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手織り真田紐のこと(二)職人西村家

 日本で一人最後の手織り真田紐職人、幸道庵の西村幸さんが他界され
幸さんの元でしっかり修行を積まれた長女操さんと次女の千鶴さんが引き継がれていました。
 また、お孫さんがその後を継ぐべく修行の路を歩まれる決意をされています。

 作品を直で見せていただくと、手織りのあたたかさと職人の緻密さを感じました。積み上げてきた日々、継承されてきた時間を想います。
 幼い頃から整経や納品のお手伝いをして身近で富弥さん幸さんの仕事を見て触れてこられた操さんと千鶴さん。
 富弥さんが他界された後はお父様の手染め作業を引き継がれて、今も薪で作業をされます。結局これが調整しやすいんです。と操さん。

手染め作業風景

技術継承を決意して、幸さんの元で10年以上修行を積まれてきた操さんですが、それでもまだまだ幸さんには追い付けない、もっと習っておけばよかったと仰います。
私は、幸さんの織技術に加えて、操さん千鶴さんそれぞれの織りとなっていくと思います。
 幸さんも一時は部品に機械を組み込んでみられたそうですが、機械に人が合わせる感じになり 織りづらさを感じて完全手織りに戻されました。

織機の木製歯車


手織り真田紐職人 西村家
西村家は代々続く手織り真田紐の職人です。
京都の指物屋さん、新潟の紐屋さんなど各地に手織り真田紐を卸してきました。

西村富弥(操さんのお父様)さんと西村修司(操さんのお祖父様)さん

彦根藩井伊家の家臣、近江(現東近江)にある羽田神社のご子息だった操さんの曾祖父さんが代々手織り真田紐を生業とする子どものいなかった親族の家へ入り後を継ぎました。最盛期には80程の織機がありましたが、時代の変化とともに職人さんたちに織機(木組みのため解体して持ち運べる)を預けて委託をするなど様々なかたちで手放し、今は3台のみです。 現在も使用する2台は少なくとも70年以上前のもの、大工さんが手掛けた織機は今も毎日動いています。

一説では真田幸村に由縁があるといわれる真田紐。九度山の真田庵の住職さんが地元で復活させたいと西村家の元に通われました。そして、西村家の織機が真田庵に進呈されました。

西村幸さん・真田庵住職・西村富弥さん / 織機進呈時の記事


*動画提供:ニッポン手仕事図鑑様


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