世界の終わりに 何が待ってると 思い出したように 君は静かに笑う
エヴァを授業でやってみた(前書き)
昨年度、国語の授業の教材として「新世紀エヴァンゲリオン」を扱う、というなかなかチャレンジングな試みをしてみました。
映像を見せて、その分析を行う。ただし、感想ではなくサブカルチャー批評の文章に基づいた分析を行う、というものです。
サブカルチャー批評は抽象的な概念が多く、なかなか難しいのですが、生徒たちはよく頑張ってくれました。こんなことが出来るのだから、やっぱり、どう考えても世の中の”国語教育”は生徒を安く見積もり過ぎです。
それはさておき、エヴァの世界観には、「社会」がありません。自分の決断がそのまま、すなわちセカイの運命ということになっています。個人とセカイをつなぐ間の項が無いのです。
最近の、子どもたちだけでなく、親とかにもそっくりだな、なんて毒づいてみたくもなる現象です。笑
その授業に際して、生徒・保護者に配信した通信です。本文の前に、上に挙げたサブカルチャー批評は紹介しておくので、読みたい方はぜひこちらから。どれもサブカルチャー批評の定番となっているものです。
本文
「新世紀エヴァンゲリオン」は、文芸批評界では「セカイ系」と呼ばれている。
主人公の碇シンジはエヴァに乗る(=父である碇ゲンドウからの承認を得る)かどうかで悩むわけだが、乗らなければ世界は終わるのである。
“Japan as No.1”ともてはやされた、日本経済の栄華はバブルの終焉とともに崩れ去り、阪神大震災やオウム真理教などの影響も相俟って社会への拠り所を失くした90年代半ば。
個人とセカイの間にあるべき「社会」や「世間」が意味を持たなくなった世の中を象徴するように、個人の決断がそのまま世界の問題となる図式が描かれている。
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