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「なにをしても楽しいと感じない」ー友の言葉から、感情を感じることについて考えた

こんにちは、どさんこ大学生RUNAです。
 
やっと、マスクが外せるのかも?
やっと、オンラインじゃなくて対面で出来ることが増えるかも?
やっと、日常が動き出しているのかも?

変化が起きようとしている今…
みなさんは、どんな感情を感じていますか?

今年も、いよいよ2022年の上半期が終わろうとしており、少しずつコロナ禍以前の「日常」が戻ることを期待し、楽しみを感じている人もいるかもしれません。
 
そんな最近、周りから「感じること」にまつわる話題が多く登場することに気づきました。
 
マスクで顔が見えなくても、話し声が聞こえづらくても、私たちは相手の感情を読み取ろうとし、そして自分の感情を伝えようとしています。
感情を感じるとは、どういうことなのか?
今だからこそ、自分の感じていることを振り返りながら一緒に“感情”について考えていきましょう!

ほんとうの“感情”を感じること

「なにをしても楽しいと感じない」
先日、友達が今の気持ちを話してくれました。
 
コロナ禍になってから、誰かと会うことが少なくなり、身だしなみをきちんと整えることもなくなった。外国に住んでいる親とは2年間会えていなくて、画面越しに見ても、本当にそこにいるのか不安になってしまう。
自分の部屋にいても、帰りたいと感じてしまう。だから、あえて休みでも外に出ていないと、自分だけが孤独かのように思ってしまい…
なんだか涙が止まらない、涙を流しながら気持ちを思いのままに吐き出してくれました。
 
緊急事態宣言の期間におきた若者の心の変化では
「何もしたくなくなる、無気力」→高校生43%/大学生49%
「孤独を感じ1人でいるのが不安」→高校生28%/大学生35%
「自分に価値を感じない、他者から必要とされない」→高校生27%/大学生20%
 
若者の約半数が無気力な気持ちへ変化し、また精神的に追い込まれた人もいます。この調査では、若者に焦点が当たっていますが、どの年代でも心境の変化が起こっているようです。
 
今、私たちは、立ち止まって”感情”に、向き合っているときなのかもしれません。
日々忙しなく動いていた日常から一変、様変わりした毎日によって、これが「憂鬱、孤独」という感情なんだと実感せざるを得なくなりました。
 
急に止まれない列車がブレーキをかけたら人は…
①    頭は列車と一緒に進み続ける状態を維持しようとする。
②    足元は床に触れていて摩擦力が働くので、後ろへ引っ張られた状態になる。
 
頭では、過去の日々のように動こうとしているけど、体は静止しようとしている。
心と体が反対方向に動いていて、人間という乗り物が成り立たなくなっている。
だからこそ、どうにか立ち止まったり、軌道修正したり、整えたりしようとしている。
 
エラマプロジェクトで、「立ち止まる」ことの大事さについて、知っていたからこそ…
先程気持ちを教えてくれた友達に、かえりみるのが辛かったであろう今の心を立ち止まって整理して、それを誰かに話そうとしてくれてありがとう。そう伝えました。
 
ポジティブな感情ではない気持ちにフタをするよりも、難しいことだけれど…
聞こえない心の声へ逆に耳を傾けて、今しか実感できない本当の心に触れることが大切なのかもしれないと思わせてもらいました。

感情は使わないと老化する

「昔に比べたら、なにかに感動しなくなった」
最近、60代の方がそうお話されました。
 
「映画とかは、やっぱり20代の時に感動したものを超える作品はないし、今20代の子たちが感動している映画は、よく分からない。
驚き・感動という感情が湧かなくなる“感情の老化”は、必然だね」
 
生きる力に関わる「感情の老化」とは、脳の中の前頭葉という感情や意欲、創造性などをつかさどる部分が萎縮していくことです。その萎縮によって、意欲が湧かない、柔軟性がなくなるといった症状が出ます。
 
さまざまな経験や体験を経て、新しいものと関わる機会が少なくなっていることも関係しているかもしれません。しかし、感情は、使わないと老化してしまう。今まで、身体の老化に関連する話を聞く機会は多かったのですが、“感情”も年を取ることを初めて知ったのでした。
(気になる方は「感情の老化」で検索してみてください)

 
最近、“感情”の話題が多いと感じるのは、テーマが年齢問わず、
「なににも感動しない」
「心からなにかに嬉しいと感じることがない」こと。

そして、特によく聞いたのは、
「なにかをしていても楽しいと感じない」
 
コロナ禍以降、ライブ、フェス、スポーツ観戦、旅行、遊園地、カラオケ、会話をしながらのご飯会や飲み会、帰省などには制限がかけられました。
 
ルーティンのように毎日同じ生活を続けると感情の老化が進みますが、コロナ禍以前の楽しかったことが出来なくなった生活の変化が心の活気を失わせているのかもしれません。
また、リスク回避を頭の中で考えれば考えるほど、慎重に行動して、新鮮な気持ちや感情が動くことはなくなります。
 
体も頭も、使おうと思うには、それをするための“意欲”が必要になります。
いろんなことに好奇心を持っている人は、年代問わず、ハキハキして明るい印象があります。
 
ポジティブな感情を感じないという話題は、その分意欲が湧かなくて困っているとも捉えられるのだと思いました。

心の扉が開くとき

“感情”にまつわるお話を聞くようになって、自分の“感情”を振り返ってみました。
すると、多くの人がそうであるように、私自身もずいぶんと心から楽しい“なにか”を感じられていませんでした。
 
目標であったことに挑戦すらできなくなったのが3年続くと「もう可能性がないのだろう」と諦めてしまい……。さまよっている自分に呆れて、なんて自分はダメダメなんだと自己嫌悪に何度も襲われました。
 
なにに対しても、考えて考えて…考えすぎて、気にしすぎて緊張しすぎて怖くなる。
考えすぎると、悪い想定ばかりして、さらに自分の悪いところばかり見えてしまいます。
「考えさせてもらう時間があるだけありがたい」そう思うとまた自己嫌悪のループに入り込んで抜け出せなくなるのです。
 
現代人が1日に受け取る情報量は、平安時代の一生分であり、江戸時代の1年分だと言われています。でも、私たちの脳の働きやサイズは、進化してよくなったわけではありません。
脳という部品自体の容量は大して変化していないのに、消化しきれない情報をひたすら受け取り、ためこんでいる状態にあります。
 
私は、周りに考えすぎる性格だと言われてきました。しかし、あまりに大量の情報にうもれすぎて、適切な情報を選び、それをもとに自分自身の考え・意見を生み出すことが出来ていないのかもしれません。
 
知ろうとする前に、情報があふれかえっている時代…
ですが、なにかを直接見たり、聞いたり、触ったり、香ったり、食べたりと、心を動かす体験をしなければ、それを気になる・知りたくなるという意欲へ繋がりづらいですよね。感じるよりも前に、検索に手が動き、なんでも調べて、わかったつもりになっています。
 
 
「なにをしても楽しいと感じない」という思いを感じたなら、それを出発点にどうしてその気持ちが生まれたのか?楽しいってなんだろう?感じるってなんだろう?どうしたら楽しいと思えるのだろう?
今まで、気にかけなかったことが知りたくなる。その行動は、本当に心が刺激されたからではないかと思うんです。

“なにか”を感じる

「なににも感動しない」
「なにかに嬉しいと感じることがない」
「なにかをしていても楽しいと感じない」

今回、ポジティブな感情を感じないことによって、とても不安になっている周りの人、そして自分と話したことを振り返っていきました。
 
人は自分にとって大切な“なにか”という“感情”を失いかけて初めて、その理由を探し、日々を輝かせたいと強く願うようになります。
“なにか”は人それぞれだけど、決して1人でさまよっている訳ではなく、実は同じ思いの人がこの世界に確かにいます。
それでも、自分の“なにか”を元に戻すのは、自分自身です。

“なにか”を見たり、聞いたり、触ったり、香ったり、食べたりと、心を動かして、それを気になる・知りたくなるという意欲を持ってこれからの日々を豊かにしていきたいと思うのでした。
 
みなさんが、楽しいと感じる“なにか”とさらに巡り会えますことを心から願っています!
 
最後まで、読んでいただきありがとうございました。


Text by どさんこ大学生RUNA




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