もう正解がわからなかった。ただ、好きなことを仕事にしたかっただけなのに。私と受かる人の違いが理解できなくて、ただひたすらに悔しかった。


なんとか立て直そうと、母からもらった四葉のクローバーを財布から取り出した。けど、四葉はシワシワに萎れてしまってた。きっと、ずっと財布にしまっていたからだろう。その姿が自分と重なり、なんだが申し訳ない気持ちになった。


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今思えば敗因は一つだ。「好きなことを仕事にしたい」。それ以外に映画を仕事にしたい理由がなかったこと。もちろん面接では、映画を通して人に影響を与えたいって志望動機を本気で伝えていた。ただ、本気でそう思っていたかと問われると、正直わからない。面接用に考えたのか?って言われたらその通りだって答えたと思う。


圧倒的な自己分析不足。好きなことを仕事にできれば、何もかもハッピーになると思ってた。芸能人と仕事できるし、映画を観た後の、「心が現れる瞬間」が大好きだったから、それを人に提供できたら大きなやりがいを感じられるだろうと、根拠もなくそう思ってた。そんな浅い考えを、全て見透かされていたんだと思う。


結局その後も就活は続けたけど、ことごとく最終面接で落ち続けた。50社近くエントリーしたせいで、最後の方は、 どんなことを書いたのか、ESの内容を思い出せないこともあった。そういえば、最終面接でESで書いたことについて質問され、答えられず落ちたこともあった。たしか電通の子会社だ。


迷走していたなぁ、と今振り返ってもシミジミと思う。内定がない焦り。早く就活を終わらせたい苛立ち。下がり続ける自己肯定感。受けても受けても受かる気がしなくて、片っ端からエントリーした。


「本当にこの企業に入りたいのか?」
一度も自問自答することなく、企業の面接を受けるために、深夜の夜行バスにのってわざわざ東京まで足を運んだ。大阪駅出発、新宿バスタ着。何度往復したか分からない。

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結局、最終的に入社したのは総合コンサルティング会社だった。全然やりたいことと違ったけど、もう嫌で嫌で、早く終わらせたかったのだ。こんな私を受け入れてくれる会社があるんだって気持ちで二つ返事で承諾した。 


最終面接の場で内定を伝えられ、ルンルンで帰路についた。母に電話すると、安心していた。やっと終わったと思った。ああ、おわった。やっと解放された。


でも、違ったのだ。内定はゴールじゃない。いや、もはやスタート地点にすら立っていなかったことに、私はまだこの時、気付いていなかった。


私の絶望はまだまだこれからだったのだ。


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続きは火曜日に更新です 😳✨



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