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本当は自己卑下なんてしない方がいいんだろうね

「他人にどう言われようと、私は私を褒めます!」って大きな声で宣言できる度胸が欲しい。





私は今まで自己嫌悪をテーマに何本か記事を書いてきた。

自己嫌悪しているとき、それは自分の短所を自覚していて、それに対してネガティブな気持ちを抱いているわけだから、どうしても自分のことを残念な人間だと表現してしまう。

けれど、たとえ自分のことであっても、あんまり悪く言うもんじゃないな、って思うことが増えた。



「駄目人間」とか「無能」とか「ゴミ」とか「クズ」とか、どれも人に使うような言葉じゃない。

こういう、人を酷く蔑む暴虐な言葉を他人に対して使わないようにするのは、まだ割と普遍的なモラルの範疇だと思う。
だけど、それらを自分にも使わないでいられる人は一体どれくらいいるのだろうか……



これは私の体感だけど、誰かに対して自分のことを話すとき、自分を「素晴らしい人間」と言うより「駄目人間」と表す方が多くの人にとっては簡単なんじゃないのかな。

それはきっと、この記事の頭で触れたような、自己嫌悪に苛まれているときに限った話ではなくて。
全くもって憂鬱な気分になっていないときでも、つい自分のことを悪く言ってしまわない?

人にも寄るだろうけれど、日本人だととりわけ謙遜してしまうものだから、自分のことを駄目人間と称して話してしまうことも多いと思う。
むしろ心が健康なときの方が、ノーダメージで強い言葉を使えてしまいそうな気もする。


それが一番安心なのかもしれない。

高い自己評価を他人に表明して、自惚れだとか甘々人間だと口撃されるのが怖いのかもしれない。

誰かが下してくるであろう自分への低評価に、前もって「自分の短所にはちゃんと気づいてますよ」って言っておいて心のダメージに予防線を張っておきたいのかもしれない。

少なくとも、私にとって自分を悪く言うことには、そういう意味合いがきっとあった。



それでも自分を悪く言ってしまうのを可能な限り控えたいと思うようになったのは、名前も顔も知らない誰かのことを想像したから。

もしも、私と同じような短所を持っていて、私と同じように悩んでいる人がいたとする。
そしてその人が私の表現に触れたとする。

それがnoteでの出来事だとして、その人は「鱏里によく似た、鱏里の読者様」になるわけだが、その読者様は私に対してシンパシーを抱くかもしれない。
その上で、私が自分を「ゴミ人間」だなんて言っていたら、それに触れた読者様が「やっぱり私はゴミ人間なんだ」って思ってしまうかもしれない。

それはどうにも、心苦しい。


現状、このnoteは細々とやっている状態なので、上記のようなシチュエーションが起きるかはわからないけれど、今後ないとも言い切れない。

けれど、仮にも自分と似た悩みを持つ方が読みに来てくれた場合、少しでも元気になってほしいし、安心してほしい。
こんなところで自分を悪く言っていたって、その本心から遠ざかってしまうだけじゃないか。

そしてそれはnoteに限った話じゃない。
リアルの会話だとしても、話し相手が何も言わないだけで、実は同じような悩みや状況を抱えている可能性だってあり得る。
なんなら、話し相手でなくても、ただその場を通り過ぎて私の話がたまたま漏れ聞こえた人が、私が自分を悪く言ったその一言で自分の自信を削ってしまうことだって、なくはない。

それも全部、私が経験したから。
全く関係のない名前も知らない誰かが自身を悪く言っているのをたまたま目にして耳にして、「ああ自分は駄目だ」って私が思ってしまったことがあるから。


いずれは、自己嫌悪に苛まれて悩んでいる人々と関われる営みをしたい、と思うことがある。
私も常日頃実感するこの苦しみを抱える人々に、安心感を少しでも贈ることができれば、生き甲斐になることこの上ないはず。

別に、現状そのような職業についているわけではないし、具体的なビジョンだってあったものじゃないから、その方法はまるで知らない。

けれどいずれ、このnoteの行き先にそのようなコミュニケーションを取るのかもしれないし、自分の性格上想像もつかなかったけれど、そういうインターネット上のタレントを目指すことだってあるのかもしれない。
少なくとも、細々とでもnoteをやっている時点で、自分の考えを誰かに伝えてみようという意思はどうやらあるらしいし。

そういうときに、自己謙遜とか自己防御のために、名前も顔も知らないだれかの自己評価を不用意に巻き込んで下げてしまわないような人でいたいな、と思う。



だから、リアルではなかなか言う勇気が出ないけれど、まずはここでちょっと言ってみたい。


私には短所がある。
私の今の生活を誰かが見たら、「何だこの人間の底辺は」と思われてしまうのかもしれない。

それでも、私は生きていて、いろんなことを考えていて、ユニークな一面を持っている。

「ゴミ人間」と一言で片づけられるような人間では、きっとない。

長所があって、短所がある、私はそういう人です。

私は私を愛していいし、褒めていい。



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