『Eigoこれまでの人生』 その2 (中学生編)
「本気で生き始めて3年
やっと物心がついてきたくらい」
by Eigo
今年で25歳のEigo。四半世紀生きた。
自分を持たず、なんとなく生きていた22歳までと、
とあるアーティストとの出会いで『普通の人生』を外れ
出会いと別れを繰り返し、アーティストシンガーを
目指し本気で生き始めた人生を1から振り返る。
『Eigoという人間~これまでの人生~』その2
中学に上がると1学年200人ほどの学校で一気に世界が広がった。
いろんなタイプの人と接することで、少しだけ人見知りの心の壁が崩れた。
勉強は1年生の最初だけはできてたけど、成績は徐々に下がり傾向で・・・
でも、なぜか周りからは勉強もできる奴認定されてたな。
運動面は、体力測定は苦手だったが、スポーツをするのは得意な方でサッカーをすればシュートを決めれたし、バスケをすれば3Pシュートを決めたりって感じ。「なんかすごい奴みたいなポジション」を獲得。
全員が何かしらの部活に所属するルールだった中学校。
部活はバドミントンにした。
サッカーやバスケも好きだったが小学生の時サッカーで県選抜だった友達を怪我させてしまったことがあり、その当時周りより力が強かった僕はどんなに力を振るっても人を傷つける事のないバドミントンを選んだ。ほとんどやたことがなかったラケット競技に興味もあったし。
バドミントンは遊びでしかやったことはなかった。
同学年は10人いて、バド部全体では30人ほど。レギュラー枠は5人。
大会戦績は毎回地区大会で団体2位。
結構な競争率で、1年生の最初からレギュラーだった同級生が2人。
スポ少組だ。内一人は県で3番目に強い男。
自分は一番下のランクからスタート。
最初はコートに入ることも許されず、雑用と基礎トレーニングの日々。
それでも、チームメイトとは仲はよくて、毎日雑草魂で切磋琢磨。
2年生からはまるで軍隊のようなトレーニングの日々。
思い出すだけで膝が笑えてくる。
人生でもあれほど自分を追い込んだのは他にない。
人生でもあれほど自分が誰かと共に打ち込んだものはない。
あの日々は、時間は、
決して失うことのない宝物。
仲間に恵まれ、2年生の新人戦からレギュラーになり東北大会に出場したこともあった。3年生の最後の大会では県で団体4位、3位決定戦で積年のライバル校との試合で、惜しくも東北大会進出を逃した。
それは
今でも鮮明に覚えている人生の敗北の一つ。
閉会式で流れた
ファンモンの「ちっぽけな勇気」が忘れられない。
エースだけは個人戦で東北大会に進んだ。
他のメンバーはそこで引退、燃え尽き症候群のように
その後、放課後毎日仲間たちと汗を流した体育館に
行くことはなかった。
部活を通してとことんやる熱い性格になっていたので
学生らしい遊びしてたかな?
って思うほどに
僕の青春は仲間達とバドミントンと共にあった。
⇨『その3高校生編に続く』