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広島と戦争の傷跡。

とても不思議な話なのだけど。

昔のこと、広島に住んでいる友達に、たまたま会う機会があって、ほんの少し話をした。まぁ、その話自体はたいしたことではなくて、お互いの近況みたいなのを話していて、ただ、話しながら私が気付いたのは、彼の首に、何か引っかいたような傷があったということだった。

「ところで、その首の傷、どうしたの?ひどく赤くなってるけど・・・」そんなふうに、なんとなく私は聞いてみた。

すると彼は「あぁ、昨日、これは寝てるときに、気付かないうちに、爪で引っかいたみたいなんだ」なんて、笑いながら言っていた。

「でも、なんでまた、そんなことが・・?」と当然のごとく、私は不思議な思いで尋ねた。

すると、彼はちょっと神妙な顔をしてこう言ったのだった。

「実は、僕はおじいちゃんから広島の原爆の話を小さい頃から聞かされていたのだけど、いつしか毎年のように、原爆が投下された日に、こんな形で知らないうちに、自分で傷をつけてしまうみたいなんだ・・・」

その言葉に、一瞬私は何も言えなくて、ほんの少しの沈黙の後、一呼吸おいてから尋ねた。

「そ、それって、冗談だよね・・・まったく・・・そういうのってしゃれになんないよ」なんて、私がちょっと、ぎこちなく笑って言うと、彼は真剣なまなざしで私に言った。

「いや、冗談じゃなくて、本当なんだよ。もちろん、理由はわかんないけど、でも、これは事実なんだ」

こんなことって、あるんだろうか?

広島に原爆が投下されてから、遥かに時が過ぎた今でも、そこに住んでいる人たちの心の奥深い場所では、まだ、火の川の中にいるんだろうか?それは人々の心から心へと伝わって、悲劇は永遠に終わらないんだろうか?もしかしたら、あの出来事を、決して風化させまいと心は必死なのかもしれない。

昔のこと、原爆を作った学者と、被爆者とがはじめて互いの想いを、広島の平和記念公園で伝え合う場面があった。

被爆者の方は言った。
「あなたにあの日をぜひ、謝罪して欲しい」と。

そして、原爆を作った学者は言った。
「私は日本の真珠湾攻撃の悲劇を忘れられない。原爆はひどい出来事だが、私は謝罪できない」と、そんなことを言っていた。(少し表現は異なっているかもしれない。)

結局のところ、互いに握手をし合って、その初めての会談は終わったわけだけど、互いの溝は埋めることは出来なかったようだ。

戦争って、よくわからない。

それは、私が戦争を知らない時代を生きてきたからでもあるのだけど、たぶん、こんなふうにお互いに、見えない悲劇を抱えていて、それは、どちらが正しいとか悪いとか以前に、もう、そういう判断は、すでに存在すら出来やしないのだろう。

もちろん、私は戦争を憎む。原爆を憎む。大量破壊兵器など、この世に存在するのは間違ってると思っているひとりの人間だ。

巨大な武器があるから平和でいられる。そんなの嘘だ。持っていれば、いつか人は必ず使う。銃と同じだ。いつか、それは使われる。

でも、持っていなければ、それは使えない。だが、相手は持っている。さぁ、それはどうする?

持たない勇気を、持たない強さを、言葉にして伝えるのだ。歌でもいい、詩でもいい。絵でも写真でも映画でもいい。戦争やテロのすべてを拒否するために、これまでに時代の中で生まれたすべての言葉、歌、詩や想いなど、この地球にいっぱいにつめて、私達は伝えるんだ。

もしかしたら、愚かかもしれない。
そんなことではやられてしまう。
でも、一番、大切なことだと私は信じる。

いや、信じたいんだ。

広島の彼は、ただ、その傷を私の心に残したままにして、やがて去っていってしまった。もしや、あの日の人々の想いが、こうして今も、いろんな形で私達に、伝えようとしているのだとしたら・・・

それはやがて、私達現在の日本人にも、知らないうちに、何らかの形で残るのかもしれない。

いや、もうすでに、どこかに
残っているのかもしれないけれど。

どんな小さなことでもいい。
僕らはここで、伝えてゆくんだ。

それが今、僕らが生きてる
理由の一つと私は信じる。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一