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世界にヒーローが必要なら今こそ彼を語ろう「アンパンマンと私たち」

みなさん、こんにちは。エラマライターひらふくです!

2022年2月24日、世界がまた変わってしまいました。それもとても悲しい方向に。

エラマプロジェクトでは、代表の石原侑美さんがフィンランドとロシアの歴史をひもとく講座を緊急開催。長文の感想が寄せられるなど、みんながこの出来事を重く受け止めているとひしひしと感じます。

エラマライターズ編集会議でその話題が出たとき、挙がったのはひとりのヒーロー。
30年以上にわたり日本人の多くが彼を見ながら育ちました。

エラマライターズも彼にいろいろな思い出があります。
悲しみや怒りが広がる今こそ、彼について語るなかで気持ちの出口を見つけたい。前をむけるヒントを届けたい。

今回のテーマは「アンパンマン」です。

pieni(ピエニ)のアンパンマン「バイキンマンは悪い子?」

私の記憶にあるアンパンマンの一番古い思い出は、小学校の低学年頃のこと。
地元に古くからある小さな映画館の壁に貼ってあった、アンパンマンの登場キャラクターが一堂に会しているポスターを見て、たくさんのキャラクターがいる、それが面白いし、好きだなと感じたことを覚えています。

それから約20年後。
娘と一緒に再びアンパンマンを見るようになって気が付いたことがあります。

たくさんいるキャラクターの中で、多くはバイキンマンを見ると「何かいたずらをしてくる、困ったやつだ」と感じて接しているように見えるのですが(実際いたずらをしでかしてアンパーンチの流れが多いですよね。)しかし中には数人、バイキンマンを友達として見ていたり、手助けをしてくれる優しい存在、はたまた困ったちゃんのかわいい坊やとして母性で包み込むような愛のある接し方をするキャラクターがいるんです。

例えば「おくらちゃん」
彼女は自分が育てた野菜を誰かにあげるときにお別れの儀式があり、それをみるとみんな気持ちが暗くなり野菜を食べるのが申し訳なくなってしまいます。
それを見たバイキンマンが「おいしく食べるには笑うべきだ」と伝え、笑い方も教えてくれたことがあります。
オクラちゃんはそれからバイキンマンは優しい人と慕っているようです。

プリンちゃんやエクレアさん、マダム・ナンというキャラクターは、バイキンマンのいたずらが悪事とは感じず、逆に自分たちを手助けしてくれたと感謝の気持ちを持ち、その後も変わることなく接していきます。
バイキンマンは、彼女たちのことが苦手で気がそがれるのか、悪さをせずに退散することも。

こんなにもキャラクターによってバイキンマンの見方に違いがあるんだと、大人になって改めてじっくり見たアンパンマンのストーリーに驚きました。

やなせたかしさんの名言を調べてみると「正義って相手を倒すことじゃないんですよ。アンパンマンもバイキンマンを殺したりしないでしょ。だってバイキンマンにはバイキンマンなりの正義を持っているかも知れないから。」

という言葉が出てきます。


人によって、国によって、タイミングによって、見る方向によって、光と影が当たる方向によって、感じること考えることは大きく変わるんじゃないかと思うことが最近増えてきました。命や尊厳を脅かすようなこと、奪うことはもちろん許されることではないと思っています。ただ、誰が何が100%正しいかということには答えがないのかもしれません。


私はどんな方向を向いて、何を見て、感じて、何を考えるか。

そして何ができるのだろう。


それを考え続けることがこれからの人生でもっと重要になるかもしれない。

アンパンマンを通して、いま改めていまこの時期だからこそ感じたことです。

皆さんはアンパンマンやそのストーリーにどんなことを感じますか?

momoのアンパンマン「やなせたかしさん」

子どもの頃、アンパンマンのアニメでお腹をすかせた人に顔をわけてあげるシーンを見ると、アンパンマンはいつも躊躇なくやさしいな、でもありがたいことだけど顔が欠けてしまった状態でばいきんまんに攻撃されたら大変なのに……というようなことをよく思っていました。

当時は原作者のやなせたかしさんの思いなど知らなかったですし、そもそも原作者について意識することもありませんでした。

アンパンマンの大元はひらふくさんの記事に書かれている理由によって「地味な正義の味方」(『わたしが正義について語るなら』(やなせたかし著|ポプラ社刊))として誕生したのです。

大人になってからあるとき、原作者のやなせたかしさんに救われたことがありました。

もうずいぶん前になりますが、ある時期わたしは「正義」という言葉にモヤモヤを抱えていました。なぜなら「正義」という言葉が都合よく使われていると感じることがいろいろと起こっていたからです。

例えば、ある国は正義を掲げて他国を攻める、ある組織は正義の名のもとに凶行を重ねていく。また立場や状況によって正義の定義が変わっていく。

一方にとっての正義はもう一方にとって正義とは言えないと思う状況であっても、正義という言葉を元にした行動であれば何をしても許されるというような雰囲気になっていました。しかしそんな状態から正義を感じたことは一度もなかったのです。

モヤモヤしていた気持ちが落ち着くきっかけになったのはやなせさんの考え方や言葉(『わたしが正義について語るなら』)でした。簡単に答えが出るものではないけれども、空気に負けない心強さをもらえたのです。

上記の本の中に「アンパンマンのマーチ」のすべての歌詞も書かれていました。「アンパンマンのマーチ」は、「それいけ!アンパンマン」のオープニングテーマで子どもの頃はアンパンマンのアニメが始まるときの歌、という感じで深く考えたことは正直ありませんでしたし、フルバージョンで聞いたこともありませんでした。

かなりひさびさにこの歌に触れたとき、大人の方が刺さる歌詞じゃないか!? と今さらながらに歌の威力に衝撃を受けました。
「アンパンマンのマーチ」もやなせさんが作詞をしていたのです。

その当時わたしは自分が好きなこともやりたいこともわからない、人生もうまくいっていないというようなかなり苦しい気持ちで過ごしていました。会社帰りは途中まで数駅分を徒歩で帰っていたのですが、アンパンマンの歌を再認識して以降、歩いていると頭の中に「アンパンマンのマーチ」が自然と流れ始め、自分が情けなくて泣きながら帰っていました。

そんな状況が続きましたが、ツライ思い出の歌では決してなく、感銘を受けた歌なので好きな歌のひとつに加わっています。
あらためて「アンパンマンのマーチ」が気になった方は、ぜひフルVer.&オリジナル版で楽しんでみてくださいね。

ずいぶんと遠い存在になっていたアンパンマンがこのように、ある時期から再び戻ってきてくれるきっかけがありました。そしてアンパンマンと言えば子どもの頃とは違ってキャラクターそのものよりもやなせさんが常に思い浮かぶようになりました。



世界規模で現在も予断を許さない状態が続いていますが、世界情勢が厳しくなる、ならないは関係なく、誰かを殺すための訓練や実戦に行かなければならない状況、危険な状況、ひもじい思いを招いてしまう状況など、全世界からなくなってほしいという思いはどんなときも消えません。


誰にも誰かの人生を奪う権利はないので、一人ひとりが正義をはきちがえないように立ち止まって考えることを意識するだけでも大小の悲しい出来事は減ると思うのです。

あいすかのアンパンマン「紙コップコミュニケーション」

わたしにとって、アンパンマンは、一期一会の出会いを盛り上げてくれる助っ人です。

20代、客室乗務員時代はよく小さな子どもさん向けにアンパンマンのイラストを描いていました。

ドリンク用の紙コップの底やフタは丸い形なので、そのままアンパンマンの顔に見立て、目や頬を中に描いていきます。

それを、子どもたちに「これはなーんだ!」と聞いて
「紙コップ」
「ジュース」
と返事がきたら「ざーんねん。アンパンマンでした!」と答えて、カップの底を見せる(笑)
そこから会話が広がっていく。

小さなお子さんがグズってしまった時、時間を持て余している時のコミュニケーションのツールとして紙コップアンパンマンを登場させていました。

それが、意外なことに、子どもより大人の方が喜んでくれたのです。

日本人だけでなく、外国人の方にも、アンパンマンはほっこりするキャラクターにみえるようでした。
折り紙の折り方と同じくらい、アンパンマンの描き方を教えてほしいと、海外からの路線でもよく言われていました。
何度も描いていると、アンパンマンの顔って丸と四角と線だけ。こんなシンプルな、簡単なお顔なのに、なぜか魅了されてしまう。

アンパンマンは日本人にとって、どんな存在なのでしょうか。

世界の人から見たら、アンパンマンは日本文化のみならず、日本人のアイデンティティも包括しているキャラクターにみえているかもしれません。
今だからこそ、もう一度、この日本で、我が子とじっくりアンパンマンを観てみようと思いました。

ひらふくのアンパンマン「一片のパンをさし出せるヒーロー」

5歳くらいのころ、アンパンマンの顔が欠けてしまうのがちょっとこわかったです。小学生になるとバイキンマンに肩入れしたり。中学生では、「ウサこちゃんやカバおくんはいつも非難して、アンパンマンに全部押しつけすぎだ!」なんて変な義憤を燃やしていました。

私にとってアンパンマンは、「正しいモデルを学ぶ」というより、良いこと悪いことを考えるきっかけだったんですね。

社会人2年目に原作者やなせたかしさんの本「明日をひらく言葉」を読みました。そこで初めてアンパンマンが顔を差し出す理由を知ったのです。

『人間にとって一番つらいのは飢えである。正義を示すもっとも端的な行為は、飢えた人に一片の食べものをさし出すことにほかならない』

この言葉がズンッと私の胸につきささりました。
バイキンマンを倒すのではなく、顔をわけあたえる瞬間こそがヒーローだったのです。こわがっていた5歳の自分が恥ずかしくなりました。

やなせさんが戦争時代に一番こたえたのはひもじさでした。有名なヒーローは悪者を倒すけれど、彼らは飢えた人を助けに行くことはしない。どんなに格闘しても正義側の服が汚れたりはしない。おかしいじゃないか、とやなせさんは言います。

初めて読んでから10年以上たって3回引っ越しし、当時のものは8割捨てました。でも、この本はまだ私の寝室にあります。

「世界を平和にする」なんて問題は私の手には負えません。巨大な何かを倒すこともできません。
でも「1人でもお腹を空かせないように」と思うと少し問題が身近になります。寄付やSNSでの呼びかけも盛んです。私も食料を届ける団体に寄付をしました。

アンパンマンのように、私の手にのるだけの精一杯をさしだしてみようと思っています。

やさしいきみは

アンパンマンと聞いてなにが思い浮かびましたか?

今回のエラマライターズのようにあなただけの思い出がきっとあります。

悲しみや怒りに挫けそうなときはあなたのアンパンマンを思い出してみませんか。胸の傷がいたんでも生きる喜びを忘れないように。

彼はいつだって私たちの夢を守るためにいてくれるのだから。

Edit by ひらふく(おとな教育の実践人事)





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