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続けるって難しい...PART2

「続けるって難しい…」

ここ最近の私の悩みだ。短編はもちろん、歌詞創作も新作は止まっている。書こうと思う内容はあって書きたい欲もあるのだけど、いざ「書こう!」と決めると、「いや待てよ、今日はあれしなきゃいけなかったな…」「仕事から帰って書くのはキツイな。よし寝よう」「今日は休みだー!よし書k…の前にTwitter見よ→布団から出るのメンドクサイな。休みだし寝よ」とかなんとか自分に言い訳作って書いていない。

なぜか。仕事でメンタル削られるし、ここ最近はペットの看病もあってそれどころじゃなかった。も、言い訳だ。

書いても書いても成果が出ない。結果が見えない。どうせ書いても自己満足で終わるのかな…。と思うと、書いたところで無意味だ、と悟りを開いてしまう。(ちょうど仕事でも、何をやっても成果が出なくて結果onlyの職場なのにどれも無意味で自分だけ空回りして、周囲からはただの自己満足足掻きと思われているから余計に)

それに、これだけ意味がないってことは、やっぱり自分の言葉は誰かを傷つけているんじゃないか、と怖くなる。私の投稿を読んでくれた人を不快な気持ちにさせているんじゃないか。だからいいねもコメントもない。以前のYoutubeのように低評価数が見れたらいいのに。パソコンの前で悩む。もし誰かを傷つけていたら。ただの自己満で誰かを不快にするなんて、セクハラオヤジじゃないか。

どうすればいいんだろう。
作詞や文章の書き方講座を受講する?
そんなお金はないし、教えてもらった通りにしか書けないならAIで済むのではと思ってしまう。
本にしてみたら?
やっぱりそんなお金はないし、ネットに投稿して高評価がすごい、バズってる、というのならまだしも低評価の歌集を誰が買うんだと思う。

今精一杯考え得るだけ考えた結果は、「続けるしかない」。
今はダメでもいつか結果が出るかも知れないから。
数打ちゃ当たる、じゃないけど、撒いた種のすべてが枯れ腐っていることはないだろうと信じたいから。投稿も創作も続けるしかない。

前にも似たようなことを書いてた。
この時は「続けるのって楽しい」とも思えていた。この時していたおはようツイートは毎朝Twitter界の師匠からリアクションをもらえていたから。そのリアクションは、こちらがいいねしたことへの社交辞令いいねじゃなくて、普通にコミュニケーションだった。リプでやり取り続いたり、お互いにいいねを押す(通知来る)タイミングが一緒だったり。だけど、3月に師匠がTwitter界を突如去ってしまわれてから、続けられなくなっていた。ただでさえ個人垢には無意味なおはようツイートがゴミのように溜まっていった。「おはよう」と言ってクラスに入ったのに誰も気にしていない、あの空気感。いつか必ず師匠はまたTwitterに戻ってくる!と願って続けていたけど、いつしか辞めてしまった。

成果を望んだところでどうしようもない。結果は後から付いてくるもの。結果が欲しければそれに見合うほどの努力と才能を持て。

それくらいのことはわかっている。
続けるしかないこともわかっている。
大人気のアーティストだって、一流の落語家だって、永遠に名を残す作家だって下積みはある。下積み中に潰れるのか、歯を食いしばって先だけを見るのか。

3歳か5歳かの頃、県内で有名な手相占い師さんに「森英恵さんと同じ手相だ」と言われたことがある。マスカケで大器晩成型。手を見るたびにその占い師おじいさんの顔がぼんやりと思い浮かぶ。

大器晩成型かぁ。長く続けろってことだよなぁ…。

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