北斎訪ねて、いざ小布施(後編)
北斎晩年の最高傑作ともいえる作品を残したもうひとつの場所、岩松院に向かった。
前編はこちら。
🔶岩松院
🔷八方睨み鳳凰図
撮影許可が取れない為、必ず2つのホームページをご覧頂いてから本文をお読みください。
なんといっても、畳21枚分にもなる大きな天井絵だ。
この大作を詳しく画像でお見せ出来なくて残念至極、一緒に味わって頂きたい思いでいっぱいである。
ここから先は、現場で実物を見ながらでないとその臨場感は伝わらないかとは思いますが、敢えて書かせてもらいます。
幾重にも塗り重ねられていて、見る角度によっては違った色彩、ある方向からは黒く見え、ある方向からは白銀に見えたり、窓から西日が入る方向からの見え方まで計算して創られたことに驚かされる。
その上、タイトルの『八方睨み鳳凰図』の通り、鳳凰の目つきはどの方向から見てもこちらを見つめていたりする。
北斎の作品でこのように天井絵として、見る側を意識し計算して創られた作品が他にあるだろうか?
ちょっと待てよ、これは前編でご紹介した祭屋台の天井絵に描かれた龍、鳳凰も同様ではないか!
ここでようやく気がついた。
北斎がこの小布施で描きたかったのは、動きはしないが動いているかのように龍や鳳凰に命、魂を吹き込んで見せることに固執して自身の集大成にしたかったのではないだろうか?
それまで描いてきた浮世絵や冨嶽三十六景などの風景画、漫画などでは描き切れなかった世界を自分のものにしようと、最晩年を小布施まで遠路はるばるやってきて創作に向けての情念を身体ごとぶつけて燃やし続けていたと思うと合点がいく。
北斎の絵に惚れ込んでいた高井鴻山からすれば、絵の手ほどきはしてくれるし、財力には事欠かなかっただろうから画材や各種絵具も北斎の要望に合わせて提供し、少しは創作の手伝いもしたであろうから作品の完成までを巡っては、大満足の境地ではなかったろうか?
因みに絵の具だけで150両かかったとの説明があったが、下記を参考にして1両13万円で換算すると現在のお金で1,950万円となる。
金箔だけで4,400枚使用したとされるが、一説によると北斎のメモ書きにはそれ以上用意して欲しいとの記録が残っており、ある意味未完成だったという意見もある。
いずれにしても、北斎の創作に掛ける熱と鴻山の思いが一致して強固なパートナーシップが築けたからこその大作なのだ。
🔷福島正則 霊廟
「〽酒は呑め呑め 呑むならば 日本一の この槍を 呑み取るほどに 呑むならば これぞ真の 黒田武士」
と黒田節で唄われた一節にもあるように、自慢の槍を酒の勢いもあって上げてしまった張本人が福島正則である。
ところが、酒の席でのことで後になって返してくれと申し入れ暫く揉めたとの記録も残っている。
呑んだ勢いでの失敗、皆さんもありますよね。(笑)
福島正則はある時、黒田氏家臣の母里友信(太兵衛)と酒呑み勝負をして負けたので、友信の男気に感激し、自分が所有していた自慢の槍「日本号」をほうびとして与えたという逸話がある。
🔷小林一茶と蛙合戦の池
「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」
俳人 小林一茶が病弱な初児 千太郎を想って句を詠んだ"蛙合戦の池"。
この句は弱い者を応援する句として受けとめられているのだが、その背景には虚弱に生まれた初児、千太郎への命ごいという深い願いが込められている。
一茶が千太郎の生後20日ほどの時に岩松院に来て池のヒキガエルの合戦を見て詠んだ句であるが、仙太郎は1ヶ月足らずで死んでしまう。
このとき一茶54歳。
我が子を助けたい一心で一句を詠んだが、願い届かず。 合掌
宿で休憩していたら、川上夫妻がほどなく到着。
今夜の宴は、近くの居酒屋に。
カンパーイ!!!
話に夢中になり、残念ながら撮影どころではなく珍しくフード画像なしで~す。
なんと、なんと2軒ハシゴしたのち、まだ呑み足りずコンビニまでお酒を求めて歩くこと15分ほど。
我々の宿泊先の部屋で三次会開催!
農作業で疲れた川上くんがこっくりこっくり始まってしまったのでお開きすることに。
小布施は、何度来ても良いな。
穏やかな町の雰囲気がとても良い。
これにて、「北斎を訪ねて、いざ小布施」を終わります。
次は、この夏の旅の目的地のひとつ、秘境と言われる富山県利賀村に向かいます。
お楽しみに!
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