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松本探訪 1️⃣ 草間彌生 Eternal Soul

 夏の旅3日目は、富山県砺波を出発して、北陸道と上越道を使って次の目的地、松本へ。

松本は我が亡父の父親方のルーツの地。
5年ほど前には、兄夫婦と私ら夫婦との4人で遠縁にあたる方を訪ねて、8代前まで遡り本家の墓参りも行った。

今回、もう少し松本を知ろうとの思いで立ち寄った。



1日目小布施、2日目利賀村の記事はこちら。




訪問日:2024.8.22

🔶松本市美術館

松本へ来た最大のお目当ては、草間彌生さんの作品を観ることだ。

まず、入館前にいきなり度肝を抜かれた。

パブリック彫刻
「幻の華」2002年①
パブリック彫刻
「幻の華」2002年②
パブリック彫刻
「幻の華」2002年③
パブリック彫刻
「幻の華」2002年④

どうです?
この生命力みなぎる作品。ワクワクしますよね。
高さ10m、幅18メートル、
草間さんの彫刻作品では、野外で最大の規模だそうだ。
入館を前にして既にかなりの満足度だ。

ガラスファサードは
「松本から未来へ」2016年


入館

🔷草間彌生 
「魂のおきどころ」



草間彌生さんについて 👈来歴詳細は、名前をクリックください。

草間 彌生(くさま やよい、1929年〈昭和4年〉3月22日 -95歳 )は、長野県松本市出身。京都市立美術工芸学校(旧・京都市立銅駝美術工芸高等学校)絵画科卒業。
松本駅近くで種苗業を営む裕福な家に生まれ、幼いころから草花やスケッチに親しむ。
その一方、少女時代から統合失調症(医学博士西丸四方が診断)を病み、繰り返し襲う幻覚や幻聴から逃れるために、幻覚や幻聴を描きとめる絵を描き始める
10歳頃からすでに水玉と網目模様をモチーフとしていた。
現在に至るまで水玉(ドット)をモチーフに制作する事が多いが(ドットペインティング)、これは耳なし芳一が幽霊から身を守るために全身を経で埋め尽くした様に、彼女が恐怖する幻覚や幻聴から身を守るために、作品全体を水玉(ドット)で埋め尽くす儀式でもある、とされる。

1957年(昭和32年)に渡米すると絵画や立体作品の制作だけではなくハプニングと称される過激なパフォーマンスを実行し、1960年代には「前衛の女王」の異名をとった。
草間彌生のいくつかの作品は、水玉模様や網模様などの同一のモチーフの反復によって絵画の画面や彫刻の表面を覆うことが特徴の一つである。
「無限の鏡の間」(インフィニティ・ミラー・ルーム英語: Infinity Mirrored Room)(1965年制作)など合わせ鏡を用いて光やオブジェを無限に広がるように見せるインスタレーションや、男根状のソフト・スカルプチュアによるオブジェを日用品などに張り付ける立体作品も制作している。
カボチャをモチーフにした作品もしばしば見られる。
また、ファッションデザインや小説執筆などの活動も行う。
1962年に行われた、クレス・オルデンバーグやアンディ・ウォーホルらも参加したグループショーに参加し、彼女ならではの表現を見せつけ、彼らのみならず様々なアーティストに「ソフト・スカルプチュア」などの影響を与えた。

出典:Wikipediaより引用


展示物で唯一撮影が許されているのは下記一点だけ。
南瓜が全身、黄色と黒い水玉で覆われだけでなく背景も床も、覆われている。
そればかりか蔓の芯の中までも。

大いなる偉大な南瓜
2017年
ど~んと!
この圧倒的な存在感

直径2.5m、高さ2m。

10歳くらいから南瓜が好きだったそうで、京都での学生時代から南瓜を描き始め、水玉と並んで草間さんの代名詞とされている。
南瓜を描く理由として、「私がカボチャに造形的興味を受けたのは、その太っ腹の飾らぬ容貌なのだ。そして、たくましい精神的力強さだった」と語っている。 

因みに、本作品は繊維強化プラスチック製の彫刻である。

その他の作品は撮影出来ない為、必ずこちらをクリックしてご覧ください。


作品の中で印象に残ったのは、「魂の灯」(2008年)
交代制で、部屋に20秒間だけ入室が許される。
投影される大きさの異なる無数の玉が色を変えながら漂っている光景に目を奪われしばし見とれてしまう。

この世に存在するひとりづつの魂、そして草間さんの魂なのだろうと解釈した。

動画はYouTube👈こちらをクリックください。


そうだ、こちらの御二方も草間彌生さんについて触れてました。
ご覧ください。


それから、面白いことに訪問日の8月22日同日に、松本を訪れていたつきふねさん。
偶然すぎませんか?
ひとこと言ってよ!😂

何を隠そう、私はその昔、浜松のオークラホテルのエレベーターで偶然に小澤征爾さんと2人きりだったことあるんだよ。
眼で会話して、「オレだよ。」って顔して笑みをたたえてくれたんだ。

「え、それって、プチ自慢?」
と巷のざわめき。


松本市美術館に話を戻そう。

同時開催。

🔷北欧の神秘

気になった絵だけをランダムに撮りました。
さくさくっといっちゃいます。
※画像が冴えないのはお許しを。

ベランダにて 1902年
エドヴァルド・ムンク
フィヨルドの冬1915年
エドヴァルド・ムンク
春の夜1896年
ニルス・クレーゲル
滝のある岩場の景観1859年
マルクス・ラーション
トロルのシラミ取りをする姫1900年
テオドール・キッテルセン


ワシミミズク1905年
ブルーノ・リリエフォッシュ
フィンランドの風景1855年
ヴェルネル・ホルムベリ
踊る妖精たち1866年
アウグスト・マルムストゥルム
ストックホルム宮殿の眺め、冬
カール・ステファン・ベンネット
イルマタル1860年
ロベルト・ヴィルヘルム
・エークマン


🔶編集後記

 松本出身の世界的芸術家、草間彌生さん。
初めて向き合わせてもらったが、創作とは、美しいと感じたり、単純にこれは表現してみたいというのが一般的な動機なのに、幻覚や幻聴から逃れるために描くって私なんぞには到底理解し得ない。

没頭して、忘れ去るまでに徹底的に内在するドロっとした魂の塊りを描きだしたのだろうか?
嘆きであったり、悲しみであったり、もしかしたら恐れや憎しみであるかもしれないし、希望であるかもしれない。
それが幾何学模様のような網であったり、水玉だったのか?

人間には何かを残そうという本能があって、描いてみたい、描いてみようという行動に出ると思っていたが、そことは別の意識のところで創作されていたとは、、、。

もしかしたら、寝食を忘れて創作に没頭しまくっていたとされる北斎もなにかを恐れて描きまくっていたのかも知れない。

小説も多く書かれているので、これから読んでさらに深く知れたらと思う。

草間彌生小説👈こちらをクリック

夏の旅、3日目松本探訪1️⃣はこれにて終了です。
松本探訪2️⃣では、「開智学校」「松本市時計博物館」「四柱神社」
3⃣では「浮世絵美術館」「穂高神社」「そば処一葉」に向かいます。





#草間彌生 #夏の連続投稿チャレンジ   #一度は行きたいあの場所      #賑やかし帯  #なんのはなしですか  #カボチャ #水玉

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