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interview Shaun Martin - Empire Central:僕らダラスのシーンの合言葉は"Music for Booty&Brain"

スナーキー・パピーの『Empire Central』のテーマのひとつは

“ダラスへのオマージュ”

だった。マイケル・リーグを始めとした主要メンバーはテキサス州のダラスのシーンで腕を磨き、ダラスでこのバンドをスタートさせた。という話はマイケル・リーグに語ってもらったのだが、ここでスナーキー・パピーの中の“ダラスらしさ=Dallas-ness”をもっと深く知りたくなった。そこで今回はスナーキー・パピーの鍵盤奏者ショーン・マーティンにも話を聞くことにした。

スナーキー・パピーのライプを観たことがある人なら、ショーンの陽気なキャラクターに惹かれてしまった人も少なくないだろう。“真面目な敏腕職人集団”的なスナーキー・パピーにおいてショーン・マーティンは欠かすことのできないムードメイカーだ。僕はショーンを観ているとそれだけで楽しい気持ちになる。スナーキー・パピーの名を世界中に知らしめた名曲「Lingus」のヴィデオでのショーンのリアクションはコリー・ヘンリーの演奏に次ぐ名演だったと思う。最強の愛されキャラなのだ。

その上で、演奏も最高だ。コンテンポラリー・ゴスペルの大物カーク・フランクリンの音楽監督を務めるゴスペル界のキーパーソンでもある。つまりスナーキー・パピーにはいちメンバーとしてカーク・フランクリンの音楽監督が在籍していて、ツアーにも同行していることになる。

そんなショーン・マーティンはダラスで育ち、ずっとダラスを拠点に活動しているミュージシャンだ。そして、マイケル・リーグらとはスナーキー・パピーを結成する前からダラスで共に演奏してきた仲でもある。今回のリリースに際して、マイケル・リーグにダラスという街についていろいろ聞いてきた中で、彼は何度も教会を中心としたゴスペルのシーンの重要性を語ってくれた。

マイケル・リーグ「僕は(当時)3、4年くらいダラスに住んでいたんだけど、その間にブラック・チャーチの伝統に触れることができたのは大きかった。アメリカでブラック・アメリカンのミュージシャンに話を聞けば、最初に音楽を聴いたのも最初に演奏したのもチャーチだっていう人が多いと思う。彼らの音楽を形作っているブラック・チャーチを体験できたのはものすごく大きな経験だったよ」

※ https://rollingstonejapan.com/articles/detail/38455

つまりダラスのゴスペルのシーンで活動している人に話を聞いておかないとダラスのことはわからないのではないかと考えた。だからこそ、僕はショーン・マーティンに話を聞いたのだが、彼はマイケル・リーグとは少し違う角度でダラスの音楽を語ってくれた。それは正に『Empire Central』のサウンドを語るのとほぼ同義の話だったと思う。

取材・編集:柳樂光隆 通訳:染谷和美
Photo:Brian Friedman 協力:COREPORT

◉ピアニストとしての影響源

――まず『Focus』のような素晴らしいピアノトリオのアルバムをリリースしているあなたにピアニストとしての側面について話を聞きたいんです。名門Booker T. Washington High School for the Performing and Visual Artsに通っていましたよね。その頃、どんなピアニストを研究していましたか?

ハービー・ハンコックビル・エヴァンスキース・ジャレット。そして、アーマッド・ジャマルオスカー・ピーターウィントン・ケリーマッコイ・タイナーも好きだったね。

採譜するのが高校の課題だったからね。キース・ジャレットのソロに関してはかなりアブストラクトだったから、採譜はしなかったな。でも、僕と同じダラス出身のウィントン・ケリーシダー・ウォルトンはかなり採譜したから、彼らのソロに関してはかなり研究した自負があるよ。

――その後、University of North Texasに進学しています。その頃はどんなピアニストを研究していましたか?

高校の頃と変わらずずっとレジェンドを研究してるし、聴き続けてるよ。その後は変わったというよりは、リストに新しい人が加わったんだ。ボビー・スパークスロバート・グラスパーコリー・ヘンリーとかね。僕は常に新しい世代もチェックするようにしているし、彼らのことも研究しているんだよ。

――あなたはロバート・グラスパーと同世代ですよね。あなたの世代なら80-00年代に頭角を現したジャズミュージシャンも研究したのではないかと想像します。それに関してはどうですか?

もちろん。ケニー・カークランドは僕のヒーローのひとりだね。ブランフォード・マルサリスとやってる作品で初めて知ったんだ。そしてブラッド・メルドーも僕にとってのヒーローだ。実は少し前に彼に会うことができたんだ。彼がクリス・シーリーと一緒にやっているのを観に行ったときに「あなたは僕のヒーローです」って直接伝えたんだ。あとはマルグリュー・ミラーも重要だね。彼のことも研究したよ。

――『7Summers』に収録されている「Yellow Jacket」を聴いたらパット・メセニーのインスピレーションもあるのかなと。となるとあなたはライル・メイズも好きなのかなと思ったんですけど、どうですか?

パット・メセニーはもちろんだし、ライル・メイズ、そしてラッセル・フェランテだね。おかしな話があって、あのメロディを思いついたのは僕が南アフリカにいた時で、それはネルソン・マンデラが亡くなったのと同じ週だった。その週に2つ曲を書いんだよ、ひとつが 「Madiba」でもう1曲が「Yellow Jackets」。ただ、メロディは思い浮かんだものの、完成させることはできなくて、そのうち「なんかこれ、パットとライルとラッセル・フェランテみたいな音じゃね?」って気が付いてから、ようやくまとめることができたんで、それで「Yellow Jackets」ってタイトルにしたわけ。イエロー・ジャケッツの曲を彷彿とさせたから。この曲にはそういうヴァイブスが絶対あるよね。この2曲、いつも僕を幸せな気分にしてくれるんだ。

――ライル・メイズは好きなピアノプレイヤーのリストに入る?

あたりまえじゃん! イエース!決まってんじゃん!イエース!

――特に好きなジャズ・ピアニストのアルバムもしくは曲を3っつ選ぶとするとどうなりますか?

おおおお、OK…じゃあ、俺の定番をあげるよ。まずはアーマッド・ジャマル『1973』!(即答)。

2枚目はオスカー・ピーターソンのレコードで…「Wheatland」 って曲が入ってるアルバム。僕はいつもあの曲に戻っていくんだ。

3枚目は…うーん、これってトリッキーかも…定番ってことでいえば3枚目は…やっぱり…いや…今の3枚目…たった今の3枚目…3つ目の曲ってことでいえば…待って、名前を調べないと…調べなきゃわかんないよ…っと…はい、はい、これだ、ロバート・グラスパーの曲で「I Remember」。何もかも忘れてボーッとしたいときはいつもこれを聴く。最初、彼のママがどこかのジャズクラブで歌ってるところから始まるんだ。彼のママは俺たちみんなの大切な人。亡くなってしまったんだけど、俺たちはみんな彼女のことを大切に思ってる。あの曲はビラルが歌ってるしね。

◉バーナード・ライトのこと

――あなたはシンセサイザーやエレクトリックピアノに関しても卓越したプレイヤーで、『Three-o』のようなアルバムもあります。キーボーディストってことだと誰を研究してましたか?

ハービー・ハンコックチック・コリアとかね。そして、バーナード・ライトも重要だ。バーナード・ライトは独特のスペースを設けるのが特徴なんだ。音を鳴らしている時間だけじゃなくて、その音と音の間にあるスペース=“間(ま)”も弾いている音と同じくらいいい響きだし、その“間”がファンキーなんだ。それにバーナードにはミュージシャンシップという意味で二つの基準を設けていたと思うんだ。ひとつは「バンドの中で何が起こっているか」、もうひとつは「自分の頭の中で何が起こっているか」ってこと。僕が想像するに弾いていないときに彼の頭の中で起こっていることはものすごく素晴らしかったんだと思うんだよね。

――あなたは実際にバーナードと交流もあったと思いますが、何かエピソードをシェアしてもらえますか。

最近の思い出で最後の思い出が『Empire Cenral』のレコーディング。そこでの演奏は正にバーナード・ライトらしさそのものだった。彼が曲の中に入っていく流れのあのフィーリングを聴きながら、僕らが知っているバーナードそのものだ!って思ったよ。実はバーナードのことは子供のころから知ってるんだ。バーナードの甥っ子が僕の小学校からの同級生で、大学時代のルームメイトだったから。だから甥っ子を通して、彼がマイルス・デイヴィスと共演した話とかをよく聞いていたし、僕にとってバーナードは昔からずっと知っている人って印象なんだ。

◉カーク・フランクリンの音楽監督を務めること

――あなたはカーク・フランクリンの音楽監督です。僕はが観に行ったカーク・フランクリンのBillboard Tokyoでの来日公演でもあなたは演奏していました。そもそも彼の音楽に関わるようになった経緯を聞かせてください。

アメリカにはコミュニティ・クワイアってものがある。僕らはダラスのコミュニティ・クワイアのゴッズ・プロパティで出会ったんだ。ここはカーク・フランクリンのファミリーがやっていたクワイアだったからね。ゴッズ・プロパティがリリースした『Stomp』はゴスペルのレコードとしては最大のヒットになったりもしている。

そこで一緒にやっていたカークが独立して、自分の名義で『Hero』をリリースする時に僕に手伝ってくれないかって言ってくれた。そこからプロデューサーとして一緒に仕事をするようになった。僕が何をやったのか知らないんだけど、それ以来、カークは僕を手放してくれないんだよ(笑)僕が何をやったっていうんだ、僕を手放そうとしないんだ(笑)

僕らは押したり引いたりの関係って感じで、レコーディングでは納得ができるまでアイデアを出し合うんだ。バージョンがたくさんできちゃうこともあるから、採取的に5つのバージョンが存在する曲もある。プロデュースするってことは彼と長いプロセスを共にすることになるから、ひたすら試行錯誤の繰り返し。頭の中にあるものをそのまま出しても必ずしも上手くいくとは限らない。だから、納得いくサウンドになるまで、インプットしてきたものやアイデアをできるだけ沢山出すのが僕の役割だね。もし僕のアイデアが物足りなかったらカークがダメって言ってくるし、カークが言ってることが違うなって思ったら僕も率直にダメだって伝える。僕らにはそういう信頼関係があるんだ。恐らくその信頼関係が最大の貢献なんじゃないかな。

――スナーキー・パピーの同僚のボビー・スパークスカーク・フランクリンの音楽監督を務めていたと思います。あなたにとって、そしてダラスのシーンにとってボビー・スパークスってどんな存在ですか?

彼の存在は不可欠なものだね。それはダラスの音楽シーンだけじゃなくて、僕の人生に於いても、だね。僕はボビーがやっていたことを見ながら、それを真似るように学んでいった。楽器で言えばモーグを弾くようになったこと、つまりアナログシンセの弾き方に関しては彼の影響が大きいんだ。ボビーは楽器の真のエッセンスをシーンの若いミュージシャンにも伝えてくれていたんだ。僕のその若いミュージシャンの一人だった。彼の存在はすごく大きかったと思うね。

◉地元ダラスの教会で演奏し続けていること

――あなたは長い間、Dallas’ Friendship-West Baptist Churchって教会でずっと演奏をしていました。まずDallas’ Friendship-West Baptist Churchはダラスの人たちにとってどんな場所なのか教えてもらえますか?

コミュニティだね。僕らがやっているのはコミュニティを作っていくこと、そして、コミュニティに招き入れるということ。自分たちがすでに持っているものを次に伝えていくということ、そして、今、何も持っていない人に対して、例えば、家の無い人に対しては「裸の人には衣服を、食べるものの無いベイビーには食物を」って感じで、僕らのコミュニティ全体が、ひとりひとりがきちんと世話してもらえるように心がけている組織だね。だから、音楽のことだけじゃなくて、正しいことのためにみんなでプロテストもするんだ。あの教会はDr. Frederick Douglass Haynes IIIを中心に今も、これからも、例えば、30年後も同じように活動を続けていく場所だと思うよ。

――スナーキー・パピーのメンバーであり、カーク・フランクリンの音楽監督でもあるあなたは世界的なトッププレイヤーですよ。そんなあなたが地元のDallas’ Friendship-West Baptist Churchで演奏し続けているのはなぜですか?

今も続けているんだけど、ツアーが多くなっちゃったからミニスターの座は退いたんだ。今はソウルゲイツって若者たちに任せていて、僕は彼らのサポート役に回っているって感じだね。

この教会で僕が学んだもの、手に入れたものはコミュニティだね。僕が学んだ最大の教訓は「人間っていうものは育てていかなきゃいけない」ってこと。育てていかなきゃ人間は育たない。人間は素晴らしクオリティを持っている生き物だとは思うけど、それを更に強化していくっていうのは誰かから教えられないとできないことだと思う。だから、そのための教会なんだよ。だから、教会では必ずしもクリスチャンとしての教義を伝えようとしているわけではないんだ。僕らはみんな教会で「とにかくお互いのことを愛そう」「とにかくお互いに対して優しくいよう」ってことを学ぶんだ。

◉スナーキー・パピーに加入したこと

――では、次はスナーキー・パピーについてです。メンバーに初めて会った頃の話や、加入する経緯を聞かせてください。

最初の思い出はあいつらに殴られて袋にブッ込まれて、そのまま拉致されてツアーに連れていかれたんだよ(笑)ってのは冗談で、ほぼみんな大学時代の仲間なんだ。マイケル・リーグからバンドに入ってくれないかって誘われて、もちろん僕はマイクたちのバンドのことは知ってたから、いいよって即答したんだ。だから、カレッジ時代のホームカミングみたいな状況だね。

思い出っていったら、最初の10年はひたすらバンの中で暮らしていったってことだよ(笑)15人でバンに乗り込んで、誰でもいいから泊めてくれる家に転がり込んで、そこの床で寝て、それの繰り返し(笑)。それでもいい音楽がやれたらそれでいいやって気持ちでやっていて、そこからすべてが始まったんだ。儲けるぞみたいなこともなかった。僕らはただただ一緒にプレイすることが楽しくてしょうがなかったんだよね。

以下、「Thing of Gold」は

◉”ダラスらしさ”とは

――いい話。『Empire Central』のコンセプトにはダラスへのオマージュがあると思います。あなたが『Empire Central』の中にあるダラスらしさを言葉にするとどんなものになりますか?

ダラスは「自分たちにとってのルーツ」ってことだね。僕らが通っていたノーステキサス大学はダラスから40分くらいの場所にあった。マイケル・リーグマイク・マズ・マーハージャスティン・スタントンクリス・マックイーンたちはダラスにやってきては、僕やボビー・スパークスRCウィリアムスと一緒にジャムって、そのシーンの一員になっていった。そして、徐々に彼らのサウンドや演奏のしかたが変わっていく様子を僕はずっと見てきたんだ。つまり、『Empire Central』は僕らのルーツであるその頃に立ち返ったってこと。それがアルバムには収められているんだ。当時の楽しくて、自由な感覚。あの頃、僕らがマントラのように言っていたのが「Music for Booty&Brain」(お尻と脳のための音楽)ってこと。空っぽなだけのめでたい音楽じゃなくて、頭も使うんだけど、同時に黙って座って聴いてるわけにもいかなくなるような、つまり、踊ってしまうような音楽。そんなことをいつも話していたんだ。このアルバムにはその感覚が伝わるようなサウンドが入っているよね。

――そのダラスらしさをもう少し説明するとどうなりますか?

ソウル、ファンク、ブルース、カントリー、ロック、それがちょっとづつ入っている。それぞれが少しづつ機能している「あらゆるスタイルのコラボレーション」なんだ。ダラスはエリカ・バドゥのホームであり、ノラ・ジョーンズのホームであり、ロイ・ハーグローヴのホームであり、リオン・ブリッジズのホーム。彼らの音楽は全てが入ったガンボみたいな状態で、それぞれの材料が同じ量ずつ入っていて、何かが突出しているわけじゃないよね?そういういい塩梅に交じっている感じがダラスらしさなんだよ。

――そういえば、あなたはエリカ・バドゥのアルバムにも参加していますよね。

エリカはダラスらしさのソウル代表だよ。しかも、「僕らの世代の」ソウル代表だね。それもクインテセンシャルな正統派だってことは誰も否定できないと思う。もっと上の世代でソウルってなったら、カーティス・メイフィールドやアイザック・ヘイズがいたり、ベティ・ライトがいたりするよね。でも、エリカ、ジル・スコット、インディア・アリーは僕らの世代なんだ。エリカはロイ・ハーグローヴとダラスの高校のクラスメイトで、僕らよりは少し歳上なんだけど、彼女らも含めて僕らは「みんなで学んできた」って感覚がダラスの音楽シーンにあるんだよ。だから、エリカの話をするってなると、ロイ・ハーグローヴ、キース・アンダーソン、RCウィリアムス、ロバート・スパット・シーライトって感じで、どんどんダラスのミュージシャンたちに繋がっていく。彼らはみんなが同じラジオのチャンネルから流れているんだ。ダラスのミュージシャンを無視してエリカを語ることはできないってことになるよね。

※ショーン・マーティンは『Mama's Gun』収録の「Hey Sugah」「Orange Moon」「Bag Lady」「Time's A Wastin'」に参加

――スナーキー・パピーはNYへ出ていったこともありますけど、あなたはダラスに住み続けています。ダラスのシーンのどんなところがあなたを惹きつけるのでしょうか?

今でもダラスに残っている理由は後続の世代のために、彼らが外に出ていくための機会を作るためっていうのもある。確かに今は外に向かってアピールするって意味においてはダラスは魅力的な場所ではないかもしれない。だからこそプレイできる場所や、何かに繋がるチャンスを作ってあげたいと思うんだ。何かしらのムーブメントが起きるサポートをしたいとも思っている。少し前まで友人のRCウィリアムスと一緒に毎週ジャムセッションをやっていたんだ。今は子供の生活に合わせて早く寝なきゃいけないからセッションは休んでいるんだけどね。そういうセッションをきっかけに羽ばたいていける人が出てきたらいいと思うし、それができたら素晴らしいことだね。それに僕だって、ダラスのセッションをきっかけに羽ばたくことができた。自分にとってのプラットフォームがどこだったかってことは忘れるわけにはいかないよ。それが理由だね。

もうひとつはダラスは安いってこと(笑)LAで家を買おうと思ったら、ダラスの5軒分が必要だから。ダラスは安いんだ(笑)おすすめだよ。

――あなたに影響を受けた、あなたが育てたミュージシャンがもうダラスで活躍しているんだろうなと思いますが、あなたに影響を与えたダラスのミュージシャンって話だと誰がいますか?

ひとりはバーナード・ライト。もちろんボビー・スパークス。それに高校のコミュニティからの影響もあるから、ロバート・シーライトRCウィリアムスの名前も出るよね。

他にはサックス奏者Marchel Ivery。彼は亡くなっちゃったんだけど、とんでもないプレイヤーだったからSNSの時代に紹介出来ていたらなって思うよ。

他にはサックス奏者Shelley Carroll。彼はデューク・エリントン・オーケストラでも演奏していた名手なんだ。ダラスはでっかい音楽コミュニティだから、いいミュージシャンの宝庫なんだよ。

――『Empire Central』に関するあなたの印象は?

すごく良いレコードだよ。実は僕はカーク・フランクリンのTVショーのリハがあって、昼間はスナーキー・パピーのリハをやって、夜になるとカークのスタジオに入り浸って感じだったんだ。それを雪の中でやってたから移動が大変でね(笑)

このアルバムはスナーキー・パピーのルーツに立ち返るようなアルバムで、さっきも言ったように「Music for Booty&Brain」なサウンドが入っている。今回のアルバムの素晴らしさは全員参加でやったところ。実は僕だけカークの仕事があって参加できていないプロセスがあるのが残念なんだけど、マルセロ、ビル、ジャスティンもみんなが作曲をしている。そこにはダラスのガンボ的な部分がはっきりと表れていて、ボビー・スパークスもいるし、全員がフィーチャーされていて、全員が持ち味を発揮して、一緒に作ったんだ。これこそいかにもスナーキー・パピーだし、スナーキー・パピーのルーツそのものだよね。そして、現場では最高のレコーディングセッションが行われたんだ。

◉「Lingus」でのリアクションのこと

――最後に個人的に聞きたいことなんですけど、「Lingus」コリー・ヘンリーのソロの時にあなたは顔を覆って、その場から離れていきましたよね。あの時はどんなことを考えていたんですか?

君だけじゃなくて、数千万人があの瞬間を喜んでいるよね(笑)コーリーは僕の親友のひとりで、彼は素晴らしい才能を持っていて、僕はそれをずっと讃えてきた。彼の今までの出来ごともよく知っているし、なんとか生き延びてきただけじゃなくて、今、大きく花開いていている。それを見ているのは僕にとっても勇気が湧いてくることだし、美しい光景だなって思ってる。そういうのってさ、なんともいえない昂揚感があるよね。あの時に聴いたソロは、僕がこれまで聴いてきたあらゆるソロの中でも最高のものだった。だから、あんな反応になったんだ。僕は生涯の中で絶対にやらないと決めていることがある。それは「友達の支援に回らないこと」。僕は常に友達をサポートしていこうと思っているし、僕のその姿が滑稽に見えることもあるかもしれないけど、それは気にしない。僕はコリーがやっていることを誇りに思ったし、彼は喜びも苦しみも含めて彼の心の中に抱えてきた様々な感情みたいなものをああいう形で表に出して表現してくれた。そんなのを聴いちゃったら、素直にああいう反応が沸いてきちゃったんだよ(笑)

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