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オンラインだと物足りなくて直接会いたいのは私だけ?言語化の時代に言葉にできない気持ちを愛するということ。

「直接会ったらファミレスで4時間話し込んじゃったんです」

私はハッとしました。

こんにちは、ひらふくです。先日よむエラマの編集会議で近況報告の場がありました。そのとき、ひとりの学生ライターさんが言ったのが先の言葉です。

大学もリモートでなかなか友達とも直接会えず、会ったら長時間話しこんでしまってお姉さんに驚かれたとのことでした。デジタルネイティブ世代の方にとっても「直接会う」ことは価値があるのかと、私も驚きました。

最近はリモートワークが増えましたね。出勤しなくてもZoomやTeamsで会議ができるし、友達ともLINEで話せるし、Vtuberが武道館ライブをするし、VRやメタバース(仮想空間)が話題になる時代。

コロナが終わってもオンラインコミュニケーションが主流になることでしょう。好きな場所に住めるし遠くの人とも話せる。良いことづくめです。

でもなぜなんでしょう、それでも直接会いたいのは。

会いたさの理由を探す

JRグループでは「#会いたいをのせて」キャンペーンをしています。ホームページのトップにはこう書かれています。

「会いたかった、ずっとずっと。
みんなみんな、会うことが チカラになってるんだ。」

この広告はストンと腑に落ちます。でもよく考えれば、オンラインでいつでも話せるのに何時間もかけて会いに行くのはなぜなのか。画面ごしだと2時間で「そろそろ…」と言っちゃうのに、会ったら何時間も一緒にいられるのはなぜなのか。

そこには、オンラインで会うだけではとりこぼしていた何かがある気がして。今回は直接会うことで伝わるものを考えてみます。

使う感覚 使わない感覚

画面越しに話すことと直接対面すること。この違いを人間がもつ五感の面から考えてみました。

すると、オンラインでは視覚と聴覚がフル稼働してることに気づきました。YoutubeでもInstagramでも今はショート動画が主流のようです。飽きさせないように毎秒ごとに変わっていく画面や音は、はたして頭に入ってきてるのかきてないのか。

さて残りの嗅覚・味覚・触覚はどう稼働しているでしょうか?

………ない!!!

そう、実はオンラインではこの3つをほぼ使わないのです。

例えば対面で会ってご飯を食べるとき嗅覚・味覚・触覚を使っています。
・おいしい匂いに思わず高揚する(うなぎや焼肉っていいですよね)
・一皿を分け合い同じ味を共有する(ピザや中華がおすすめ)
・お鍋で舌をやけどして「まだ熱かったね!」と言い合う

相手の顔を見てないときやお互い無言の時間もあります。それでも居心地が悪くないのは、視覚・聴覚以外の感覚で伝わり合うものがあるからかもしれません。

言葉で表せない世界

先日『翻訳できない 世界のことば』という本を買いました。

この本に載るのは、その国の言語では1単語であらわすけれど他言語では長い説明が必要になるような言葉たち。例えば日本語なら「わびさび」など。外国の人に「ワビサビって何?」と聞かれたら「うーーーん…」と考えこみそうです。

この本を読んだとき、強く共感する言葉もあれば、

どんな感覚なんだろう?と首をひねるものもありました。

世界には言葉だけでは表しきれない気持ちがたくさんあるのだなと思います。
それは言語間だけではなくて人同士もきっとそう。画面越しにいくら言葉を尽くしたり表情や図・イラストなどで表現しても、視覚・聴覚だけでは伝わりきらないのです。

だからオンラインだと物足りなくて、ちょっと寂しい。それが会いに行きたくなる理由かもしれません。

伝えられなくてもそこに在る

今は「個人が発信する時代」だと言われます。多くの人が自分の知識や想いを言語化して説明したり共有したりします。

でも、私は言葉にならない曖昧な気持ちもそのまま持っていたいです。

「なんとなく悲しいな」「なんとなくワクワクする」「なんとなく寂しい」

理由もわからなくて、誰にもはっきり伝えられないけど確かに存在する気持ち。例えば、誰かが笑っていても実は悲しんでるんじゃないかと思うとき、それは相手の無意識の悲しみを感じ取っているのではないでしょうか。

オンラインだけでは取りこぼしてしまうもの。それは私にとって、嗅覚・味覚・触覚から伝わっていた、言葉にできない曖昧な気持ちのことでした。人にちゃんと伝えられなくても自分から生まれた大切なものです。

直接会えない現在は、この気持ちを察して拾い上げてもらうことは難しいです。だから今は私自身がその気持ちをそっと抱えて大事にしておきます。
聴覚と視覚には少しお休みしてもらって、おいしいものや空気の良い場所で曖昧な気持ちをただ感じとる。きっとこの時間が私のマイタイムです。理由がわからないのは不安でも、いつか理由のほうからやって来るかもしれません。

オンライン化によって、あらゆるものがデータや数字ではっきり判断でき、遠い距離も一瞬でつながるようになりました。でも私たちが「直接会いたい」と感じる限りは、それが全てではないのでしょう。

曖昧な状態、曖昧な気持ちも大切に抱えて。
そんな曖昧な自分を愛したいものです。

Text by ひらふく(おとな教育の実践人事)


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