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創作活動で感じる虚しさとの向き合い方

最初は情熱と夢を持って始めたネットでの創作活動も、最近はつくづく「俺って白けた目で見られてるなぁ」と感じる機会が増えている。

こういうの作っても誰も興味ないんだなぁとか、単純に実力不足だなぁとか、やって何になるのかなという無意味感の方が大きくなってきている。

そもそも創作をしていれば誰しも一時はこういう感情と向き合う時が訪れるのかもしれない。


なんというか、「良い人に見られようとすること」をやめたら驚くほど反応が来なくなって、いろんな人が去って行って「ネットで仲間だと思っていた人たちの正体というのはそういう冷淡な他人でしたよ」と寂しい真実を明かされたような感覚に陥っている。

世の中の冷淡さや不親切さを再確認するだけの結果にしかならなかったというか、結局自分は必要とされていないんだなといういつもの結論に行きつく。


良い奴を気取って丁寧に偽りの仮面をつけて振舞っているときはコメントも来たり、向こうがブックマーク入れてくれればこっちもブクマをお返しするみたいな関係が続いていたりしたけど、こういうのは結局どちらかが辞めれば途絶える関係でしかない。

ブログも昔はスタンプをつけ合うということをしていたのだが、あれが本当に良いと思って押してくれるものではないと気付いて、そういうことに一喜一憂することも辞めた。


本当はこのnoteもスキなんてオフにできるモードがあったらいいのになと思う。もちろん本当に共感してくれる人の反応はうれしい一方で読んでもないのに表面上つけるという行為が横行し過ぎていて、なんかなぁという虚しさも感じる。


ネットって情熱的に一緒に何かに向かっていく関係よりも、結局のところ資本主義という現実冷淡な大人社会の関係しかないことに気付いていく。

創作も本当はもっと熱量を持って共作したり、大きな計画を持ってやったりしたかったという情熱がかつてはあった。しかし人当たりがよく絡みやすいような偽りの姿を演じることに疲れて、良い奴をやめればみんな去っていくよというのが現実なのだ。

そこまで自分が重視されてて大切に思われていないんだなという現実に気付くと、ネット社会って究極は孤独しかないという結論に行きつく。ネット社会というのは「他人の集合体」であって、利害関係が無ければみんな散り散りになっていくのだ。


SMAPや東方神起だってなんだかんだで固い絆があるように見えて、利害関係が続かなければああもあっさり崩壊するわけで、大人社会の冷淡さにピュアな人間は耐えられないんだろうな。

その意味で香取慎吾は純粋だったんだろうし、草なぎ剛は内に秘めた情熱があった。


そもそも今の社会自体が、どこも「排除」されないためにいい奴を演じることに疲れた人たちで満ちているのかもしれない。

いい奴だと思われなければ急に仲間外れにされるし、それまで親しくしていたように思えた人たちは去っていくわけで、「良い奴」であることって今の時代至上価値なんだろうなと思う。

絵も上手い事よりも人間性がいいことの方が大事だし(自分は下手な上に人間性も最悪だが)、ユーチューバーは親近感が大事される世の中になってきて、冷たい人しか現実にいないからみんな漠然とどこかに優しい人を探しているのではないか。


優しい人を探しても見つからないし、自分がいい人を演じるのも疲れる、これが今の日本社会の疲弊の正体のようにも思う。

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