過去を生きる、の終わりの始まり

ちょっと期間空いてしまったのですが、
色々あったのです。ここ2週間。
それはまたしばらく後に書こうと思います。

本筋の恥の公開でしたが、なにから書こうかな。

んー、まずは限界を迎えた所からかな?
そこが、始まりなので。
人は過去を脳内でエンドレス再生して生きている。
過去を生きる、の、終わりの始まりについて書き出してみる。

※読む前に大切なので伝えておきたいこと
人類みな、どの瞬間も全員が全力で
その時その人の行動や言動はその人が出せるMAXだという事、
誰もかもが何も悪くはない、と明言しておきたいと思う。
全員の言動や行動には全て理由がある。

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2人目のお子が生まれて、
というか生まれる前の臨月あたりから
幸福とはなんだろう、と
幸福が分からない状態だった。

義両親の主に義母の考え方と行動が
話し合いが成立しない上に
私の予想可能の範疇を超えてくるので

そこに夫婦で対応しよう!と足並みを揃えるものの
夫の行動も私の理解を超えたところにあったりして
あーはは、限界きそう…
どうしよう、臨月だが、
産んだ後の幸福な生活が全く想像が出来ないや、という状態だった。

出産時も、上の子が泊まれる個室にして
義両親は年なので産後入院中は夫婦で出来るだけフォローした方が良いよね、と配慮したところ

夫が上の子のお迎えに入れない日が出来たから
病院に泊まらせたら
義母がなぜ頼らないと発狂したという報告を受け
(頼ると大変って言うからそうしたんだけれど 笑)
私の実家の荷物の宛名が夫宛に来たら
自分はいらない存在なんだと言われてる様だと泣いた、と言われたり
産後翌日に義母が実は狭心症で心臓の手術予定なんだとネタバレたり

上の子泊まらせながら38度越えの熱が出たw

子供が生まれるということは名前付けの儀式があり
それはそれは気が重かった

前の時みたいに8か月呼ばれない事になるとしんどいので
もう名前を付けるのには自分はできるだけ参加しない様にしよう、と決意していた。
親なのに 笑

幸せなはずの、子供の名前を付けることが、もう気が重かった。

産後、家族以外の訪問は退院後すぐの訪問は控えるものだけど、病院にそう言われてると伝えてもらったけど、
退院の次の日に親戚をたくさん呼ばれた。
疲労困憊ストレス満載である。

産んだ後、
あー、このままだと、自律神経がまたまずいことになり、その状況で2人育児と復職…無理だわ、
と思っていたところ

同い年の友人と久々会う事になった。
近況を話したり聞く中で、家の話をしたら、
その友人が直近受けた教育プログラムの話をしてくれた。

なんでも、参加者の中に私と同じく嫁姑問題に悩んだ人が来たらしい。
その人は何日間かのプログラムを経て、最終的にプログラムの最後のゲストを呼べる日にはなんと姑さんを呼んでたよ、と言うのだ。

なにそれ!となった。

その方は姑さんと出来るだけ関わらないで暮らそうと努めていたらしい。
なのに、その変化率!

興味深い。

そして、私、20代の頃に自己啓発系のセミナーに行こうとした時があったけれど、やめたことがあった。
だって、きっと気づきはあるんだろうけど?
高い!!!
でも、気にはなったけど行かなかったな、というモヤモヤがあった。

興味あるなら、説明受けてみる?と聞かれ、
受けてみる、と返事。
後日説明する人と会って、説明を聞いて
あ、受けてみるわ、と即決。
金額は16万と少し。
育休中にはもちろん!!キツイ!!けど、入金。

夫へは事後報告。

こう動いたのも、
1人目産んだ後に、自律神経失調症がぶり返していて
電車には乗れないわ、ご飯を食べた後毎回吐き気がするわ、
胃カメラを飲んで胃を確認して
メンタルクリニックに行きカウンセリングをし、
紹介制のクリニックで、人プラセンタの埋没治療を3週間に1回15000円払って埋め込んで
無理くり体に胎盤を入れて妊婦に近い状態にさせて
自律神経失調症を抑え込むという治療をし
↑対処療法だけど、鬱と自律神経失調症はこれ有効

それでもストレスがあるので、
藁にもすがる思いで、
ストレスを宇宙のソースに帰すという謎すぎるスピのワークに行ってみたり、
など最大限したので、行動できたのかもしれない。
もう、手がなかった。笑
やり切ったの、わたし。それに尽きる。

残る問題は3日と一晩のプログラムなので
3日間と1晩、赤ちゃんのお世話先を探さねばならなかった。

赤ちゃん、6か月とかだったと思う。
土日は夫に頼むから良いとして、
平日2日、
義母には会社のセミナーなんです、復職に必須なんです、
セミナーって宗教でしょ?
いやいやいや、(話通じないな)違いますよ、と言って子守を頼んだ。

そうやって受けた。
乳飲子預けて来てるの、2-300人のうち、私だけだった。
周りは経営者と個人事業主ばっかりだった。笑
そこから、過去と向き合う事がスタートした。


友人には、プログラムはすべて会話で進行すると聞いていた。
前の方で参加が良いよ、と言われたから、
前の方の席を取った。

用紙にかけ事、叶えたい事を書いてとあったので、得たい事を書いた。
❶自分のストレスを取り扱えるようになりたい
❷ライフワークを見つけたい
❸人を信頼したい
❹自律神経失調症を治したい
❺愛がよくわからない

スピーカーの人が質問した。
何か気になる事はありますか?みたいな質問だったと思う。

手を挙げた。

聞きたい事があったから。
説明を受けた時、そこで得た事は死ぬまで使える無くならない、と言われた。
本当だろうか?

プログラムの初っ端で200人近く人がいる。
手を挙げる人はいない。
もちろん当たってしまう。

「あの、私、生きづらくって…」
もう泣きそうだった。
「ここで学ぶ事は一生死ぬまで無くならないと聞きましたが、本当ですか?」

スピーカーのWさんは答えた。
「勇気を出して発言してくれてありがとう。
本当です。無くなりません。
自転車に乗る感覚って一度得たら、消えませんよね?
消して乗れなくするって出来ますか?
それと同じです。」
と答えた。
「そして、発言する、という事は
ここにいる会場の人に学びを与えている事と同じなのです。なので、自分の話なんてと思わず、発言してください。
そして、他の方の発言を、聞いている時は
自分の事として聞いてください。
そこから気づきがあります。」

ほおおおう?

プログラムがスタートする。

以降、スピーカーWさんの目の前の最前列をキープした。笑
むっちゃ発言したろ、と思った。


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