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自己紹介的な…⁉ 第2章 ①


人生第1章 分離のはじまりはイジメ

人生第2章 コミュニケーション修復期

人生第3章 私を生きる



いじめのせいにするわけではないけれど、
(結果的には無自覚にずっといじめのせいにして拗ねて生きてきていた)
高校~30代までは、
めっちゃコミュ障発動で、
本当に本当に、生き辛い人生でした。
不足、不満足を大爆発させていた人生の前半戦。


人でつまづき、
恋愛でつまづき、
親子関係でづまづき、
仕事でつまづき、
パートナーシップでつまづき、
つまづきまくりの人生でした。
いつも苦しかったし、
いつも悲しかったし、
いつも不満足だったし、
いつも誰かのせいだったし、


いつももっと良い自分を求めて、
どこかに行けばその自分は手に入って、
その時きっと幸せになれるんだって思っていました。



素敵な恋人が手に入ったら、
お金持ちになったら、
良い仕事につけたら、
結婚したら、
子供を産めば、
いつか、いつか、いつか。
手に入れれば、そんなGOLEがあるはずだ。って、
私の意志は「人から見た自分が大事なんだ」と。
イジメられていたからこそ、
他人からどう思われるか、
どう認められるか。
意識は、外へ外へと向かう一方でした。


見るべきは自分の内側なんて微塵も知ることのない生き方をしていたし、
そんな世界はまだ知らないまま、
人間の自分の意識だけで生きていたんです。
当時好きだったスピリチュアルな世界の人も、
美輪さんとか、江原さんとか、
魂やハイヤーセルフ、ソースの視点をその時代は、
まだまだ知ることもなく、
自分の身を滅ばしながら、
精神力だけで、何とかやり切っていた。


そんな生き方・働き方だったから、
何度と何度と、体を壊し、サインはやって来ていた。
にも関わらず、
無理して、一筋の一本のクモの糸みたいなところだけで、
ギリギリなところで、生きていたように思います。
特に独身時代は。
仕事は辛かったし、
精神的にも肉体的にも、何度も崩壊していたけれど、
「休んだら怒られる」のが怖すぎて、
いつの間にか、
「仕事は熱があっても這ってでも行くもの」
って自分が決めて行ってました。



暗黒調理師時代は、修行中の男性ばかりの中で働いていたし、
それが当たり前でした。
ここで、雄の戦闘力を9年間にわたり、
身に着けてしまったのも、
後々の人生で、多いに邪魔になりました 笑
女としては…


めちゃくちゃとんがって生きてましたし、
「付き合いの悪い可愛くない女」って、
調理師時代の先輩男子達には
扱いにくい女子だったんです。
コミュニケーション能力にもアンバランスさをめっちゃ発揮していたので、
「無駄な愚痴りあいには参加しません自分」
って、飲み会とか慰労会とか、
嫌いな先輩じゃなくても、集まりがもう無駄なもの。
どんどん1人になっていく行動を自らとっていたし、
仲良くしたい人達でもないからいいわとも思ってましたし。
これが、どうでもいい他人とやっているうちはいいんですが、
今度は、結婚し、母となった時、自分の扱いに困ることになっていきました。
夫との衝突や、ママの世界での不自由さなど。



生きる全てのステージで、
私は本当に、毎回つまづく。
皆さんがどうかは知らないけれど、
私ってなんで、こんなにも色んなことが順調に?
一筋縄ではいかないんだろうって。
結婚したら幸せになるはずだったのに。
子供ができたら幸せな女性なはずなのに…


幸せはいつも、
外からやってくるもの。
誰かからもらうもの、
手に届かない所から手に入れるモノ。
条件、外見、立ち位置。
そんな感覚しか知らない私だったからこその、
痛々しい過去 笑
今でこそネタだけど、
渦中はしんどいことばっかり。


つづく…

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