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スピリチュアル界隈に はびこる「相手は変えられない」という教えによる呪縛から抜ける方法①

人は、自分で問題を解決することができず

自分の気持ちを抑圧して溜めこんだり

解決できない自分を省みず、勝手に不機嫌になってその場にいる周りにもしんどい思いをさせたり

引きこもって相手を困惑させたり

最悪、不機嫌にも引きこもることもできずに

その、問題解決ができなかったために発生した「ネガティブな感情」を引き摺り

全く別の場面にまで持ち込み

関係のない人に影響を及ぼす

という

やってはいけない悪行を

非常に理不尽なカタチで起こします。


そこで、

問題を解決できない人が

スピリチュアルな世界や、

自己啓発の話の中でよく出てくる

【「相手は変えられない」「相手を変えてはいけない」という考え方】

 に、藁をも縋る形で辿り着くことがよくあると思います。

でもこれってやり方として、本当に正しいことなのでしょうか。

「相手を変えることはできない」

だから

「自分のマインドを変えましょう」

という教えとかメソッド。

ご多分に漏れず、私もその口でした。

だいぶ盛大にやらかした口です。苦笑。

だからこそ、今感じているのは

ああ〜。これちゃんとセットにして伝えたら

世界はもっと平和になるんじゃないかなぁ〜!

ということです。


それは

まず、相手と自分の間にある課題を前に

自分と、相手の間にある「事実」の認識のすり合わせや

答え合わせはできているのか

双方が「思い込み」で先に進んではいないか。

ということ。

双方が、きちんと対話する態度で

建設的に解決しようとしているかということ。

相手をコントロールしようとしたり、
相手に迎合してことを進めたり
無言の圧をかけたりするのではなくて

事実をただテーブルの上に出して、
一緒に「ニュートラルな気持ちで」問題を眺められているのか。
ということ。

例えば、誰かから嫌なことをされたのに

●事実を確認しない

●自分が悪かったんだ!と縮こまる or あいつが悪いに決まってると勝手に決めつけて攻撃モードになって相手と事実確認をしない
(=悲劇のヒロインの芝居劇を開演したり、悪評を流したり、陰で噂したり、事実確認をしないまま空想の中での分析を始める→周りも嫌な気分になったり本来その命に必要な幸せな時間を奪われる。・・・という悪行を行う


●本人(や周りの人)は怒りや悲しみを身体に蓄積し続ける

●相容れない形の関係性が継続する

●困り果てて、スピリチュアル界隈のサイトや講座を受けにいく

●「相手を変えようとしないこと」という教えや
「あるがままで在ることが至高である」という教えに行き着く

●感情解放のワークなどを行ったりして、自分の中の暗闇が少しだけもしくは少しずつ回復したりする

●現実の世界に戻ってきても、相手とは直接むきあわない

●その相手のいる世界に戻ると怒りや悲しみを溜めたままそこに残っている

●再びスピリチュアルな知識を深める。最悪な最終形態=アファメーションなどをしだして消そうとする

●問題は解決しないまま相手との関係性は悪化する

●蓋をしたままその場に居続け、生きることになる

対話がないと、

ただただこのループに陥り、

最悪自分の人生を棒に振ることになります。
この負のループを解消するために
ただ冷静に
「何があったのか」という
事実確認をすることが大事だと思います。


「そんなこと言ったって、話が通じる相手じゃないのよ。」

ええ、わかります。

対話しようとしたって、対話という名の圧力をかけられたり。

そのために自分が感情的になりすぎてパニックを起こしたり。

・・・・・ありますよね、そういうこと。

でもね。
解決できないからって、ずっとその場にうずくまって
何事もありませんでしたという顔をしても
自分の心と体はちゃんと覚えています。
そしてじわじわと自分を蝕んでいきます。

だから、

すぐに、対話ができなかったとしても

まずは対話ができないんだな。という【事実をしっかり認識する】ということが、第一歩だと思います。

もし、ご自分の安全や安心、
心地よさが奪われるようなことがあるのだったら
一旦その場を離れて、自分の五感を整えることが、第一優先だと思います。
そしてその認識をした後に、もしできたら
一旦その場を離れて、自分が安心して気持ちと身体をゆるめられる場所を見つけてください。全部、そこからしか、始まらないので。

【相手を変えることはできない。
だから自分が変わらなくちゃ。】
それも一理あるかもしれない。
でも、その前にやることがあることを、どうか、忘れないで。


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