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interview Michel Camilo : ミシェル・カミロ に影響を与えたビッグバンド・ジャズと『Essence』のこと

ドミニカ共和国出身のラテンジャズの巨匠ミシェル・カミロはピアニストである。同時に「On Fire」のような名曲を生み出した作曲家でもある。そして、ミシェルは編曲家でもある。これまでにクラシックのオーケストラやジャズのビッグバンドとの共演を幾度となく果たしていて、共に録音も複数回ある。ラテンジャズをベースにしたアンサンブルに関しては、かなりキャリアと経験がある人なのだ。

ここではビッグバンドでのアルバム『Essence』をリリースしたのをきっかけにピアニストではなく、むろんラテンジャズのプレイヤーでもなく、《作編曲家》としてのミシェル・カミロについて話を聞いた。おそらくそれはジャズピアニストやラテンジャズのプレイヤーとしてのミシェル・カミロを深く知るための大きなヒントにもなるだろう。

もちろん『Essence』の話もたっぷり聞いているのでそちらも是非に。

質問作成・構成:柳樂光隆 / 通訳:太田亜紀 / 協力:ソニーミュージック

■アメリカのビッグバンドからの影響

ーーあなた自身が好きな、または影響を受けたビッグバンドについて聞かせてもらえますか?

僕はいつもカウント・ベイシーのバンドに影響を受けてきた。なぜならホーンセクションが非常に正確かつ、非常にリラックスしたものだからだ。その点にすごく惹かれたね。あとは、カウント・ベイシーがお気に入りのバンドの一つだし、それから様々なサプライズやアイディアの構築という点ではデューク・エリントンのバンドが挙げられると思う。

それからすごく光栄なことなんだけど、NYに来たばかりの頃、ドン・セベスキという偉大なアレンジャーからビッグバンドの作曲法を習ったんだ。彼は多くのオーケストレーションやアレンジを手がけていて、カーネギーホールでビッグバンドのアレンジについて一年間の講座を教えていた。彼が僕のビッグバンドの作曲法の先生だ。『The Contemporary Arranger』という非常に重要な教本を発表してベストセラーにもなった。ドン・セベスキーは現在はもう存在しないCTIというレーベルに多くの作品を残している人だよ。彼はビッグバンドの偉大な先生で僕はその生徒だったんだ。
もう一人、僕がNYに来たばかりの頃によく一緒に演奏したのが僕の友人のボブ・ミンツァーだ。彼のビッグバンドのアレンジの仕方がすごく好きだった。現在、彼はドイツ、ケルンのWDRビッグバンドのコンダクターをしている。
それにもう一つNYに着いてすごく、すごく影響を受けたのがジャコ・パストリアスのビッグバンド。“ワード・オブ・マウス”というんだ。すごくコンテンポラリーで新しいサウンドを持っていた。ほぼフュージョンともいえるようなサウンドだね。彼にはとても新しいビジョンがあった。これにはすごく影響を受けた。それに光栄にもジャコ本人と知り合い、一緒に演奏をする機会を得た。このバンドのミュージシャンたちとも一緒に演奏したよ。ピーター・アースキン、それにボブ・ミンツァーもここで演奏していたね。一緒に録音もした。ファースト・トロンボーンのデイヴ・バージェロン『One More Once』の録音にも参加している。それからルー・ソロフはその後一緒に来日し、ブルーノート東京にも出演しているよ。

ーービッグバンドでの来日のとき、2013年ですか?

そうだね。それにもう一つビッグバンドがあった。毎週月曜日の夜、NYのヴィレッジ・バンガードに出演していたサド・ジョーンズメル・ルイスのバンド(※ヴァンガード・ジャズ・オーケストラの前身)だ。彼らのバンドは何度も聞きにいったな。客席はミュージシャンでいっぱいだった。みんなこのバンドが聞きたかったんだ。サド・ジョーンズはすごいアレンジャーですごいオーケストレーションをした。彼のホーンセクションの解釈の仕方はすごく独創的だった。何度も聞きにいった。

■ラテン・バンドからの影響

これらのバンドだけじゃなくて、ラテン音楽ですごく影響を受けたのがNYに着いてすぐに聞いたチューチョ・バルデスイラケレだ。カーネギーホールで録音したアルバムにすごく影響を受けた。チューチョの生演奏を初めて聞いたのはベルリンのジャズ・フェスティバルだった。そこでチューチョと初めて出会った。チューチョとイラケレの生演奏を聞いてすごく感銘を受けたんだ。オリジナルのイラケレだよ。僕はその時、ベルリンのジャズ・フェスティバルに招待され、海外でバンドリーダーとしてデビューしたんだ。1986年の11月だ。
それからもう一つ、僕がよく聞いていたのはマチートのバンド、それにモンゴ・サンタマリアのバンドだ。ラテン音楽のテクスチャー(質感)を持ちながら同時にジャズのテクスチャー(質感)も濃厚だ。そしてメンバーの多くがジャズのミュージシャンだった。
ディジー・ガレスピーのバンドも同じだ。僕らの誰もがディジー・ガレスピーからインスパイアされた。ディジー・ガレスピーが大きな扉を開け、僕たちみんなその扉から入ってきたんだ。彼にはカリブやアフロ・キューバンのリズムをビッグバンドに取り入れ、ラテンのリズムとジャズやスウィング、ビーバップのテクスチャー(質感)という二つの世界をミックスするというビジョンがあった。僕たちみんなに大きなインスピレーションを与えた。僕は光栄にもディジー・ガレスピーと一緒に演奏する機会を得た。本人に直接会って質問し、彼の知識を教えてもらうことができた。

ーードミニカ共和国にいる頃に最初に心を奪われたビッグバンドは?

当時からジャズのアルバムをよく聞いていた。それにサント・ドミンゴにも重要なビッグバンドがあった。パパ・モリーナ(Papa Molina)という人がリーダーで、ビッグバンドのために曲を書いていた。彼の曲もよく聞いていた。NYに来る前に、サント・ドミンゴではじめて自分のビッグバンドも結成した。“レッド・ライト・バンド”というんだ。NYに来るずっと前だ。サント・ドミンゴでコンサートをしていたよ。

■ビッグバンド・サウンドの作り方と音楽学校で学んだこと

ーーこういうバンドから受けた影響を自分の音楽に、どのように取り入れている?

ビッグバンドのために曲を書くということは、メロディを書くだけじゃなくてメロディを探求し、さらにその先に行かなくてはならない。それによって様々なセクションのメロディー、和声、リズムを書くことができる。そうやっていつもとは違う形で曲を構築していく。ビッグバンドの作曲には場面に応じてトゥッティ、シャウト・コーラス、ウニーゾノとか様々なテクニックがある。それに応じて音やテクスチャー(質感)の変化が求められる。ソリストが演奏しているとき、リズム・セクションだけが伴奏するのではなく、例えばトロンボーンのソロ演奏のとき、どこかのタイミングでサックスとかトランペットがそれを補う音も書かないといけない。それがビッグバンドのおもしろいところだ。常に何か思いがけないことが起きるしいつも同じにはならない。音の響き、コントラスト、力学、色合い、何かしら変わってくる。それらすべてがビッグバンドでは生きてくる。

ーービッグバンドもしくはラージアンサンブルのために曲を書こうと思ったきっかけはありますか?

『One More Once』を書いた当時、とあるインタビューを受けた。僕のピアノのオーケストレーション・テクニックについての話で、あるジャズの批評家にこう答えたのを覚えている。

ピアノを弾くときに左手でサックスとトロンボーンを聞いて、右手でいつもトランペットが聞こえると。

「どういうこと?」と聞かれた。僕は演奏をするとき、それがトリオであってもピアノだけを聞いているんじゃない。だからこれほど複雑で大きなサウンドになる。ビッグバンドの和声をつけているんだ。このインタビューを読んだか聞いた人がいて、それでダニッシュ・レディオ・ビッグバンドのコペンハーゲンでの特別コンサートに呼ばれた。ヨーロッパの非常に重要なバンドだ。僕がピアノを弾くときにやっていることを、そのままビッグバンドに置き換えてほしいと言われた。そのコンサートは大成功で、そこからレコーディングのアイディアが出た。そうやってできたのが『One More Once』だ。まさに僕がピアノでやっていることをそのままビッグバンドに置き換えたんだ。観客もミュージシャンもすごく楽しんだよ。
それでアレンジに少し手直しをして、当時ソニーにいた伝説的プロデューサーのジョージ・バトラー氏に相談した。1本のテープを持っていってコンサートの一部を弾いてみた。バトラー氏もそのコンセプトをすごく気に入ってくれて、サポートすると言ってくれた。CDは大ヒットし世界ツアーをした

すごくよく覚えているのはフランスのマルシアック・ジャズフェスティバルでのコンサートだ。NYから僕のビッグバンドで参加し、9,000人の観客の前で披露した。アルテ・チャンネルがフランス、ドイツ全国にライヴ中継したんだ。

もう一つ、重要なコンサートは、アカデミー賞受賞監督のフェルナンド・トゥルエバを招いてドミニカ共和国のアルトス・デ・チャボンで行ったコンサートだ。後に彼の映画『カジェ54』にも参加している。彼にコンサートの様子を撮影してほしいと言ったんだ。その時のライヴがアルバム『カリーベ』になった。ライヴの様子はYouTubeにもアップされているよ。ドミニカ共和国のアンフィシアターで6,000人の観客の前で演奏をしたんだ。

ーーあなたはドミニカ共和国のthe National Conservatory、アメリカではJuliard School of Musicで学んでいましたよね。そこではどんなことを学びましたか。

それにマネス音楽大学でも学んだよ。ピアノとオーケストラ指揮を学んだのがジュリアードで、作曲のほうはマネスで学んだ。

NYに来る前、サント・ドミンゴの国立音楽院(National Conservatory)で専門はピアノだったけど作曲も学んだ。それに16歳の時からドミニカ共和国の国立交響楽団の最年少メンバーになった。そこでいつも多くのオーケストラのテクスチャー(質感)を聞いていた。それらのすべてを常に体に吸収していた。オーケストラのなかに自分を置いたことでピアノを弾くときもいつも頭の中でオーケストラが聞こえるのかもしれない。それが僕の演奏や作曲の仕方、それに音楽の聞き方に反映されていると思う。それがアーティスト、ミュージシャン、クリエーター、作曲家としての僕を定義づけている。 “エッセンス(本質、根幹)”が重要なんだ。だから僕は常に新しい道、新しい地平線を探し続けている。僕にとって終わりはなく、探求は常に大きくなっていく。ファンは新譜を聞いたらそれに気がつくと思う。それぞれの曲の新しい顔に気づくと思うんだ。

ーージュリアードやマネスでの先生とのエピソードなどはありますか?

NYのマネス音楽大学でオーケストレーションの先生は、レオ・エドワードと言うんだ。作曲とオーケストレーションの偉大な先生で僕は長年も彼の生徒だった。彼はクラシック音楽の偉大な作曲家だったんだが、彼はアフロアメリカンでジャズのことをよく理解し、ジャズの大ファンだった。彼はマネスを引退したばかりだが、長年僕の先生で今でも連絡し続いている。僕の作曲法や曲の構築の方法に大きな影響を与え、常に助けてくれた。いつもコンサートを聞きにきてくれるんだ。すごく楽しんで帰っていくよ。

■クラシックのオーケストラとジャズのビッグバンド

ーー交響楽団の話が出ましたが、あなたは過去にはBarcelona Symphony OrchestraBBC Symphony Orchestraとも録音していますよね。

それに世界中のたくさんのオーケストラと一緒に演奏しているよ。一番最初に交響楽団と録音をしたのはレナード・スラットキンが指揮する、ロンドンのBBC交響楽団だった。この作品だけでも世界各地で116回公演を行った。
それから今年6月には香港で香港フィルハーモニーと2回公演をする。それから僕の「協奏曲第2番」「テネリーフェ」と言うんだが、まだ録音もしていないが、すでに世界中の様々な重要なオーケストラと17回公演を行なっている。僕の「ピアノ協奏曲第1番」LAフィルハーモニークリーブランド交響楽団ピッツバーグ交響楽団デトロイト交響楽団など数多くの重要なオーケストラと一緒に演奏をした。それにポルトガルのグルベンキアン、マドリード、ウィーンでも演奏をした。様々なクラシックのオーケストラと演奏をする機会が得られて本当に光栄だよ。

ーークラシックのオーケストラと演奏することと、ジャズのビッグバンドと演奏することの違いについて教えてもらえますか?

違いはたくさんある。第一にクラシックはミュージシャンが90人いる。ビッグバンドは多くても18人だ。サイズに大きな違いがある。

それに交響楽団だとビッグバンドにない楽器がたくさんある。バイオリン、チェロ、ビオラ、コントラバスといった弦楽器が多く用いられる。そこに、新たな問題が見つかる。つまり新たな挑戦ということだ。

例えば僕の協奏曲第3番もまだ録音は出していないが、「Concert for Jazz Trio & Orchestra」と言うのを既に書いて演奏しているんだ。YouTubeでも聞くことができる。デトロイト・シンフォニーに頼まれて作ったものだ。これには二つの世界が入っている。交響楽団のための曲の書き方とビッグバンドのための書き方、両方が入っていて、入り混ざっている。ジャズでありながらクラシックの協奏曲なんだ。この作品も第2番も録音したいと思っている。今後アルバムとして出したいと思っているよ。

■『Essence』がビッグバンドになった理由

ーータイトルにはどんな意味が込められているんですか。

『Essence』は僕の25枚目のアルバムで僕の人生のスペシャルな瞬間を祝したものだ。僕のキャリアにとって非常に重要な一枚と考えている。僕の音楽人生で起きた様々な出来事や経験を集約している。1曲1曲に物語があって1曲1曲が僕の人生のある瞬間を彩ってきたものだ。

“エッセンス(本質、根幹)”とは僕の作曲のコンセプトだ。僕の作曲はエネルギーに満ちて、リズム・セクションの正確さが際立ち、1曲1曲に感動やフィーリングがあって、エキサイティングな何かに溢れている。伝統的なジャズの養分を吸収しつつ、今日まで関わり続けてきたクラシック音楽のテクスチャー(質感)も織り込まれ、そしてもちろん僕のルーツであるラテン音楽が存在する。それからアルバム『Essence』に関してはリズム・セクションとホーン・セクションとの間を行き交う創造性という意味もある。

ーーひさしぶりのビッグバンド作品ですが、どんなきっかけで作ったアルバムですか?

25枚目というのは重要な数字で、非常に特別な瞬間を記念している。それにこの瞬間までビッグバンドでの録音を待っていたということもある。これまで、ビッグバンドのアルバムは3枚だけだ。スタジオ録音の1枚目『One more once』、それから2枚目はミシェル・カミーロ・ビッグバンドのライヴ録音の『Caribe』、そして今回の『Essence』だ。なぜなら僕にとってビッグバンドは、トリオの拡張形なんだ。ほとんどの僕の作品は、基本単位としてのトリオのために作曲してきた。このアルバムでピアノの前に座るたびにいつも吹奏楽器ではどんな音になるのか、ラージアンサンブルだったらどんな音になるのかとこれまで思い描いてきたことを具現化している。
ピアノの前に座るとき僕の頭のなかではオーケストラの様々なテクスチャー(質感)が聞こえているんだ。僕のピアノ奏法はオーケストラに非常に共通するものがある。ピアノを弾いているとき、ピアノの鍵盤だけを考えているわけではなく、様々な色合い、テクスチャー(質感)、音色が頭にあるからね。

ーーなるほど、トリオの延長にあるものなんですね。

そう。だからこのCDはとても特別だ。今回ホーン・セクションには非常に厳しい要求をした。リズム・セクションと同様に完璧な正確さを求めたんだ。すべてが調和し、正確であることを求めた。それが僕の音楽に欠かせない。それに多くのパッセージでは高い演奏技術が求められる。と同時にそれがエキサイティングな瞬間でなければならない。時によっては例えばイントロの「Mongo's Blues Intro」、ボーナストラックの「Mongo's Blues Chant」エリエル・ラソとのデュオのように、親密な瞬間、とてもクリアな瞬間もある。いっぽうでバラードの「Just Like You」のアントニオ・ハートのサックス・ソロに伴って弾くときのようにすごく特別な瞬間もある。それに「Liquid Crystal」は曲のなかでテクスチャー(質感)が変化していく。クリスタルの角柱が光を反映して円を描きながら、いっぽうでは水のように流れる感じだ。

ーー普段の作品ではあなたのピアノが前面に、また中心にあると思います。一方で、自分のビッグバンドのために曲をアレンジする際に、自分のピアノにはどのような役割を担わせていますか?

ピアノの役割といえば、例えばすべてのトラックにピアノの即興のソロが含まれている。同時にいつもよりずっと多く伴奏をする機会が得られたんだ。仲間達の伴奏をするのがすごく楽しかった。結局それがジャズのいいところでもある。どれくらい弾いて、どれくらい弾かないかを知るにはたくさんの経験が必要だ。だからその時々で即興演奏をしている奏者に注意して、どのように支え、奏者の考えにどうやって反応し、互いにどう補い合えるか。ジャズの重要な特徴として、奏者一人一人が常に何かしらの貢献をしている。そして全員が常に支え合い、互いに作用し合っている。このアルバムにはその“エッセンス(本質、根幹)”も入っている。互いにどう作用し合うか。メロディを演奏するときだけじゃなく、誰かが即興をするときも同様だ。そのとき最も重要なのは作曲であって作曲は唯一のものでなくてはならない。それぞれの作曲にそれぞれの精神、それぞれの視点、感動、感情がある。だから演奏するときそれぞれの曲の意図を維持しないといけない。それぞれの曲、メロディーに要求事項がある。音楽家は音楽に仕えるしかない。

ーーこれほど特別なアルバムに過去の名曲もたくさん含まれてますが、その選曲の基準はなんですか?

自分のキャリアにとって重要な曲を選んだ。僕という人間を定義づけ、人生の特別な瞬間を彩った曲たちだ。そしてファンとも結びつきの深い曲ばかりだ。僕にとって7色の虹のような存在だ。

というのは1枚のアルバムを作るためにたくさんの曲が必要だ。そしてそれぞれの曲は補いあわないといけない。僕にとって一番大事なことは、アルバムを聞く人に最初から最後まで興味を持ち続けてもらうことだ。そしてある曲から次の曲に移るときに好奇心を持ってほしいんだ。「次は何が起きる?」「次は何?」とね。だから流れが重要だ。水であり、空気のような流れを持ち、火のようなエネルギー、そして土のようなラテンのリズムやカリブ海地方の伝統がある。この4つの要素が結びついて創造が生まれる。創造の“エッセンス(本質、根幹)”とは、リスクを犯してでも探求し、即興を重ねて新しい構想、新しい感情を発見することだ。それが僕にとって本当にエキサイティングなことなんだ。聞く人にとってエキサイティングなだけでなく、弾いている僕たちにとってもエキサイティングなんだ。

■ミシェル・カミロによる『Essence』曲解説

ーー次にそれぞれの曲についてもっと詳しく聞かせてもらえますか?まずは「Liquid Crystal」から。

この曲を書いた当初、オスティナート(ある種の音楽的なパターンを続けて何度も繰り返す事)のように解釈していた。オスティナートとは常に繰り返すもののことだ。この曲の原動力はベースラインだ。だからこの曲はピアノの左手とベースを使って必ずベースラインからスタートしなければならない。この曲には2つのハーモニーの核がある。つまりハーモニーの軸が2本あって、行ったり来たりする。常に軸から軸へと横断する。それぞれのハーモニーの軸に個性があって、それぞれのテクスチャー(質感)、コントラストがある。最初にトリオで録音をしたときはすごくシンプルですごくクリアな曲だった。それが演奏する度に何度も見直されて新しく構築され、年月とともに成長してきた。その進化の結果がここにある。

最初に六重奏で演奏した際に大きく進化した。この3+3(スリー・プラス・スリー)という六重奏で数年前にブルーノート東京のカウントダウンライヴに出演した。そのときのホーンはトロンボーン1、トランペット1、テナーサックス1の3本だけだったから今とは大きく違うがこの時にこの曲のメロディーの新しい構築が始まった。それはなぜか?単純にホーンに仕事を与える必要があったからだ。ロングトーンだけじゃなく音数を吹いてもらおうと思って新しく曲を構築した。その時はまだ道半ばで、今ようやくフルヴァージョンに仕上がった。

ーーでは「Repercussions」は?

この曲は当初、アート・ブレイキーにインスパイアされて作ったものだ。

アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーだ。アート・ブレイキーとはNYに来たばかりの頃に出会った。今はもうなくなってしまったがミッケルズというすごく重要なクラブがあってよく行った。NYに着いたばかりの新しい才能を発掘するためのエクスペリメンタルなクラブでね。僕はNYに着いた当初、“フレンチトースト”というバンドでこのクラブに出演していた。その後日本で『フレンチトースト』というアルバムも出したよ。それでアート・ブレイキーがジャズ・メッセンジャーとともにここで演奏していた。新しいジャズ・メッセンジャーのほうだ。ウィントン・マルサリスブランフォード・マルサリステレンス・ブランチャードベニー・グリーン等、当時、NYに来たばかりの若いミュージシャンたちとよく一緒になった。仲間たちの演奏をよく聞きにいったよ。ある夜、僕もアート・ブレイキーにステージに上がれと言われて一緒にジャムセッションをした。ブレイキーは客席にいる若いミュージシャンをステージに上げるのが好きでね。この曲のタイトルは、アート・ブレイキーの叩き方、彼のドラムの駆動力に着想を得ている。だからこの曲はアート・ブレイキーへのトリビュートなんだ。

ーーでは「Mano a Mano」は?

「Mano a Mano」は過去のアルバムのタイトル曲だ。ピアノ、コントラバス、パーカッションだけのトリオのバージョンからスタートしている。つまり当初はパーカッションのジョバンニ・イダルゴ、ベースのチャールス・フローレスと僕の3人だけで録音をした。「Mano a Mano」は本来ラテンのリズム、ルンバを持ったブルースだ。でもコントラストをつけるために、伝統的なビッグバンドのブラスではなく木管を使ったらおもしろいんじゃないかと思った。だからこの曲にはちょっと違うテクスチャー(質感)があるんだ。

マイケル・モスマン
にトランペットの代わりにフリューゲルホルンやフルート、クラリネットを使って、普段とは違うオーケストレーションにしてくれと頼んだ。ギル・エヴァンスが使いそうなテクスチャー(質感)だ。彼の影響のこともさっき言うのを忘れたな。ギル・エヴァンスのバンドはブラスだけでなく、より豊かで濃厚なものにするために様々な音色をミックスしていた。だからこの曲ではブラスと木管を取り入れた。だから少し変わったテクスチャー(質感)が感じられると思う。

アルバムのなかでテクスチャー(質感)が変わる曲がいくつかある。他とは異なるテクスチャー(質感)を使っているのがもう一つ「Liquid Crystal」「Just Like You」だ。この3曲が並んでちょうどアルバムの中間に位置しているのはわざとなんだ。ここでバンドの色合いが変わるのがわかると思う。

ーーなるほど。

アルバムの構造の話だけど、最初の1/3の部分はサックス、トランペット、トロンボーンといったビッグバンドの伝統的な編成。2曲目に「Mongo's Blues」への橋渡しをするエリエルとのデュオを挟んではいるが、1曲目の「And Sammy Walked In」は伝統的なビッグバンド編成。その後、橋渡しのすごく親密なイントロがある。クラシック音楽ならここはソット・ヴォーチェ(ひそひそ声)だな。そこからアバコアコンゴのリズム、アフロキューバンの伝統や宗教に根ざした「Mongo's Blues」に入っていく。なぜならモンゴ・サンタマリアがアフロキューバンの宗教であるサンテリアの信者だったからだ。なぜこの曲が12/8や6/8拍子かといえば、モンゴ・サンタマリアの有名曲の一つに「アフロ・ブルー」があるからだ。ジョン・コルトレーンが録音した曲だ。

その後「Liquid Crystal」「Mano a Mano」「Just Like You」でバンドは大きな変容を遂げる。木管楽器が登場するんだ。しかし「Liquid Crystal」で新たな視野が開ける。トランペットの2番目のソロはミュートを使うんだがこれはマイルス・デイビスへの追憶なんだ。カリ・ロドリゲス・ペーニャのすばらしいソロだ。彼はこのバンドの最年少でキューバ人なんだ。「Mano a Mano」には元々ルンバのエレジー(哀歌)があったのだが、今回は全く違う木管のテクスチャー(質感)を取り入れることで、前とは違ってコンテンポラリーな仕上がりになっている。それにドラムとパーカッションのソロもすばらしいよ。

次に「Just Like You」は6曲目でちょうどアルバムの真ん中に位置する。この曲はひと時のリラクゼーション、甘くロマンティックなひと時なんだ。女性的な官能がある。シネマ・ノアールの探偵映画のような作品だろう? 探偵映画にはいつも探偵とその顧客のすごくセクシーな女性が登場する。推理あり、女性とのロマンスもある。それらが「Just Like You」に入っている。すごく都会的で映画『タクシードライバー』の作品のようなテクスチャー(質感)だ。それからこの曲のピアノはすごく内面的。意識下で考えていることを描写しているんだ。

それから「Yes」は、あるスタンダードジャズの作品からインスパイアされている。チャーリー・パーカーの有名なスタンダード「ドナ・リー」と同じコード、同じ和声がベースになっている。マンボ・ジャズのリズムだがコードと和声の進行は「ドナ・リー」と同じ。ただメロディが全く違う。それにもっとずっとコンテンポラリーな仕上がりとなっている。

ーーでは、大名曲の「On Fire」を今回再演した理由は?

ずっと以前からこの曲をビッグバンドでアレンジしたいと思っていた。この曲も前に六重奏でアレンジをし直している。だがこの時はスリー・プラス・スリーではなくて、いや、あれは五重奏だったな。もうずっと前のことだがその五重奏でニューポートジャズフェスティバルに出演したんだ。トランペットにマイケル・モスマンラルフ・ボーウェンもいた。二人とも『Essence』の録音に参加している。ニューポートのミュージシャンたちがホーンを加えたヴァージョンを聞いてすごく気に入ってくれた。コンサートが終わるとロイ・ハーグローブが僕のことを待ち受けていて、コンサートの最後に弾いたこの曲がすごく気に入ったと祝福してくれた。YouTubeにもあのときのコンサートの映像があるよ。

それでずっとビッグバンドでやりたいと思っていて、マイケル・モスマンに今がその時だと話したんだ。この曲のオーケストレーションをしてアレンジをするときだと。すばらしい仕上がりになったと思う。友人にスタジオ録音の様子を撮影してもらった。この曲は僕の大のお気に入りなんだ。ソロ、デュオ、トリオ、五重奏、そして今回がビッグバンドとあらゆる編成で録音した。


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