実家暮らしの孤独
別にひとりじゃなくたって、孤独は感じられてしまうものなんだね。
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だいぶ前、一人暮らしがまだまだ他人事だった頃。
親戚たちと集まったとき、年上のいとこの一人暮らしの話になった。
当時、いとこは大学進学の少し手前。一人暮らしを始める目処が立ってきていた。
小さい頃から見てきた親世代は「もう大学生かー」「遂に一人暮らしかー」なんて感慨深そうに言う。
しかし当のいとこ本人の母親は「でもあんた一人暮らしなんてしたら絶対寂しくなるでしょ?」なんてからかう。
そんなやりとりを、私は「別に自分は一人で過ごすのも好きだし大丈夫だろうな」とか思いながら聞いていた。
だけど、あれから幾分か時が経った今ならわかる。
たとえ一人暮らしではなかろうと、自宅で寂しさを感じないためには、一緒に住む人が「寂しさを消してくれる人」でなければならないのだと。
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大学や専門学校などに進学するタイミングで、一人暮らしを始める人は多い。
進学先で新しくできた知り合いとの会話の題材として、下宿か実家かなんて話題は王道中の王道。
そんな中、私は大学に進学しても実家暮らしを続けることを選択した一人だ。
大学から実家まではそれなりに距離はあるし、私個人としても一人暮らしはしたいと思っていたが、いわゆる「家庭の事情」で妥協した。
大学生になって下宿生活を始めた友人からは、一人暮らしのメリットをよく聞く。
私は経験していないから知らないけれど、自宅に自分以外の住民がいない環境には、どうやら完全な自由があるらしい。
その一方で、家に帰宅しても、そこには誰かとのリアルな交流は基本的にないという側面がある。
普段は自由でいいかもしれない。
けれど、病気で寝込んだときやなんだか心の調子が優れないときに、いつでも誰かが看病してくれるだろうか。
大抵の場合、自分がどんな状態でも、家のことはちゃんと自分でやって、ただ自分の生活をこなす必要がある。
親友や恋人は駆けつけてくれるかもしれないが、彼らとていつでも無条件に呼び出せるひみつ道具ではない。
「わざわざ人を呼ぶような状況でもないけどなんだか人肌が恋しい」なんて微妙な気持ちの夜を過ごすこともあるだろう。
これはもう世界にごまんとある表裏一体のメリットとデメリットだ。
「家庭の事情」で大学生活も実家暮らしを続けるしかない私は、勝手に友達を家に呼んだり、家族にプライベートを完全に隠したりすることができない。
その代わりに、家に帰れば「おかえり」があり、晩ご飯も用意され、体の具合が悪くなれば看病してもらえる。
そして何より、寂しいとき、苦しいとき、悩んでいるとき、それらをいつでも家族に相談して癒してもらうことができる……………………はずだった。
その歪みが鳴らす不穏な音を私が自覚したのは、大学受験を控えた秋頃のことだった。
夏休みが終わり、模試ラッシュが続き、かといって開き直れるほど本番が近いわけでもないこの時期は、とにかく精神衛生に悪かった。
受験生生活で私が最も心的に苦しんだのは間違いなくこの時期だ。
だから、家族に相談をすることが増えた。
自分がちゃんと頑張れている気がしないこと。出願先を決心することが未だにできていないこと。もう何だかわかんないけどとにかく漠然とした不安が大きすぎること。
幾度も、両親に話した。
しかし、それによって明らかになったのは、私と両親が絶望的なまでに「合わない」人間だということだった。
私はただ、癒しを求めていた。
だけど父と母から返ってきたのは、「人生の先輩からの言葉」だった。
本当だったら、あの時の両親の受け答えを具体的に記すべきかもしれないけれど、生憎もう忘れてしまった。
抽象的な話で申し訳ない。
ただ、両親に相談した結果もらえたのは「激励」で、言葉で「抱擁」してもらえたようには感じることができなかった。
こちらから相談しておいて、求めている「答え」があるなんてとてもわがままな話だけれど、そこが合うかどうかが、真の相性の表れどころなのかもしれない、なんて思う。
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私と両親の「生き方」はあまりに異なる。
父はいかにも、昭和の真面目な人間だ。
礼儀や根性、素直さなんかを重視しているように見える。
どうやら父は「人はつらい思いをして、失敗して、叱られて、努力して、根性で耐えて成長していくもの」だと考えているらしい。
私が元気のない態度でいると、機嫌が悪くなる。
そして、悩みや不安を相談すると、「人生はつらいもの」という前提に立って私を奮い立たせようと励ます。
私はそれが間違っているなんて思わない。
むしろ、大切な姿勢だと思う。
だけど、私は人生がつらいものである以上に楽しいものだと信じるし、つらい局面に立っても、「つらい局面を乗り越える」のではなく「考え方の工夫でつらさを低減する」タイプだ。
戦火の中で奮い立って勇猛に歩みを進めはしない。
平穏な花園からゆっくりと起き上がってぼちぼちと理想郷を目指していく。
だから、父の根性論は、私には響かない。むしろ棘になって刺さる。
そして父は、どこか頑固で、どうやら新しい時代の価値観や反論が苦手みたいだ。
父の助言を正面から飲み込まないでいると、また機嫌が悪くなる。
意見が異なったときに反論をして、納得してもらえたような記憶はない。
私は父が思い描くほど良い子ではなかった。
父は日頃の苦労は見せずに家族を養い、心を病んだ子どもを真剣に励ますときにその人間臭さを丸裸にして、その先の人生を応援してくれる。
その姿はとても頼もしい家族の大黒柱で、尊敬とかの次元ではない。
だけど、私が背中を追うには、あまりにも泥臭すぎる生き方なんだ。
一方、母は若い頃にかなり壮絶な人生を送ってきた背景をもつ人物だ。
本人は自身のことを「ナイーブですぐ傷ついちゃう」なんてかわいらしく言うけれど。
いや、それは嘘じゃないのかもしれない。
だけど、心が傷ついてもそのまま生きていくという経験を、母は数知れず経験している。
だから、苦しい状況に動じることがない。
早い話が、学校での人間関係だとか受験だとか就職だとか、そんな多くの人が経験するようなありふれた苦悩なんて、母が経験してきた試練に比べれば大したことないのだと思う。
だから、私がそんなことで相談しようが、母にとっては「それが何?」という感覚に近いのかもしれない。
だって、母は私と同じ歳の頃、もっと過酷な人生を生きてきたのだから。
きっと、私のつらさは、相談したってちゃんと伝わっていない。
一度、母のドライな返答に「なんか冷たくない?」って言ってみたことがある。
そうしたら「何?『えぇーつらいなぁ。しんどいなぁ。だいじょうぶ?』とでも言われたいの?」って笑顔で返された。
「まさかそんなことはないよな?」「ちっちゃい子どもじゃあるまいし」って、言ってないのに聞こえた気がした。
そこでYESって答えられるほど度胸の据わった人間だったら、そもそもそんなことで悩んでないってば。
母は、私が相談相手にするにはタフすぎる。
大学受験を前にして、そんな両親との性格や信念の根本的な違いに気づいた。
両親は真剣に励ましてくれた。
けれど私とて、もう18歳だった。
部活で創作活動をしていたことも相まって、自分の性格に合わせた生き方とか、自分なりの信念とか、ある程度見つけていた。
そこで、自分の人格には合わない生き方に誘うようなアドバイスをされたって、それを追おうとは思えない。
その後も両親に悩みを相談することはあったが、一度も気が楽になんてならなかった。
むしろ、自分の無力さや怠慢さ、不甲斐なさを実感して余計に落ち込むことの方が多かった。
だから、私は両親に人生相談をしないと決めた。
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それからというもの、実家暮らしでも感じる孤独に直面し続けることになる。
面倒見のよい両親は、いつだって私を応援してくれる。
家庭の雰囲気に険悪さなどなく、楽しく和やかな、かといって互いに干渉しすぎることもない、穏やかな家族だ。少なくとも表面上は。
だけど私は、心の影の部分を家庭でも開放できないでいる。
身体の帰る場所ではあるけれど、いつからか心の帰る場所ではなくなってしまった。
つらい気持ちを抱えて家に帰り、だれかに話したい気持ちになっても、目の前にいる両親には話すことができない。
結局、両親の愛を前に私は傷つくことになるから。
そうして、布団に抱かれた私は暗い影を抱き、眠れない夜を過ごす。
そこに家族はいるのに、誰もいない孤独のように感じる。
両親には、感謝という言葉では足りないほどありがたい気持ちがある。
ここまで育ててくれたのは紛れもなく祖父母も含む家族であったし、両親の助けなしでは当然生きることはできなかった。
だけど、私たちが別人格の個体であることも事実なんだ。
やっぱり、一人でいることと独りでいることは違うみたいだ。
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