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天気がよければ笑ってほしい 短歌#1

今日からもまた毎日何かしら書いていく。

昨日書いたように、書く内容は「映画」「書籍」「短歌」「音楽」など何かしらの作品を鑑賞して、それについて感想だったり分析だったり自分の話だったりをする形にしようと思う。(短歌だけ鑑賞のハードルが低いので、メインを短歌にしようかなと考えている。)

今日の作品

愛してる・シー・ユー・レイター・また明日 天気がよければ笑ってほしい
谷川由里子/「サワーマッシュ」

僕の中で声に出して読みたい短歌第1位。時々思い出して口ずさんでいる。

短歌について

現代短歌って基本的になんでもありで、自由で、これからも拡張されていくのびのびとした詩形だとぼくは思っている。そしてそんなのびのびと従来の枠を変えていく・超えていく短歌に出会うと、頭の中を流れ星が流れていくような快感とあたたかい嬉しさが湧き上がる。

短歌のルールは下の画像がわかりやすいので是非どうぞ。

画像1

できるだけ色んな人に短歌のことを面白がってもらいたいとおもって、「そんなのもあるんや」的な視点で話していけたらと思う。上で述べた「のびのびと従来の枠を変えていく・超えていく短歌」をなぜそう感じるのか、とかどこが革命的なのか、とか明らかにしながら話したい。

まあぼちぼちと、ほそぼそと、続けることを第一に書いていく。

声に出したいのはなぜ?

声に出して読みたくなる理由を考えてみると、どうも「S」の音が心地良いからじゃないか、と僕の中で結論に至った。

あいシてる・シーゆー・れいたー・またあシた

「S」の音のおかげで、「愛してる」と「シーユーレイターまた明日」の間の内容のズレがまるでないかのように読める。

本当に「愛してる」なら「シーユー」なんて言いたくないのだろうに作中主体はそう言っているのだ。「S」の音は「愛してる」と「シーユーレイターまた明日」が同じ内容かのように感じさせる。そして2者がサラリと並列関係をとっているように感じさせることで、主体が強がっているようにも感じられる。本当はサヨナラしたくないけどサヨナラしなきゃいけない、そんなふうに感じる。

シー・ユー・レイターとまた明日

そしてこれらはもとから同じ内容の言葉だが、それを重ねていることで言葉の重みとか、情の入り方が「S」の音にのってサラリと入ってくる。

かさねがさねいうことで、「愛してる」のに「シーユーレイターまた明日」しなければならない、切なさが深くなるように感じる。

そして切なさのあまり、「もう二人は永遠に会えないか」のように感じてしまうのは僕だけだろうか?

上の句をつなぐ・

上の句は「・」で、上の句と下の句は「 (スペース)」で繋がれている。現代短歌は句読点(、や。)、中点、スペースなど何を使ってもよしで、それも表現の幅を広げる一助であることは間違いない。

掲出歌でも上の句が・で繋がれていることは、お互いがフラットな関係で並んでいる印象を与えることにつながっていると思う。

句をつなぐものに注目するのもひとつ面白いと思う。

2人の結末やいかに、、、

そして下の句につながる。

「天気がよければ笑ってほしい」

なんて優しくて、なんて切ない言葉だろう。やっぱり2人はもう会えないのではないだろうか?どこか他の国へ旅立っていってしまって、その国でも元気に笑ってほしいと言ってるようにさえ感じられる言葉だ。

2人の結末はわからないけど、健気で切ない感情と美しい「S」の音の魅力が好きな短歌だ。

画像は以下のnoteより拝借しました。

掲出歌が掲載されている歌集はこちら。

では
しーゆーれいたーまたあした。

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