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interview Antonio Sanchez:"Shift"で示したプロデューサーとしての進化とメキシコ人としてのルーツ

アントニオ・サンチェスといえば、2010年代以降のパット・メセニーの音楽に欠かせないパットの音楽の最重要パーツのひとつであり、世界最高のジャズ・ドラマーのひとり。

そんなアントニオは映画『Birdman』の音楽を担当し、そこから徐々に音楽性が変わってきた。

ドラムだけで様々なシーンの感情や意味を表現した前代未聞のサウンドトラックだった『Birdman』での作業はアントニオ・サンチェスに作品を作りこむことの魅力を発見させることになった。その結果、ひとりで多重録音と編集を駆使して作った2017年のアルバム『Bad Hombre』が生まれた。

「僕版の『Birdman』を作りたかった。『Birdman』はドラムだけでアトモスフィリックな音楽を作ったけど、あれは映画用で、自分で考えることはなかった。だから、今度は自分自身の発想でやってみたかったんだ。それからいままでやってきたこととまったく違うことをやりたいと思った。少し前に自宅にスタジオを作って、音だけじゃなくて、映像も作れる機材も揃えた。つまり、自分専用の実験室みたいなものを手に入れた。そこでいろいろ試していくなかで『Bad Hombre』が生まれた。

これまではピアノでメロディやコードを作って、そこから曲を構築していったんだけど、あえてプロセスを逆転させて、ドラムから始めて後からいろんなものをのせていくやりかたが浮かんだら、それを試したりね。インプロヴィゼーションだけでひたすらドラムを何時間も叩き続けて、思いついたパターンがあったら、それをどんどん早くしてみたり、時にはキックとハイハットだけでやってみたり。自分の中からどんなクレイジーなものが出てきたとしてもそのまま続けながら作ったんだ。それができたのは今回は外部からの影響をいっさいシャットダウンしたからってのもあるね。プロデューサーもエンジニアもサポート・ミュージシャンもいなかったからね。」

※2018年に柳樂が行ったアントニオ・サンチェスのインタビューより

アントニオ・サンチェスが2022年、その『Bad Hombre』の続編を制作した。それが『Shift: Bad Hombre, Vol. 2』だ。

まず、サウンドが圧倒的にリッチになっていることに驚く。映画やテレビの仕事にも力を入れてきたアントニオの成果がいかんなく発揮されているし、もはや「ジャズ」だけでなく、あらゆる音楽を取り込んでいく自由さも見せている。

そして、その豪華すぎるゲストにめまいがするような大作になっている。ただ、そのゲストの傾向に目をやるとアントニオ・サンチェスが新たな方向に進み始めていることに気付けるだろう。その人選からは、2017年の『Bad Hombre』でトランプ政権下のアメリカへの怒りを露わにしていたアントニオがここではまた別のメッセージを発していることも見えてくる。

アントニオ・サンチェスはメキシコ出身だが、これまでその出自を作品には反映させてこなかった。それがここではロドリゴ・イ・ガブリエーラをはじめ、メキシコ人のゲストが多数含まれるだけでなく、自身の祖父までをもゲストに迎えている。またメキシコ人以外にもスペイン語圏のアーティスト、さらにはポルトガル語圏も含め、ラテンアメリカを中心に非英語圏のアーティストが名を連ねている。つまりここでは自身のルーツへの言及があり、さらにはアメリカで成功を収めたラテンアメリカ出身のアーティストとしての立場を明確に提示しているとも言えるだろう。

もうひとつは女性のゲストが多いことと、女性の中でも社会的なメッセージを発していて、特に女性の権利についての言及が多いアーティストが名を連ねていること、だろう。

例えば、アントニオのパートナーのThana Alexaは自身の作品にそんなメッセージを込めてきたジャズ・ヴォーカリストだ。彼女からの影響がはっきりと形になったのがこのアルバムだとも言えるだろう。

つまり、プロダクションへの関心から始まった『Bad Hombre』は、2作目にして一気に深みを増し、その文脈は一気に膨らみ、とんでもなく興味深い作品に進化した。

その文脈を読み解くのはなかなか困難そうではある。だったら本人にがっつり話を聞こうじゃないかとインタビューを敢行した。じっくり1時間10,000字。世界最高のドラマーが今、何を考えているのかにぜひ触れてみてください。

アントニオ・サンチェス “バッド・オンブレ"来日公演 2023 6.6-6.8

取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 通訳:湯山恵子
協力:ブルーノート東京/コットンクラブ

◎『Shift』のコンセプト

――まずは『Shift: Bad Hombre, Vol. 2』のコンセプトを聞かせてください。

お気に入りのシンガーソングライターたちに物語を語って貰うことがコンセプトだった。というのも、僕自身がそういった様々なストーリーテリングを扱った作品が大好きだから。提供をお願いした素材に関しては、新旧問わず、書き留めていたスケッチ段階のものでも構わないと彼らに伝えた。楽曲には彼らの歌声と、拍子がわかるようにメトロノーム音、つまりクリック・トラックが含まれているものを提供して貰ったんだ。参加アーティストには提供音源を僕の方で再構築することや、ヴォーカルとドラム音を主に際立たせたサウンドに仕上げることを事前に伝えたね。原曲のソングライターやシンガー達による素晴らしい素材を自由に使って作品制作に取り組むことができたから、夢のような作業だったよ。

そして、曲を提供してくれたみんなの勇敢さには感動したよ。ソングライターにとって、楽曲は自分の赤ん坊(ベイビー)のように大切な存在だし、自分の子供を手渡して整形手術を受けさせるようなことは、勇気がいるからね!

――”Shift”と名付けた理由は?

参加アーティストから受け取った楽曲素材を僕が変化させたから、「Shift」という単語(ワード)を入れたんだ。歌詞の順番を入れ替えたり、ヴォーカル素材も沢山編集したからね。

――「最初にドラムビーツを送る」ということですが、そのビートにはあなたなりのメッセージが込められていたんじゃないかと想像しますが、どうですか?

Ana Tijouxに送ったビートは、明らかに彼女のヒップホップ系バックグラウンドと関連させたものだったし、Lila Downsに送ったビートは、より穏やかで、美しくゆっくりとしたものだった。Lilaにはそういう曲を書いてもらいたいと思ったからね。

コラボレート色が最も濃いのはThana Alexaとの曲。同じ屋根の下で暮らしているから、共同制作は簡単だった。例えばビートとベースラインを僕が渡すと、彼女は自分が書いたものを僕に見せ、そこからまた僕が足したものを彼女に渡す、というような流れで進行したんだ。

◎『Shift』を生んだアメリカの現状

――前作『Bad Hombre(Vol. 1)』はドナルド・トランプの発言がきっかけになった作品でもありました。だからこそダークなサウンドやアグレッシヴでパワフルな演奏が含まれていました。そこには怒りやフラストレーションが表出していました。『Shift: Bad Hombre, Vol. 2』を作る際にも自分の中に何かに対する怒りやフラストレーションはあったと思いますか?

政治、経済、文化など、現在の状況には常にフラストレーションがあるけど、新作にはより「希望的」な意味が込められているんだ。『Shift: Bad Hombre, Vol. 2』と名付けたのは、(前作に続き)楽器もプロデュースもすべて僕が担当したから。Bad Hombreは僕のオルター・エゴ。つまり、僕の別人格。ピアノで作曲したりバンドとリハーサルをしたりする通常の手法とは異なるんだ。この作品はニューヨークの自分のスタジオですべてを行ったからね。

――さっきおっしゃっていた現在の状況(current situation)とはどういうことでしょうか?

特にアメリカでは当然「ポスト・トランプ症候群」が挙げられるね。トランプは再び復帰を目論んでいるから「ポスト・トランプ」とは言い難いけど、、。アメリカでクーデターを起こそうとした人間が再びアメリカ大統領選に立候補できるなんて、あり得ないことだよ。

この他、経済悪化の皺寄せが文化面にも影響している。パンデミック以降、音楽業界に流れていた酸素は上位にいる非常にポップなものだけに行くようになってしまった。必ずしも売れているから音楽的に優れている訳ではないのに、ね。一方、経済状況により、その下にいるアーティスト達は音楽制作が困難な状況を強いられている。ジャズは一番下に押しやられているから、(音楽ファンが)より小さなジャズ・クラブに足を運ばなくなっている難しい状況がある。そういうことが重なり、パンデミック以降、ジャズ・ミュージシャンになることはかなり難しくなってきた。(パンデミック中は)家に閉じこもる動機が多かったから、外出することも大変だったのも関係しているだろうね。だから、ジャズ・ミュージシャンたちは常に流れに逆らって泳いでいるような感じなんだ。ジャズは昔から厳しい状況だったけど、以前より更に大変になっている気がするんだ。

◎ロックのサウンドへの憧憬

――なるほど。そんな中あなたは自分のスタジオで ポスト・プロダクションを駆使して作品を作りました。そのきっかけは何だったんでしょうか?

そもそも僕は子供時代にピーター・ガブリエル『So』ティアーズ・フォー・フィアーズレッド・ツェッペリン等の壮大なサウンドを奏でるアーティストものを聴いてきたことも理由のひとつ。その壮大なサウンドに関して僕が気づいたことは、ヴォーカル、キーボード、ギター、、と音が何層も重なっているにも関わらず、ドラムセットはたいてい1つしかない点。何百ものトラックを重ねていても、ドラムスは1つだから、彼らがやっているようなシンセで音を何層も重ねるような手法を敢えてドラムで試してみたかった。だから、この作品は、80年代から90年代に僕に影響を与えた音楽へのトリビュートのようなものなんだ。

それから、自分に何ができるかを常に研究することは、アーティストの義務だと感じている。これまでとは違う人達と、異なる素材で、これまでとは違うことに挑戦したかった。これまで長いこと僕はジャズの輪の中で活動してきたけど、新しい挑戦から何かを得られるとしたら、それは実に面白いことだと思うよ。

――さっき「壮大なサウンド」と言ってましたけど、「ラウド」もしくは「アグレッシヴ」なロックのサウンドもあったと思います。普段あなたが叩いているサウンドとはかなり違うと思うんです。ここではどういう演奏をしたんでしょうか?

僕が影響を受けてきたロック要素を取り入れたんだ。例えば、(レッド・ツェッペリンの)ジョン・ボーナムや(ポリスの)スチュワート・コープランドミシェル・ンデゲオチェロの曲「Comet, Come to Me」では、彼女のベースラインがレゲエの雰囲気を醸し出していたけど、僕はスチュワート・コープランドがポリス「Regatta de Blanc」でスネアドラムにディレイをかけていたようなプロダクション的なことを足していった。

他にも自分が大好きなドラマー達からインスピレーションを得ている。もちろん、(ラッシュの)ニール・パートからもね。ニール・パートは演奏楽曲の具体的なある部分で叩く自分のドラムのフィーリングを緻密に考えながら作曲し、毎回全く同じように叩いていたドラマーなんだ。僕の場合は、曲を盛り上げるためにいつも同じように叩くこともあるし、ジャズ・ミュージシャンなので即興を入れることもある。つまり、自分が大好きなドラマーたちからの影響を受けつつ、非常に自由に取り組んだと言えるね。他にはドラム音を何層にも重ねたりもした。同じドラム・ビートを5回録音して、まるで1つの巨大なドラムセットのようなサウンドに仕上げた曲もあるよ。

そもそもここでやっていることはロックを聴いて育った僕にとって、懐かしい感じがするんだ。子供の頃に母が愛聴していたビートルズローリング・ストーンズジミ・ヘンドリックスクリームザ・フー等のブリティッシュ・ロックが僕は大好きだったからね。例えば、ロドリーゴ・イ・ガブリエーラの曲「M-Power」では、自分の音楽のルーツであるヘビーなロックやフュージョンのルーツを持ち込む絶好の機会だと思ったんだ。

◎映画音楽の世界から得たもの

――ロック人脈だと、「I Think We're Past That Now」でのTrent Reznor/Atticus Ross(Nine Inch Nails)とのコラボレーションは映画音楽にも精通するスペシャリストとのコラボレーションでもあったと思います。この曲の制作はどんな感じだったんですか?

トレントとの出会いは僕が映画『バードマン』でノミネートされた時の 2015年度ゴールデングローブ賞会場だった。その時、他にノミネートされたハンス・ジマーも同席していて、このふたりのような素晴らしいアーティスト達に会えて、感激したよ。しかも、ふたりとも『バードマン』の音楽が大好きだと言ってくれたんだ!だから、このプロジェクトでアーティスト勢に声をかける際には勿論トレントにもお願いしたんだ。

僕としてはアーティスト側の仕事量を増やしたくなかったから「過去にリリースしていない未発売の素材や古い作品など、僕が再構築できそうな素材があれば嬉しいな」と伝えていたんだけど、トレントは「いや、僕は新しい音源を作りたいんだ」と言ってくれて、驚いたよ。送られてきたProTool素材を開くと、ヴォーカルとアティカス・ロスによるシンセ素材が数トラック入っていた。空気のような優美な楽曲で、NINのインダストリアル・ロック的な激しい音楽性とは似ても似つかぬものだった。僕は編集作業を進めていくにつれて、「コーラス部分を壮大なロック的なサウンドにできれば最高だなぁ」と考え、ベースやドラムビートを足していった。完成した楽曲を送ったら、トレントは『バードマン』のような雰囲気のサウンドを想像していたようで驚いていたよ。幸いなことに、彼は僕が最終的に作った仕上がりを気に入ってくれた。「全く予想外の仕上がりで、凄く自分の心に響くから、何度も聴いている」と言ってくれたんだ。

――なるほど。ここでは多くのシンガーやラッパーが参加しています。本作のようなコンセプチュアルかつ社会的なメッセージも含まれるようなディープな作品でシンガーを起用するに際して、選ぶ基準のようなものはありましたか?

このアルバムに参加しているシンガーやアーティスト達は全員が素晴らしいストーリーテラーで、僕が重要だと感じていることにきっと影響を与えてくれるだろうと確信していた。

例えば、Silvana Estradaはメキシコで問題になっている女性達の失踪事件について扱っている。また、Ana Tijouxは、女性たちの「言葉」を歌に託した作品を提供してくれた。

そして、ベッカ・スティーヴンスはその最たる例。ベッカからアルバムについて聞かれた際、僕はこのアルバムで重視しているのは「社会的公正」と彼女に説明した。ベッカはオレゴン州立刑務所にいたスターリング・クーニョ(Sterling Cunio)という囚人が書いたポエトリーを見つけ、それに曲をつけた。その後、僕が編曲とプロデュースを手掛けたんだ。9年間も独房に閉じ込められていた男が刑務所の中で書いた歌詞は、強烈に心を打つような内容だったよ。

――メロディや詞に合わせて後からあなたがトラックを仕上げていくプロセスは曲のストーリーやエモーション、歌詞の変化に合わせて音を付けるわけですから、ある意味、映画音楽と同じような作業とも言える気がしますが、どうですか?

映画音楽を作る場合は、監督やクリエイターと一緒になってヴィジョンを作り上げるけど、このアルバムはそれとは全く違うんだ。映画のように監督の考えに自分の案を合わるのではなく、僕は彼らから受け取った楽曲の素材を駆使して楽曲を完全に仕上げ、ラフ・ミックス後にアーティスト側に送った。ちょっとしたアイディアを出し合い、意見交換しながら音源を仕上げていくような共同制作ではなく、自分のアイディアのみで楽曲を完成させたんだ。

その目的のひとつは、アーティスト勢を驚かせること。つまり、彼らが全く予期しなかったようなものに仕上げたかった。例えば、ベッカが「この曲を私が作った時に頭に浮かんだドラムビートを一緒に送った方がいい?」と聞いてきたんだけど、「きっと使わないから、送らないでいいよ。何か新しいことを考えるから」と僕は伝えた。このプロジェクトで最も素晴らしかったことのひとつは、完成した音楽を送り、アーティストから感想をもらうことだったんだよ。

―― 映画の話が少し出ていますが、『Birdman』以降、あなたはいくつもの映画音楽の仕事をしてきました。その経験は本作にどう影響していますか?

僕の音楽は、映画的なものの見方の恩恵を受けていて、これはお互いに影響し合っている。個人的には、サウンド面で別世界に誘(いざな)うような、作り込まれたアルバムが大好きなんだ。ジャズとは全く異なる世界だね。ジャズは、3つか4つの楽器のみで、サウンド的には非常にシンプルかつ洗練されたものをアコースティックで表現している。ジャズの洗練はミュージシャンの演奏からもたらされるけど、映画音楽の洗練は音そのものから生まれる。僕が手掛ける映画音楽も、自分の作品、、、例えばこの『Shift』の制作を通して学んだことが活かされている。 昨年、HBO 放映のTVドラマ『The Anarchist』のスコアを担当したんだけど、実際僕が音楽やサウンド面で『Shift』から学んだことや気に入ったことをドラマ内でも応用した。だから、常にお互いが影響し合っていると思う。

そして、僕の音楽はヴィジュアル面からの影響を強く受けている。例えば、1曲目で俳優だった僕の祖父が話している箇所は、まるで映画のようだよね。これは、メキシコの小さな町にある伝統的な中央広場を想像しながら制作した。祖父が演じる役柄の声が聞こえてきて、皆を招き入れ、音楽を聴かせる。まるでサーカス映画のように。だから、視覚的な側面が非常に重要なんだ。

◎メキシコ、チリなどの多彩なゲストについて

――その1曲目の「Opening」だけでなく、ラストの「Closing」でもメキシコ人俳優であり、あなたの祖父Ignacio Lopez Tarsoが参加しています。彼を起用したり理由とこの音楽はどんなことを表わしているのか、聞かせてください。

実は前作『Bad Hombre(Vol. 1)』で祖父の古い録音物を初めて使用したんだ。前作のアルバム冒頭で祖父のマリアッチバンドによる「Corridos」という曲の一部を拝借した。昔、うちの祖父は、メキシコ革命の物語を語るテレビ番組で、語り手役として出演していて、僕は子供の頃、この番組が大好きだった。祖父は素晴らしいストーリーテラーだったし、番組内では音楽が沢山流れていたんだ。『Bad Hombre』のようなアルバムでは、普段の自分の作品ではやらないようなクレイジーなことを試してみたかったんだよ。

今回も大好きな祖父の声を使用したかったけど、内容的にピッタリ合う録音物を見つけることができなくてね。だから、メキシコ革命の物語のようなスタイルで、祖父のヴァース部分を僕が書いたんだ。「どうぞ、皆さん。お入りください。これから登場する素晴らしいアーティストたちの演奏をしっかりお聴きください。心を開き、シートベルトを締めて、ご準備を」というような内容をスペイン語で語っている。僕が特別に書き下ろしたヴァースを、祖父は見事に演じてくれた。祖父は1ケ月弱前に他界してしまったので、アルバム内で彼の声が永遠に聴けるのは、僕にとっては更に感動的なこと。前作の方は既に存在した録音物を使用しただけだから、自分のプロジェクトで実際一緒に仕事をしたのは、今回のアルバムが最初で最後となったんだよ。

――「Mi Palabra」はチリの女性ラッパーAna Tijouxが参加しています。ティジューはチリでのピノチェトの独裁政権の間、フランスで政治亡命生活を送っていたチリ人の両親のもとで育ちました。彼女は自身の音楽でラテンアメリカのルーツへの言及、環境問題や女性の人権、ラテンアメリカ由来の楽器の使用など、個性的な要素が聴こえる音楽を作っています。

まさに、君が言ったことがアナを起用した理由だね。彼女は活気に満ちたアーティストで、常に音楽の枠を超えて政治や文化、女性の権利などについて考えている。アナは自分の意見を言うことを恐れない、とても完成されたアーティストなんだ。政治や世間を騒がせるような問題には首を突っ込まないアーティストが多い中、彼女は自分の意見を述べることを恐れていない。深い内容を提供してくれると確信していたから、アナには是非参加して欲しかった。

当初、彼女から即興でラップするためのビートを頼まれていたから、ドラムビートを作って送ったんだ。ところが、彼女は非常に忙しい人で、素材がなかなか来なかった。何度催促してもなかなか来なかったから、ある時点で「アナ、そろそろアルバムを仕上げなきゃいけないから、もし君の素材が仕上がらないようなら、別のプランを立てなきゃいけないから」と伝えた。すると彼女は、「いやいや、絶対に送るって約束するから(=You have my word)」と言ったんだ。いざ曲を開いてみると、タイトルはまさに「The Word」だった、、、(笑)。自分の言葉や女性たちの言葉、その裏にある女性の美しい強固さを描いていて、かっこいいと思ったよ。

――「Risa de Mujer」ではメキシコ人女優でSSWのLila Downsを起用しています。彼女はメキシコ先住民族のスタイルを継承した音楽を作っていたり、とても興味深いシンガーです。

リラは中南米、特にメキシコでは大スター。彼女はメキシコの文化や音楽に深く精通していて素晴らしい。このアルバムはメキシコをテーマにしたアルバムではないけど、僕はメキシコ出身だし、僕の母国の文化に精通した彼女が参加することで非常にメキシコ的なものをもたらしてくれると考えた。リラからも「曲を書くためにドラムビートを送ってほしい」と頼まれて、送ったよ。その後、今は亡き旦那さんのポールと書いたとても美しい楽曲を僕に送ってきたけど、現在の 「Risa de Mujer」とは全く違うサウンドだった。僕の方で全体的なサウンドやベースライン等、いろいろ手を加え、彼女が驚き、楽しんで貰えるような作品を仕上げたんだ。

――「El Agua y la Miel」ではメキシコ人女性シンガーSilvana Estradaを起用しています。彼女はベネズエラおよびプエルトリコの伝統楽器クアトロを使用していたり、とてもおもしろい要素を含んだ音楽を作っています。

シルヴァーナとは長い付き合い。以前、彼女は一度ニューヨークに来たことがあって、僕の友人のマイケル・リーグが「凄くいいメキシコ人アーティストがいるんだけど、55 Barでの彼女のコンサートに参加しない?」と声をかけてくれたのが知り合ったきっかけ。現在もう55 Barはないけど、チャーリー・ハンターマイケル・リーグ、そして僕が参加し、シルヴァーナの楽曲を演奏した。彼女に初めて会った時、非常に特別なアーティストだと確信したね。彼女の楽曲も歌声もとても素晴らしかった。

その当時から、僕はこの「El Agua y la Miel」が大好きで、ある時メキシコで見た時、彼女は一人でこの曲をクアトロのみで演奏していた。その演奏を聴いていた時に、ベースとドラムの音が浮かんで、シルヴァーナに「もし、この曲を新たに制作し直してもよければ、ヴォーカルとクアトロの音素材を別々に送って貰えない?」と頼んだ。その結果、今回のヴァージョンが仕上がった。

実はこれがこのアルバムで最初に仕上がった楽曲。そこからアルバムのイメージが湧き、この曲が出来上がった時、「この手法で進めて、アルバムが1枚作れるかも?」と考えた。シルヴァーナは、歌詞がとりわけ特別なアーティストの一人。例えば、現在メキシコが抱えてきる女性の失踪や殺人問題を取り上げたり、そういった興味深くて重要な題材を扱っている。メキシコの小さな町では警察の数が少ない状況で、毎年多くの女性が行方不明になっているのは重大な問題だと思うし、大きな悲劇。原曲では最初から最後まクアトロで演奏するアルペジオが流れていたけど、僕は曲の中盤でそのアルペジオ部分を外して、全く違う雰囲気にしてみた。アーティストを驚かせたかったから。彼女は「まさか自分の曲がこんな風に変わるとは思わなかった!」と言っていたよ。特別な曲だから、変わらないと思っていたらしい。(今回楽曲提供してくれた)アーティスト達全員を驚かせることは、僕の目標だったからね。

――Ignacio Lopez TarsoLila DownsSilvana EstradaRodrigo y Gabrielaとメキシコ人が多く起用されています。Ana Tijouxも入れるとスペイン語圏のアーティストが起用されているとも言えるかもしれません。それは意図的なものですか?

うん。意図的なものだね。いいバランスが必要だった。というのも、僕が長い間やってきた音楽の多くは、ジャズであるがゆえに、自分のルーツが反映されていないように感じたから。前作の『Bad Hombre』では少しそういった要素も入っているけど、アルバム『Migration』には、明らかにメキシコの音楽要素はない。僕はメキシコ人だから、そういったメキシコ的要素は常にあるけど、このアルバムでは男女や英語とスペイン語のバランスは強く意識しているね。

――例えば、今、ポップミュージックの世界ではスペイン語で歌うRosaliaが人気だったり、今年のコーチェラではBad Bunnyがプエルトリコ音楽の歴史をアピールしたステージをして話題になったり、スペイン語圏の音楽が大きな話題になることも増えています。そういった状況をあなたはどう見ていますか?

中南米アーティストがアメリカで注目を集めていることは、勿論良いことだと思う。でも、残念ながら大半は個人的に好きではないんだ、、、。さっきも言ったけど、音楽業界も売上が見込めるような踊れるキャッチーな売れ線アーティストばかりに力を入れていて、才能ある素晴らしいアーティストたちが下の方に埋もれてしまっているから。

あと、中南米アーティストが注目を集めている良い状況がある一方で、例えばBad Bunnyの楽曲のヒドい歌詞等からリスナー側がラテン文化に対して歪んだイメージを勝手に抱いてしまうような悪い面もあるんだよ。ラップでもそう。ある特定の有名ラップ・アーティストの作品を聴いた人が、彼らの文化に対してステレオタイプなイメージを抱いてしまうこともあるからね。

◎Thana Alexaの参加とジェンダーイクオリティ

――なるほど。「Doyenne」ではThana AlexaらによるユニットのSONICAが起用されています。この曲では女性の権利活動家で奴隷制度廃止論者の Sojourner Truth の 有名なスピーチ「Ain't I a Woman」が引用されています。この曲を採用した理由を聞かせてください。

この曲の雰囲気、ビート、そしてメッセージがとても気に入っている。そして、女性の権利について語るのはとても重要なこと。長い間、女性は自分の平等を勝ち取ろうと奮闘してきた。政治や文化の制度が男女平等を難しくしているんだ。女性はいまだに男性と同等の収入を得られないという事実がある。女性の大統領が登場している一方で、まだ完全に変わっていない(=シフトしていない)ことは信じられない。それ以外にも、この曲のメロディとビートがとても気に入っている。この楽曲はいろいろ自由にできて、最も楽しい制作過程のひとつだった。それから、僕の妻が関わっているということも、勿論意味のあることだったね。

――Thana Alexaは彼女のソロアルバムでも女性の権利についてのメッセージを込めてきたアーティストだと思います。彼女の作品にも貢献しているあなたは彼女がやりたいことを最も理解している一人だと思います。このアルバムでも多くの女性シンガーが参加していて、女性の権利や平等に繋がるメッセージを込めた曲もあると思います。このアルバムのそういった部分について聞かせてもらえますか?

このアルバムで歌を披露した女性たちとの全体的なテーマは「女性が平等であるための苦闘」。自分以外の女性達のためにも戦い、発言している女性の存在はとても重要なものだから。これは、アメリカに移民として住む僕が、移民問題について話すのと同じ。僕はラッキーなことに合法的に移住できたけど、不法滞在でアメリカに移住したメキシコ人達がいかに虐待され、安い人材として利用されているのか、それに対して声を上げることは重要だと思う。

アメリカの政治家は「不法移民をなくすべき」と言うけど、その一方では、彼らは不法移民を二流の労働者や下層市民のように扱っている。アメリカ人には高い賃金と保険を支払わなきゃいけないから、メキシコ人やその他移民をタダ同然の人材として働かせている。これは誰でも知っている事実。だから、(アメリカの政治家の言葉なんて)偽善的なものでしかない。移民の悪口を言いながら、一方ではその移民達を利用しているワケだから。これは女性に対しても同じ状況。だから、アーティストがこういった内容を言葉にすることはとても重要なんだ。

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